まだ、森林がCO2を削減すると思っている人が居るのか

若干のCO2の吸収は事実だが
 地球規模の温暖化防止の方策として森林が吸収するCO2をクレジット(金券)にして国際取引を行う制度がある。ま、正直言って愚作だ。森林を増やすための「森林ムラ」の発想なのか、森林を増やすことは地球温暖化の原因と言われてるCO2の削減にはなんら寄与しない。そもそも、地球温暖化とCO2の関係は不確かで、なんら科学的エビデンスに裏打ちされていないことが感性エビデンスで動き回っている。
 その前提の真贋が明確で無いのに、その上に森林のCO2削減効果をクレジットにして取引するなんてのは、まさに、藤原正彦氏が言う「論理は起点が間違っていれば全て間違いになる」の典型だろう。
 植物は光合成によってCO2を分離し、酸素は空中に炭素は自らの体組織形成に使うってのは原理原則で正しい。しかし、光合成を行わない夜間などは生命維持のためにCO2を出している。森林について言えば10年スパンではCO2の中から炭素を体組織として固定するのは事実だ。しかし、地球規模のスパン例えば億年単位のスパンでは10年スパンの固定された炭素はほとんどが大気中に戻ってしまう。
 そもそも、地球誕生時の二酸化炭素が酸素が20%もある大気に変わったのは、気体である炭素が石炭のように炭素のまま数千万年かけて個体の炭素として蓄積されたからである。森林のCO2吸収により地球大気のCO2が減るには再度石炭紀のような環境が必要になる。ご存じのように石炭紀は地球が高温状態にあった時期で、陸地の大半がシタ類を筆頭に植物で覆われていた時代だ。それと同じプロセスをたかだか10年のスパンで作れる訳が無い。
 まして、造成した森林が一度山火事に遭えば、全てのCO2は大気に戻される。木材由来の産業廃棄物(家具等も含む)は「燃えるゴミ」として焼却炉で燃やして(CO2化して)いるではないか。何処で石炭が出来ているのか。

感性的エビデンスの社会
 たしかに森林浴なのでフィトンチットに触れると気持ちが良い。森林は日の光を遮り気温を下げる効果がある。森林を都市部に増やせばヒートアイランド対策にもなるだろう。しかし、大気中のCO2を地球規模で減少させる効果は森林には無い。
 科学的エビデンスでは森林は大気中のCO2削減には効果が無い。にも関わらず感性的エビデンスで森林育成がクレジットにまで昇華し金銭取引される。これは「宗教」としか呼びようが無いのだが、それによって得する集団が居るからだろう。
 一般論として日本は国土の70%が森林と言われているが(これも実は正しくない。FAOが世界比較のために公示しているのは68.5%、日本の公称は66%)この森林率は世界有数である。1位がフィンランド(72.9%)、2位がスウェーデン(68.7%)である。世界平均の森林率は30%程度で「ノルウェイの森」のノルウェイは33.1%である。
 日本人の文化には森林信仰が根付いている。だから、鎮守の森なんかが大切に継承されている。が、それとCO2問題は別物だ。世界では「日本人が金払ってくれる」ってんで森林造成してクレジットを日本に売って森林造成費用を回収している。もちろん、立派に育った森林は伐採され木材として利用され最後は「燃えるゴミ」として焼却される。
 こんな当たり前のことが何故か日本では感性的エビデンスで大手を振ってまかりとおる。
 実は、日本は戦後の一時期、復興のために木材を大量に必要とし、多くの自然林を伐採した。当時は外貨準備も無いので外材を輸入することも出来なかった。で、伐採した天然林に苗を植え人工林を作った。まさに森林が林業として産業化していた時代だ。
 しかし、輸出産業が発達して外貨を獲得してからは、木材は輸入材が主流になった。林業が産業の地位から滑り落ちたのだ。
 そして、当時の人工林は放置された。山が荒れてしまった。だから、現在の林業は治山産業である。山が崩れないように補助金を得て治山のために木を伐採する。切った木は資源的価値が無いので放置される。
 これでは国土の68.5%を占める森林が崩壊し、国土の保全もままならなくなる。
 そこで、「森林むら」が目を付けたのがCO2削減に効果があるって「神話」だ。

嘘じゃなく正論で行こう
 北海道の帯広市に市民の森がある。記念樹を植える運動が広まり市民が苗木を植えて森を造成する。がしかし、木が育つに従って間伐が必要になり、結婚の記念にって植えた木が無くなってしまう。本州から「20年前に植えたのだけど」と来られては困るので名札を外して「この木です。大きくなったでしょう」とごまかして(演出して)いるらしい(確証は無いが)。
 自然は人間の営みと違ったスパンで動いている。今の森林クレジットは先に書いたように対象の森林が石炭になって、しかも発掘されず地中に残れば効果があったことになる。しかし、現実的な話では無い。
 森林は日本人にとっては聖域で文化の源だ。だから、森林を荒れ果てたままで放置してはいけない。一次産業であった林業も今は公共工事の治山事業になっている。この現実を踏まえて、姑息なCO2削減なんて嘘をつかずに、科学的エビデンスをもって、森林保全は日本文化の継承と表裏一体と訴えるのが大切だ。
 そもそも嘘つきは泥棒の始まりで、消費税を上げないと言って政権交代して手のひらをかえしたように消費税増税を行うのは泥棒だ。林業は泥棒にならず健全な発展を目指すべきだ。その意味では自然林を伐採して材木で大儲けし、二匹目のドジョウを狙って人工林を植林した目論見違いは素直に認めよう。
 そして、森林の価値を訴える(CO2削減なんて嘘をつかずに)活動によって森林を再生しよう。木材としての価値を失った人工林の針葉樹も森林交代の時期を迎えているのだから積極的に広葉樹を育てて混合林として本来の林業のための森林から自然林に戻そう。
 「森林むら」を続けていくと「原子力むら」と同じ轍を踏むことになる。


button  感性的エビデンスを排除しなければ日本沈没
button  国土の均衡ある発達が阻害されている

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2012.07.26 Mint