原発再稼働、自民党は現実路線を選択するのか

デモには一切参加しない理由
 民主主義の意思表示の方法としてデモ行進があるのは否定しない。しかし、一度も参加したことが無い。デモ行進には○○に対してYesかNoかって側面があり、条件付き賛成とか反対は含まれない。
 世の中にはYesかNoかで決めて良いこともあるが、本来、民主主義とは話し合いによる調整が主でイデオロギー的な絶対賛成とか絶対反対は民主主義の手法を過てる。
 太平洋戦争時のジョホールバルでの山下奉文将軍の降伏文章に調印するか否かで「YesかNoか!?」では無いのだから、世の中は様々なことが複雑に絡み合って物事が進むって常識に今一度立ち返るべきだろう。
 もっとも、ゲームのFF8だったと思うが「今まで何かを目的に行動してきたなんて無い。あったのは、その度に、やるか、やらないかの繰り返し。そして今の自分がある」って台詞があって、ま、最後はYesかNoかで決まるのかなと思う人も多いだろう。実は、細かなYesかNoかが積み重なって物事が決まるってことだ。大きな事をYesかNoかで決めるのは間違いで小さなYesかNoかを積み重ねて物事が決まるのが自然なのだ。
 9/11のニュースステーションに出演した石原伸晃氏は原発再稼働に関して「我々は素人だから専門家の判断を3年くらいかけて仰ぐ」と発言したが、何点か落第点な部分がある。
 素人では判断が下せない程に原発は複雑では無い。単純比較は出来ないが、工学的複雑さで言えばジェットエンジンのほうが上だろう。その科学的エビデンスは大量生産される工業製品だからだ。個別にオーダーメイドされる原発は汎用品として工業製品化されているジェットエンジンの技術に比べれば簡単である。例えるなら汎用性、耐久性、経済性を問われない軍需品が原発で、ある意味妥協した部分をリダンダンシーで補填する必要も無い。要は、産業革命時点と同じ技術。蒸気を沸かす釜でしか無いのだから。
 専門家の判断に3年かかると素人が判断できる根拠も無い。
 そのうち、国民も忘れるだろうって感性的エビデンスで3年って年限が出ているだけだ。そもそも「我々は素人」と自分はまだしも、国会議員全体をステロタイプに語る発想が、その時点で駄目だろう。

原発には3種類の型があるのを理解しよう
 先に書いたように原発はオーダーメイドなので、それぞれ構造が違うプラントである。脱原発とか反原発とか「原発」と大きく一つにのみくくるべきでは無い。構造の違いから大きく分けて3種類の原発が日本に存在する。そのどの構造が問題で、反対するのか、YesかNoかでは見えない原発の本質を知るべきだ。
 日本で実験以外に稼働してる原発は水を介在した軽水炉型原発である。この中に沸騰水型原発、加圧水型原発、改良沸騰水型原発の3種類がある。
 日本の原発のデータがここにあるので、ダウンロードして表計算ソフトで読み込み、参考にして欲しい。
 略称として沸騰水型はBWR、加圧水型はPWR、改良沸騰水型はABWRと略号が決まっている。この中のWはウォターで水のこと、Rはリアクターで装置のこと。Bがボイルで沸騰、Pはプレスで加圧。そして、改良型のAはアドバンス。
 日本のアドバンス(改良)はより大型のタービンを回せるように商業効率を上げるもの。同じ改良でもアメリカでは機構を単純化して安全性を向上させる改良が行われている。
 先の日本の原発を稼働順に見てみると、メーカによる得意分野の違いからBWR型は東芝、日立、PWRは三菱重工が建設している。今回事故を起こした福島第一原発の1号機〜3号機はBWR型である。一番最後に稼働した3号機(実際にはこれをプルサーマル化しているのだが)でも36.6年前の稼働である。
 民主党は今回事故を起こした原発がBWR型だったのでPWR型に限って再稼働させようと考えたふしがある。それが大飯3,4号機再稼働で布石を打ったつもりだ。しかし、世論の感性的エビデンスでの連夜の脱原発デモを見て、当面先送りにした。そのうちに、自らの政権の寿命が尽きるのが明確になって、うやむやの「決めない政治」のまま放置された経緯がある。しかも2030年には原発ゼロと非現実的な路線を突き進もうとしている。
即日廃炉でも無く、40年経過後廃炉でも無く、ただ、目標が2030年全廃(これも、発電停止であって、原子炉の廃炉準備はここから始まる)を語っているだけだ。

自民党の現実路線には説明力が不可欠
 そもそも、民主主義の基本は話し合いなのだから、一方の政治家が「素人」では困る。政策決定におけるプロセスが透明化されなくては民主政治とは言えない。今回の消費税増税も増税ありきのプロセスはブラックボックスだ。そもそも、税と福祉の一体改革ってのは暴論で「歳入と歳出の一体改革」で無ければ政治では無い。
 同じように、原発の再稼働は政治家の手腕にかかっている。原発を再稼働させないまま年間数兆円の燃料費を海外に払っていては国家の貿易収支の観点から健全な経済活動とは言えない。
 専門家が安全と言ってるから安全的な政治判断は、今回の福島第一原発に例を見るまでもなく国民には受け入れられない。同じ過ちを民主党はオスプレーの沖縄配備でも繰り返している。調査団がアメリカで聞いてきたから安全。では誰も信用しない。安全には、万が一の時に誰がどのように責任を取るのかの裏付けが必要だ。
 組織をいくらいじっても安全性が向上するものでは無い。そもそも、40年前の地質学ではプレートテクトニクス理論がやっと認知された時代で、地質学はその後、飛躍的に知見を伸ばしている。その先カンブリア期みたいな地質学の時代に安全性を担保した原発が現に日本の国土に建っている。それを、組織を変えたら安全性が向上するなんて何処から導き出した結論なんだ。
 駄目な原発と最後は政府が責任を持つから稼働させる原発と早急に仕訳するべきだ。その仕訳に「2番では駄目なんですか」みたいな蓮ほう的まやかしがあったら、国民は納得しない。国民が納得できる「案」を政治が提案出来なければ原発再稼働を政治は担えない。
 だったら、10万年放置するしか無い。子孫にツケを残すって言ったって子や孫ならいざ知らず、10万年後では誰も心が痛まないのだろう。
 原発を止める(と、言っても発電を止めるのであって、原子炉は動き続ける)よりも数倍強いリーダーシップが政治に求められる。それが出来るか出来ないかで日本の、まさに子孫に残すツケの量が決まる。


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2012.09.12 Mint