新しい原発から再稼働審査を行えば合理的
若干、感情的エビデンス論ではあるが
原発の再稼働は日本のエネルギー政策にとって既成事実だ。しかし、その方法論は千差万別だ。地震の無い、津波の無いヨーロッパのストレステストで「航空機が墜落したら」なんてのを検証しているのは何処かピントが外れている。
日本の原発は稼働順に以下の50基になる。既に福島第一原発の4基は外されているが加えておく。
並びは稼働年月日の古い順になっている。
No | 所有・運転者 | 発電所名 | 認可出力 | 炉型 | 着工 | 稼働 | 主契約者 |
1 | 日本原電 | 敦賀ー1 | 35.7 | BWR | 1966年04月 | 1970年03月 | GE |
2 | 関西電力 | 美浜−1 | 34.0 | PWR | 1967年08月 | 1970年11月 | HW/三菱原子力 |
3 | 東京電力 | 福島第一−1 | 46.0 | BWR | 1966年12月 | 1971年03月 | GE |
4 | 関西電力 | 美浜−2 | 50.0 | PWR | 1968年12月 | 1972年07月 | 三菱原子力 |
5 | 中国電力 | 島根−1 | 46.0 | BWR | 1970年02月 | 1974年03月 | 日立 |
6 | 東京電力 | 福島第一−2 | 78.4 | BWR | 1969年05月 | 1974年07月 | GE/東芝 |
7 | 関西電力 | 高浜−1 | 82.6 | PWR | 1970年04月 | 1974年11月 | HW/三菱商事 |
8 | 九州電力 | 玄海−1 | 55.9 | PWR | 1971年03月 | 1975年10月 | 三菱重工業 |
9 | 関西電力 | 高浜−2 | 82.6 | PWR | 1971年02月 | 1975年11月 | 三菱商事 |
10 | 東京電力 | 福島第一−3 | 78.4 | BWR | 1970年10月 | 1976年03月 | 東芝 |
11 | 関西電力 | 美浜−3 | 82.0 | PWR | 1972年07月 | 1976年12月 | 三菱商事 |
12 | 四国電力 | 伊方ー1 | 56.6 | PWR | 1973年06月 | 1977年09月 | 三菱重工業 |
13 | 東京電力 | 福島第一−5 | 78.4 | BWR | 1971年12月 | 1978年04月 | 東芝 |
14 | 東京電力 | 福島第一−4 | 78.4 | BWR | 1972年09月 | 1978年10月 | 日立 |
15 | 日本原電 | 東海ー2 | 110.0 | BWR | 1973年06月 | 1978年11月 | GE,日立、清水 |
16 | 関西電力 | 大飯−1 | 117.5 | PWR | 1972年10月 | 1979年03月 | HW/三菱商事 |
17 | 東京電力 | 福島第一−6 | 110.0 | BWR | 1975年11月 | 1979年10月 | GE/東芝 |
18 | 関西電力 | 大飯−2 | 117.5 | PWR | 1972年11月 | 1979年12月 | HW/三菱商事 |
19 | 九州電力 | 玄海−2 | 55.9 | PWR | 1976年06月 | 1981年03月 | 三菱重工業 |
20 | 四国電力 | 伊方ー2 | 56.6 | PWR | 1978年02月 | 1982年03月 | 三菱重工業 |
21 | 東京電力 | 福島第二−1 | 110.0 | BWR | 1975年11月 | 1982年04月 | 東芝 |
22 | 東京電力 | 福島第二−2 | 110.0 | BWR | 1979年02月 | 1984年02月 | 日立 |
23 | 東北電力 | 女川ー1 | 52.4 | BWR | 1979年12月 | 1984年06月 | 東芝 |
24 | 九州電力 | 川内−1 | 89.0 | PWR | 1979年01月 | 1984年07月 | 三菱重工業 |
25 | 関西電力 | 高浜−3 | 87.0 | PWR | 1980年11月 | 1985年01月 | 三菱商事 |
