東京降雪、活断層、専門家は安全を見切るのが責務

学識経験者とか不明な肩書き
 政府は政策決定に「諮問機関」だとか「専門家会議」なんてのを立ち上げる。正確には政府が立ち上げるのでは無くて官僚が立ち上げるのだが、ま、政府は行政府のトップだから責任の所在は政府になるのだろう。
 この会議に参加する「学識経験者」なるものが、うさんくさい人事で決められている。官僚の考えた結論を後押ししてくれる人を選ぶので学識経験者の出す結論は官僚の考えた結論と同じになる。官僚の考えた結論が国家国民に立脚していれば、それもOKなのだが、往々にして国民は何処かに追いやられ、官僚の保身のための結論が導き出される。
 「役人の無謀性」が叫ばれて久しいが、これを担保してきたのが先の「諮問機関」であり「専門家会議」だ。委員会の意見を政策に反映したのであって、官僚の意見を政策にしたものでは無い。だから、決定者では無い官僚には政策への責任を負わすことが出来ないって論理だ。公僕は公に指示されて動くので責任は公の側にあるって考え方だ。
 で、最近、権威有る学者や専門家が責任を放棄している場面が散見される。
東京が大雪に見舞われるって予報を受けて、実際には雨に変わり積雪の影響は無かったことを指して東京都知事の猪瀬直樹氏は気象庁の役人に噛みついた。彼は文系人間なので科学的なエビデンスに立脚していない論調ではあるが「天気予報が外れたのはけしからん」って単純な非難では無く、専門家の悪い影響を強調しておけば自らは安泰って風潮がおかしいと述べている(意訳)。
 つまり「最悪の場合はこうなる」って予報は、それを想定して対応する東京都に過剰な対応を強いたてことだ。実際に対応する布陣を敷くための人件費を初めとして東京都は財政支出を余儀なくされている。
 で、天気予報が外れて除雪の必要の無い降雨になったとき、天気予報は「最悪の事態は避けられました」で済むかもしれないが、財政支出した東京都は金が戻ってくるわけでは無い。的確な天気予報に対応するのは合理的だが、最悪を想定した天気予報に対応した結果「税金の無駄使い」が生じてしまったのだ。

危険と言っておけば自身は安全
 官僚の無誤性に正当性を与えたのは先の民主党の物事に対する姿勢に起因する。民主党は、とにかく問題が起きると犯人捜しだ。犯人捜しは自らの責任を回避するために行われる。今回の民主党の反省にも「野田総理が解散時期を誤った」、「小沢一郎代表が政治と金の問題を悪化させた」と犯人探しだ。もっとも、さすがに個人攻撃は大人げないと最終報告では個人名は削除されたようだが。
 当時、当事者として、自らがどうすべきだったかは語られない。それは自分は民主党党員ではあったが党の方針に従っただけで、個人としては無誤性があるって主張だ。全然責任感が感じられない。
 そもそも、危険な事に関しては全て危険だと言っておけば、万が一実際に事故が起きても「私は昔から危険だと言っていた」と言い逃れができる。今は廃れてしまったが一時期脚光を浴びた「マーフィーの法則」にも「危機に瀕して落ち着いている者は、この自体の責任を誰にかぶせるか決めた者だ」って項目がある。つまり、自分は「蚊帳の外」に置いておけば事件に対しての責任は回避できる。だから、自身の安全のためには何でも危険と言っておけば安泰なのだ。
 それが通用する社会は変だ。先の猪瀬直樹東京都知事が言わんとすることに通じるのだが、専門家が安全と危険を見切る職責を果たせないのならそれは専門家でも何でもなく只の野次馬だ。与えられた専門家って看板を返上すべきだろう。伴って与えられた地位も地に落ちるのだから、国民はこのようなチキン学者を「諮問機関」とか専門家会議」に招聘する行政の(官僚の)姿勢を糾弾すべきだろう。その糾弾は政治家に国民が預託しているのだから、政治家は国民の代表として真偽を見極め、立脚するエビデンスを読んで指示すべきだろう。プルトニウムは飲んでも健康に害は無いなんて「学識経験者」を政策立案に起用する愚は政治家も含めて自らの保身のために代弁者を選定する茶番劇だ。
 もっと言えば国民に対する背信行為だ。


活断層が有れば危険か?
 原発の再稼働は宿命みたいなものだ。日本のエネルギー自給率が4%程度なのをかろうじて12%程度に保っているのが原発だ。電力エネルギーの自給率の現状をマスコミは広報しないが、現実問題として日本はエネルギーに関しては食料(これもエネルギーベースで40%なんだが)自給率よりも劇的に危機的な状態だ。
 ウランも輸入されてるだろうとの意見も有るが、使われないで蓄積されているエネルギー源が国内に有るのも事実だ。まず、原発は設計寿命の40年を過ぎたら廃炉にすべきだ。逆に40年に達していない原発は安全基準を強化して稼働させるべきだ。それが政治の連続性であり国策民営で行われてきた原子力発電の落としどころだ。
 ただ、既成の路線に加えて新たな方針が必要なのも事実だ。ただ、それは自然エネルギーでは無い。世界の新興国の電力需要を賄うためには人類が得た核のエネルギー利用は必須だ。だた、現在の技術は発展途上で、ウラン燃料による原発は1990年代に終焉を迎えた東西冷戦の産物である。最新の状況はアメリカと中国が原子力発電はトリウムによる技術開発を前提にしている。原発廃止を叫ぶグループも日本は何でも対米追従と批判するがもやは世界の趨勢は核利用の発電はトリウム原発てことだ。日本だけその流れに遅れている。科学的エビデンスで動かない原子力認識所以だ。
 活断層論議も不毛だ。40万年前に地震が起きたからまた起きるってのは全然科学的では無い。そもそも活断層ってのは地震の原因なのか地震の結果なのかが科学的エビデンスで説明できていない。
 東日本大震災を予見すら出来なかった地震学者に原発の再稼働に向けて活断層の危険性なんて判断を委ねることが意味のない暴挙だ。奴らは東日本大震災を予測出来なかったスネに傷を持つ。だから自己保身(地震学なんてのはスピリチアルと同じ「タワゴト」と私は思っているのだが)のために40万年前の地震の議論をする無駄を当人たちは気づいていないのだから、なにおかいわんやだ。
 アメリカの原発専門家は「活断層論議は意味が解らない。我が国のカリフオルニアではサンアンドレア断層の上にも原発がある。」と言っている。
 安全か危険かの判断を国民から委ねられた専門家が自己保身のために「危険と言っておけば良い」って感覚なら、そんな専門家は社会から抹殺するべきだ。
 具体的な氏名や行状は今回は書かないが、御用学者、無能学者の枚挙にはことかかない。
 「科研費」ってキーワードでググッテ見て欲しい・

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2013.02.17 Mint