2030年が2030年「代」で、原発ゼロは努力目標化した

原発ゼロはどのような状態を言うのか
 政治が民主的に運営されるためには政治家の説明責任が果たされていなければならない。野田佳彦総理大臣の「決められない政治からの脱却」の実態は「勝手に決める政治」が実現しただけだ。物事は方針を決めて戦略を練り、戦術を積み重ねて実現するものだが、民主党の政治手法は目標数値の提示から始まる。実は数字は最後のフィジビリティ(実現可能性)スタディから計算されるもので、目標数値は方針では無い。
 今回の「原発ゼロ」は原発による発電がゼロなのか原子炉がゼロなのか解らない。その説明すら行わず「原発ゼロ社会」と言っても議論の進めようが無い。ただ、現在の民主党の政策立案は多分に選挙対策で、しかも、選挙後は野党に転落するのは必然で、その意味で民主党は責任有る政治を放棄し、その隙間に官僚が入り込み「しろあり」よろしく好き放題しているのは明らかだ。東日本大震災の復興予算(そのために所得税、地方税を増税している)で好き勝手やっているのはNHKがスクープしたが、民主党議員は苦笑するだけだ。。何処が政治主導なのか。
 公聴会で示された原発による発電比率は2030年時点だった。それが今回の「革新的エネルギー・環境戦略」では2030年代と2039年まで延長されているいる。公聴会での提示と結論がほぼ10年先送りにされたのは何故か。政治家の説明責任は果たされていない。もっと不思議なのは政治家の意識の中に官僚が潜ませた「代」が理解されず、未だに2030年として議論を行っている国会議員が多くいる。選挙の時に勘違いから生じた嘘公約で行くつもりなのだろうか。不勉強もはなはだしい。
 今の段階で官僚が描いている「原発ゼロ」は発電に占める原子力比率がゼロと言うだけだ。行き所を失った使用済み核燃料、その再処理は今後も継続する。何のために原子炉燃料を製造するのか。使用する原子炉は無くなるにも関わらず。外国に売るとでも言うのだろうか。日本がアメリカの規制で外国に原子炉燃料製品を販売出来ないことを知らないとは思えないのだが。

本気で原発ゼロなら廃炉庁が必要
 自民党の塩崎恭久氏が提唱しているが、原子力発電を終演させるなら廃炉を監督する省庁が必要になる。現に2005年にイギリスが長期の検討の結果設置している。原発を辞めるなら残った使用済み核燃料から作業服まで多岐にわたる放射性廃棄物をどのように処分するか、最後に原子炉本体をどのように処分するか、実は方法技術とも決まっていない。関連する法案も作成されていない。
 自民党政権がいっかげんなのは、電力会社に廃炉積立金を蓄積させ、電力の裁量で廃炉を行わせようとしてる点である。つまり、電気料金に上乗せして長期に渡って積み上げ、それを廃炉の原資とする考え方だ。しかし、現実に福島第一原発のような事故を起こすととても積立金では賄えない。そもそも、原発が稼働し始めた時には廃炉は「想定外」だったので金額も非常にアバウトだった。それがここに来て「足りない」となったが、何で補完するか検討すら始まっていない。
 原発ゼロを標榜するなら、最低限、廃炉に向けた施策を立案する必要がある。どうせ総選挙があれば自民党が連立かもしれなしが政権を取るのだから、自民党がやったことのツケを支払うのは自民党だなどと考えているフシがある。これは政治主導では無く政治不在だ。
 原発は国策民営であった事実を踏まえれば、廃炉もまた国策民営で行われる。その時に、新たな技術開発等は国の責任、つまり税金で進めるしか無いだろう。民間の原発関連事業者はその開発された技術で世界の廃炉マーケットでビジネスを展開すれば良い。少なくとも、原発の設置から廃炉まで一貫して原子力技術を提供するのは日本の責務だろう。
 その意味で、「原発ゼロ」のほうが「革新的エネルギー・環境戦略」が必要になる。現在の原発を新たな審査基準で再稼働させるのは官僚の事務手続きの世界だ。政治主導ならば廃炉に向けた政策を立案していく必要がある。まさに、日本の方向を決める行為だ。

日本は原子炉技術を捨てることは出来ない
 朝日新聞風表現で「プロメテウスの火」。これを使い始めてから、やっぱ危険だから辞めたなんて言えない。それはある種の感性的エビデンスに振り回されている。アメリカのマンハッタン計画以降、科学技術はいかに安全に核のエネルギーを人類のものとするかを技術開発してきた。人類が手にした、まだ途上かもしれないが、核のエネルギー利用は手放すわけにはいかない。
 「原発があるから原発事故が起きる。だから、原発は辞める」と単細胞にはならないのだ。原発を辞める方法を考えていないのだから。原発を辞める方法を開発する所から「脱原発」そして「原発ゼロ」は始めなければいけない。
 考えてみると太平洋戦争末期の1945年夏の日本も課題山積とその解決方策が見えない状態ってのは今と同じだったかもしれない。「勝ち目が無いからもう辞める」ではまさに感性的エビデンスしか無く、その方針を科学的エビデンスで積み重ねる努力により実現するのが政治だろう。いや、全てのことは「辞める」には始めるときと同じよだけのエネルギーが必要になる。それが事実だ。
 その時代、吉田茂や白洲次郎は「東条英機のやったツケが回ってきた」とは言わない。まさに敗戦と戦いながら新しい日本を創造する活動に全勢力を傾けた。今の民主党にその気概はあるか。そもそも、2030年代、つまり、27年後の日本を描く力量があるのか。
 ま、吉田茂にも白洲次郎にも27年後なんて描けないだろう。そんなのは空論にしか成らないと一蹴されるだろう。その愚を民主党は感じないのだろうか。しかも、2030年が2030年代とすり替えられているのにすら気が付かないていたらくだ。


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2012.09.25 Mint