26 | 東京電力 | 福島第二−3 | 110.0 | BWR | 1980年12月 | 1985年06月 | 東芝 |
27 | 関西電力 | 高浜−4 | 87.0 | PWR | 1980年11月 | 1985年06月 | 三菱商事 |
28 | 東京電力 | 柏崎・刈羽−1 | 110.0 | BWR | 1978年12月 | 1985年09月 | 東芝 |
29 | 九州電力 | 川内−2 | 89.0 | PWR | 1981年05月 | 1985年11月 | 三菱重工業 |
30 | 日本原電 | 敦賀−2 | 116.0 | PWR | 1982年04月 | 1987年02月 | 三菱重工業 |
31 | 中部電力 | 浜岡−3 | 110.0 | BWR | 1982年11月 | 1987年07月 | 東芝/日立 |
32 | 東京電力 | 福島第二−4 | 110.0 | BWR | 1989年12月 | 1987年08月 | 日立 |
33 | 中国電力 | 島根−2 | 82.0 | BWR | 1984年07月 | 1989年02月 | 日立 |
34 | 北海道電力 | 泊ー1 | 57.9 | PWR | 1984年08月 | 1989年06月 | 三菱重工業 |
35 | 東京電力 | 柏崎・刈羽−5 | 110.0 | BWR | 1983年10月 | 1990年04月 | 日立 |
36 | 東京電力 | 柏崎・刈羽−2 | 110.0 | BWR | 1983年10月 | 1990年09月 | 東芝 |
37 | 北海道電力 | 泊−2 | 57.9 | PWR | 1984年08月 | 1991年04月 | 三菱重工業 |
38 | 関西電力 | 大飯−3 | 118.0 | PWR | 1987年05月 | 1991年12月 | 三菱重工業 |
39 | 関西電力 | 大飯−4 | 118.0 | PWR | 1987年05月 | 1993年02月 | 三菱重工業 |
40 | 北陸電力 | 志賀−1 | 54.0 | BWR | 1988年12月 | 1993年07月 | 日立 |
41 | 東京電力 | 柏崎・刈羽−3 | 110.0 | BWR | 1987年07月 | 1993年08月 | 東芝 |
42 | 中部電力 | 浜岡−4 | 113.7 | BWR | 1989年02月 | 1993年09月 | 東芝/日立 |
43 | 九州電力 | 玄海−3 | 118.0 | PWR | 1985年08月 | 1994年03月 | 三菱重工業 |
44 | 東京電力 | 柏崎・刈羽−4 | 110.0 | BWR | 1988年02月 | 1994年08月 | 日立 |
45 | 四国電力 | 伊方ー3 | 89.0 | PWR | 1986年11月 | 1994年12月 | 三菱重工業 |
46 | 東北電力 | 女川−2 | 82.5 | BWR | 1989年08月 | 1995年07月 | 東芝 |
47 | 東京電力 | 柏崎・刈羽−6 | 135.6 | ABWR | 1991年09月 | 1996年11月 | 東芝、GE、日立 |
48 | 東京電力 | 柏崎・刈羽−7 | 135.6 | ABWR | 1992年02月 | 1997年07月 | 日立、GE,東芝 |
49 | 九州電力 | 玄海−4 | 118.0 | PWR | 1985年08月 | 1997年07月 | 三菱重工業 |
50 | 東北電力 | 女川−3 | 82.5 | BWR | 1996年09月 | 2002年01月 | 東芝/日立 |
51 | 中部電力 | 浜岡−5 | 126.7 | ABWR | 1999年03月 | 2005年01月 | 東芝/日立 |
52 | 東北電力 | 東通−1 | 110.0 | BWR | 1998年12月 | 2005年12月 | 東芝 |
53 | 北陸電力 | 志賀−2 | 120.6 | ABWR | 1999年08月 | 2006年03月 | 日立 |
