脱原発は反原発の数倍の知恵が必要

民主主義の基本だから非難はしないが
 全国各地で開かれる金曜日の夕方からの脱原発デモ。ま、デモと言うよりさみだれ集会なのか、一過性のブームでしか無い。たぶん、総選挙が行われれば終演するだろう。藤原正彦氏は「論理なんか出発点を間違うと全て瓦解する」と論を否定するが、今回のさみだれ集会には何故集まるのかってインセンティブがはっきりしない。しいて言えばブームに乗り遅れない日本人特有の横並び意識だろう。
 やはり、「原子力発電再稼働反対」や「脱原発社会の実現」には感性的エビデンスでは無く科学的エビデンスを元に相手を説得する行動力が求められる。それが社会活動に必要な基本的要素だ。ただ、旧社会党のように「駄目なものは駄目」って論理であれば、そればブームしか起こさず世の中を変えて行く力にはなりえない。
 反原発と脱原発が所詮同根であれば、単に反原発を脱原発に言葉遊びしているだけだが、実際にはほとんどの人が言葉遊びに酔っている。反原発はは「嫌い」で済むが「脱原発」は正確には「脱原発社会の構築」って目標を提示した上での活動で、その目標実現のためのシナリオを詰めて行かなくれは「脱原発社会の構築」には繋がらない。
 反原発と唱えていれば脱原発社会が構築されるってのは、無責任だ。憲法九条を唱えていれば世界が平和になるって論理と大差ない。要は、唱えるけど行動せずってのが反原発だ。脱原発には目標に向けてシナリオが必要だ。もちろん、民主党が公聴会でやってるような「2030年の電力エネルギーの何%が原発なら許せますか」的なマークシート方式では何も進まない。何をしたらそれが実現できるか。そこが知恵の出しどころだ。
 「脱原発には知恵が必要」と書いたが、今の民主党には知恵が無いので、二者択一のYesかNoかの政策になる。このままでは、原発再稼働(たぶん、無条件再稼働)で、政策は2030年には原発ゼロって落としどころだろう。これはまったく知恵が無く、数ヶ月で燃え尽きる民主党の無責任な空手形ってやつだ。もっとも、空手形は今日に始まったことでは無く、先の衆議院選挙でのマニフェストが空手形だった実績を持つ民主党政権には「またかぁ!」の感想しか起きないが。

世の中を誘導しなければ脱原発社会は実現しない
 最初の課題はいかにして電気エネルギーを必要十分得られるようにするかである。反原発運動は、ここに答えが無い。最後は江戸時代のような生活で良いと暴言を吐く。今の時代、医療の進歩にも関わらず平均寿命50年の江戸時代の生活に国民を誘導するなんてのはナンセンスだ。
 自然エネルギーの利用拡大も上げられる。何時の時代からか日本人は科学する能力が弱くなったのか「再生可能エネルギー」なんて言葉が流行する。まったくの役所言葉だ。エネルギーはエントロピー増大の法則で決して再生は出来ない。太陽光から電力を得れば地球が太陽から受けていたエネルギーの一部が失われる。風力から電気エネルギーを得れば風力が弱まる。そして自然エネルギーは気ままだ。
 今の電力会社のインフラ構造では気ままな自然エネルギーを受け入れるバッファは全体の10%までだろう。広域な送電網が地球規模であれば、地球の何処かで何時も太陽は照っているし、地球の何処かで風が吹いているから利用も安定するが、現在の少なくとも日本国だけで賄うには自然エネルギーによる発電には限度がある。
 現在の20年42円/Kw保証は国民に電気料金と別枠で請求されるものだが、とても20年はもたないだろう。政治的に価格を引き下げてソフトバンクの孫さんんと裁判沙汰になった頃には俺は役所に居ないって無責任が国民の合意を得られるとは思えない。
 実は2030年という割と短期な期間で脱原発を実現するには、現在の電力会社が「おお、それいいね!」と誘導される発電方式を構築しなければならない。短期的には天然ガスが考えられるが、現在の天然ガス貿易市場に日本が参画すると価格の高騰を招く。価格は昔の1/5にまで下がっているが日本のスポット買いは高値安定なので、政治的に価格交渉が必要だろう。原子力並に安いとなれば、1機1500億円くらいなら2030年までに各電力会社は数機用意することができる。

技術開発にも投資が必要だ
 遠い未来の事を言うつもりは無いが、電気はどのようにして作るかと言えば「湯をわかす」。つまり、200年ほど前の産業革命で蒸気機関を発明してから発電方式の原理は変わっていない。重油で湯を沸かすのか、原子力で湯を沸かすのか、はては大陽炉で湯を沸かすのか、原理は変わらない。湯を沸かすだ。
 水の温度を上げるにはエネルギーが必要になる。それが多様化して「おお、それいいね!」になることが脱原発には必要になる。地熱発電は規制緩和で熱源になる。オーランチオキトリウムも石油代替燃料になる。メタンハイドレードも可能だ。2030年には実用化可能だろう。技術開発を進めて行けば。
 で、たぶん、脱原発しなくても新しい原発で今回の福島第一原発のように広範囲に放射性物質をまき散らさない原発の開発が可能だろう。トリウム原発の国際協力を推し進める必要がある。
 脱原発はこのような多様なエネルギーを総合的に判断して、現在の電力各社が「おお、いいね!」ってものを提供できる社会を作っていくことだ。その中には新型原子炉も選択肢に入っている。
 そもそも40年も前の知見で作られた原発を使い続けあることを容認したのは何故か。それは、他の選択肢を提供できる国策が無く、前例踏襲のまま無策を続けてきたからだ。
 戦後一貫して国策民営であった電力政策は国が責任を持って対処する事案だ。使用済み核燃料棒があふれて数年で現在の原発は止まる。その対策が2050年試験運転予定の文殊(もんじゅ)では明らかに政策破綻している。
 知恵のない民主党であり、あと数ヶ月で政権から滑り落ちる民主党に出来るとことは「何もしないことだ」。知恵がない者に権力を持たせることを基地外に刃物と言うのだから。


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2012.08.22 Mint