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社会の必要悪が政治の原点
この兵庫県の蓬莱務市長は「いいとこのおぼっちゃん」なのだろうか。行政の長として一番必要な市民感覚が欠如しているようだ。エリートの「おぼっちゃま君」にはパチンコは身を破滅させるギャンブルって感覚しか無いのだろう。その感覚は複眼で社会を見る行政のトップにはあってはならないのだが。正直言って私は大学生の頃はパチプロが友達に沢山居た。パチンコで喰っていた時期があった。つまり、パチンコは生活の手段だったのだ。その成果は現在の本棚にある。天地真理や南沙織のレコード(懐かしい響きだ)は大半はパチンコで勝った時に購入したものだ。 パチンコで何故レコードが買えるか知らない人も居ると思うが、パチンコ屋で大勝したら(当時は2000円で打ち止めになった)玉を交換する時に「何にしますか」と聞かれた「チョコレート」(私も最初はこうだった)なんて言わないで「お足」と言うと味の素とか万年筆とかくれる。これを近くの景品交換所に持って行って現金に換えるのだ。これは警察公認の現金やりとりのギャンブルで現在も警察公認の非合法システム(なんや、それ)として動いている。 しかも、景品交換所での仕事は「当時は」交通遺児の片親になった母親の就職先でもあった。そう、社会の仕組みは単純じゃない。 ついでに言っておくが、当時は大学の寮で賭け麻雀も盛んだった。ォで時々街に飲みに行った先輩が雀荘で知り合ったプロの雀師を連れてくることがあった。さすがに学生相手では掛け金は点1程度だったが、イカサマの仕込み方とか教えてくれて業界の勢力図なんて話もおしえてくれた。 余談だが、当時スマートパチンコってスマートボールだかパチンコだか解らないギャンブルが新規開店して、我が大学はさすが国立ってことで、とりあえず店員募集のバイトに大量に応募して採用され店で働きながら勝ち組の打ち方を観察してこれを港情報共有した。 で、大量に大学生が押しかけて勝利するものだがら出入り禁止になった(苦笑)。 |
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2013.03.05 Mint
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