54 | 北海道電力 | 泊−3 | 91.2 | PWR | 2003年11月 | 2009年12月 | 三菱重工業 |
そのCSVデータ |
水色の帯が築30年以内の原発
当初政府は九州電力の玄海原発を再稼働の最初の原発に想定していた。政治的背景もあるが、福島第一原発の沸騰水型(BWR)に対して九州電力の原発は加圧水型(PWR)なので同じ事故は起きないと説明しやすかった。また、稼働時期から最新の技術で作られているとも説明しやすかった。九州電力のやらせ事件でそれが消し飛ぶと大飯原発に白羽の矢を立てるのだが、これも加圧水型(PWR)であるのと、稼働時期が比較的新しい。
表の中の青い帯は稼働から30年以内の原発である。先に原発の設計寿命は30年と書いたが、まさに、寿命が満了した原発と考えられるものが21基、全体の1/3もある。
そもそも先に原発の設計寿命は30年と書いたのは工学プラントである原子力発電所では新しい知見が生かされて改良を繰り返してきたから。30年前に安全だったものが現在振り返ってみると必ずしも安全と言えない事象が多々出てくる。
例えば、福島第一原発の全電源喪失時の「最後の砦」は1号機ではIC(アイソレーション・コンデンサー)が装備され8時間稼働の設計であったが、その3年後に稼働した福島第一の2号機ではRCICにより20時間以上の稼働が可能な「最後の砦」が設けられている。しかも実際に設計時間通りに稼働した。
今回の福島第一原発の最終事故報告書は作られていないが、東京電力の海水注入の経営判断が遅れた点、現場が全電源喪失時のICやRCICの操作に熟知していないで誤操作をした点あたりが明確になって来ている。
30年以上経過すると「最後の砦」を設けた設計思想とその操作方法が正しく伝わらない可能性がある。しかも、設計に携わった東芝が日立の分まで資料を抱えて福島に向かったのに東電から支援要請は水素爆発まで無かった。機械が故障しているのに設計したメーカに頼らずオペレータだけて対処したのも東電の体質が解る事象だ。
ノウハウの蓄積のあるメーカーに頼らずに対応する選択肢もさることながら、基本的に30年も前の設計哲学は継承されないと肝に銘じるべきだろう。
だから、福島第一原発事故の遠因として「古くなったプラントを使い続けた」ことも含まれると考える。
原発銀座で1基づつ再稼働
福島第一原発事故が世界に類を見ないのは3基同時制御不能に陥ったことである。4号機はたまたま定期点検の準備で商用発電していなかったが状況は同じで4基同時制御不能の可能性は高かった。(適切な時期に海水注入を決断していれば全て防げたのだが)。
大飯原発も3号機と4号機を再稼働させるつもりらしいが、まずは1立地地域1基だろう。今回の福島第一原発の教訓から導き出される危機管理は1原発立地地域1基のみ稼働に当然なるはずだ。しかも、原子炉建屋を共有している原子炉は片側しか動かしていけない。それが3号機の水素漏れ、そして4号機の水素爆発と核燃料プール損傷を招いたのだから。
関西電力は大飯原発で1基、高浜原発で1基を基準に、リスクアセスメントを行い、適格な稼働計画を構築すべきだろう。周辺住民の同意が得られやすいからと隣接する2基も3基も動かすのは危機管理上無謀のそしりを免れない。
また、沸騰水型(BWR)については最新の改良沸騰水型(ABWR)から再稼働していくべきだろう。なんせ測定計器類がアナログ装置の原発を今の時代に稼働させようって発想から無理がある。改良沸騰水型(ABWR)では計測機器は全てデジタル化されている。
上記の表の中の青い帯の30数基から再稼働可能なものを選ぶべきで、他は30年寿命説を受け入れて原則廃炉に進むべきだ。
そのことで、原子炉廃炉に関する技術開発を目指し、日本の原子力発電への知見を拡大すべき。それが、これから原発を使う世界の途上国のマーケットに日本が期待されている技術だ。
もはや原発とその廃棄物処理から無責任に撤退出来ないのだから、積極的に技術開発に挑戦するのが解決策だ。高速増殖炉の目処が立たないがトリウム原発によるプルトニウムの核種変換等、ここで放棄するのではなく、果敢な挑戦が必要になる。
「災い転じて福と成す」それが今回の教訓を生かすことになる。