橋下徹大阪市長が混乱の元では教育は再生しない

統治のはき違え
 Twiterで思いついたことを発信するのは良いのだけれど、本位が伝わらないで誤解を招いては意味が無い。昔の小泉純一郎首相と同じく「ワンフレーズポリティクス」を重視しているのだろうが、品格が違うので罵倒にしか見えない。そのために、筆者は橋下徹大阪市長のTwitterは外しているのだが。
 教育委員会に行政のトップが強権を持たないのはGHQが日本の戦後教育の中に国家による教育を排除する制度として中立な組織として教育委員会を設けているからだ。
 その是非は今回は触れないが教育委員会に制度的欠陥があるのは明らかな事だ。
 しかし、統治権が及ばないのを「予算執行権は俺にあるから執行しない」と脅しをかけるのはいかがなものか。そもそも、要求は「体育科の募集停止。教師の全面入れ替え。」である。これはテロリストが人質を取って要求する武力による要求貫徹、恐怖による統治となんら変わりがない。このパワーバランスを教育の場に持ち込むのは先に書いたように品格が劣悪でとても小泉純一郎ばりの「ワンフレーズポリティクス」にならないことで証明される。
 教師の全面的入れ替えで諸制度が好転する訳が無い。そもそも、現状の問題点(反省)取りまとめ、改善点を明確にし、その後、現行の人材では解決可能なのか不可能なのかを見極め、改善点を実施するには教員の入れ替えが手段として的確であれば行うものだ。
 全面的入れ替えが有効な手段なら市立なのだから最高権限を持つ大阪市長も全面入れ替えすれば良い。それを「反対なら選挙で落としてみろ」と挑発する。いやはや、品格のない御仁だ。
 橋下徹市長の主張は一番の当事者である生徒にまったく受け入れられていないのだが、教育の現場をかき回すのは市長としての品格すらおとしめている。

罵倒で威張るのはガキ大将まで
 藤原正彦氏が「国家の品格」で書いているように、リーダは人に尊敬される人間でなくてはならない。東洋の文化では「出来た人物」と評価される人は
 1.深沈厚重(しんちんこうじゅう)
 2.磊落豪雄(らいらくごうゆう)
 3.聡明才弁(そうめいさいべん)
の順に称される。人物の「大きさ」もこの順番である。
 残念ながら橋下徹大阪市長は3番目にランクされる「出来た人物」である。
 そもそも、教育委員会制度は日本の教育制度に端を発するもので、その上部構造は市町村長では無くて文部科学省に属する。当初は公選制であったが教育の現場に政治主張が持ち込まれる弊害(組長の対立候補が教育長に当選する等。教育の現場での選挙活動の実施)が起きたため、現在は市町村長が任命し地方議会が承認する制度になっている。
 当初から、文部省(現在の文部科学省)の直轄機関であった。但し、教育委員会事務局は市町村職員が勤めるが、事務局は広義の教育委員会にとどめ、今回は任命された教育委員会だけを教育委員会と呼ぶ。
 橋下徹大阪市長は「クソ教育委員会」とか「バカ文春」とか罵倒するが、ま「バカ文春」にはスチワーデス・コスプレ報道で返り討ちにあっている。
 今回は「クソ教育委員会」からの返り討ちには合っていないが、本来の現場の主役である市立桜宮高校の生徒にはまったく理解されていない。教育の現場で理解されないのは最悪の結論である。生徒が理解できないことを実施しても生徒が付いてこない。結局、学級崩壊を招き教育の目的は達成されない。
 教育基本法の前文には「我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。」と書かれている。これは第一次安倍晋三内閣の時に全面改定されたものだ。。
 はたして、橋下徹大阪市長の行動は教育の現場で求められている理念に合致したものだろうか。


体育を教える現場で暴力?
 教育基本法を持ち出したのは、今回事件が起きているのは体育に特化して教育を行う体育系科で事件が起きたことだ。バレー部、バスケット部で起きたことは「個人の尊厳を重んじ」てないし「人間の育成を期す」ともなっていない。「伝統を継承し」だけは行われていたようだが。
 Jリーグの初代チェアマンだった川渕氏はJリーグ開始の時に「私は日本にスポーツを根付かせたい。日本の教育の現場は勝ち負けに拘った体育しか無かったのだから」(意訳)と語っていたが、本来、教育の場では体育を教えるのでは無くスポーツを教えるべきだろう。それが教育基本法に合致する。
 スポーツは誰でも参加できる生涯学習でなければならない。勝つことが目的では無い、参加して楽しむのが目的である。だから、どれだけ一流の選手を育てたかでは無く、いかにスポーツを楽しむ人材を輩出したかが評価基準だ。
 それが「新しい文化の創造」だ。
 予算執行停止するとか募集を求めないとかの統治は力による統治であり、ある意味民主主義の否定を生徒に見せているので確実に教育的指導の範疇を逸脱する。
 とにかく生徒が納得していない。
 橋下徹大阪市長には権力を振り回すのでは無く、権威を持って対処してもらいたい。それが生徒に対峙する最善の方法であり。生徒の将来を「新しい文化の創造」に導く。
 「生きていればもうけもの」なんて発言は権威を失墜させるものだ。ま、「出来た人物」の第三位にランクインだから望むのが不可能なのかもしれないが。
 義家弘介政務官に噛みついたり、水谷修氏のブログに噛みついているようでは権威は積み上がらないと思うが。

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2013.01.22 Mint