3.11復興が進まないのはマネージメント能力不足

マネージメントとは何か
 日本の多くの企業ではマネージメントをマネージャーに委ねている、で、マネージャーって職責は日本語では「管理職」と位置づけられる。ここがすでに日本の常識、世界の非常識なのだ。
 世界の多くの企業ではマネージャーは居るが「管理職」は居ない。管理職の責務を担うのはマニュアルである。彼らはマニュアル遵守でマニュアル以上の仕事も以下の仕事もしない。
日本では江戸時代の慣習が残っているのでマニュアル至上主義では無い。一部にQC活動に代表されるようなボトムアップの暗黙のマニュアルが存在する。だから、管理職が管理する対象は製品の品質ではなく人である。それが「管理職」だ。
 が、本来の企業のマネージャーは製品の品質を管理する職務で決して「管理職」では無い。その意味で日本にはマネージメントの文化が根付いていない。しいて言えばQCに形を変えてしまいマネージメントは必要なくなったのかもしれない。
 海外の企業ではマネージャーが企業の代表者として出てくる場面がある。彼らが一番現場を知っているからだ。製品を一番知っていると言っても良いだろう。
 彼らにとってマネージメントとはPDCAである。事業推進の基本のPlan、Do、CHeck、Action。日本語にすると計画、実効、評価、見直し、とでもあんるのだろうか。常に現場で起きていることを評価し新たな対策を高じるのがマネージャーの仕事だ。だから、現場を一番よく知るのがマネージャーだ。
 日本のマネージャーは「管理職」なので、現場を知らない、現場に配置されている人を管理している。企業の生命線は生産する商品にあるのだが、何故か日本のマネージャー(管理職)は商品に責任を負わない。だからQCが必要になるのだが。
 マネージメントとはPDCAなのだ、だから常に見直して方向転換する。やってみて駄目ならやり方を変えるってのがマネージメントの基本だ。自分の決めたことが誤っていたのなら迅速に見直す。それが世界でのマネージャーに課された責務だ。
 日本にはこのマネージメントの仕組みを担う組織論が無い。無くても高度成長時代の右肩上がりでは支障が無かったのでそのまま受け継がれている。
 再度言っておくがマネージャーは「管理職」では無い、製品に責任を持つ現場のPDCAを動かす職責を担った者がマネージャーなのだ。

見直しに臆病な日本文化
 ちとタイトルに言葉足らずだが、マネージメントの基本はPDCA。つまり、計画、実効、評価、見直しは日本文化の不得手な部分だ。一度実行と決めたら「猪突猛進」で実現することが日本の文化なのだ。だから、日清戦争にも日露戦争にも勝利したと考えている。そして、大東亜戦争で敗れた。実は先の大東亜戦争で指摘されている軍部の「転進」の用語はまさにここから来ている。
 翻って、先に書いたマネージメントの本質で戦ったのはアメリカだ。本来許されない民間人への爆撃を行ったのも軍需生産が中小企業が担っている日本の現状を正しく判断した結果であり、その生産現場を守らない日本軍の虚を突いたものだ。当時はOR(オペレーションリサーチ)手法と呼ばれたが、これも広義のマネージメントである。
 3.11の東日本震災は二面性を持っている。地震による津波の被害と東電福島第一原発事故による放射能汚染事故である。この2年間どっちつかずで両方を追うが故に焦点がぼかされてきた。
 しかも、東京電力福島第一原発事故は不十分な事故報告書でお茶を濁している。私が調べた範囲では人為的原因が事故原因で、それは政治とか東電の対応不足では無く現場のオペレーションミスである。1号機の水素爆発で3号機にも同様な事が起きると想定されたにも関わらず防げなかったのは現場のミスだ。ただ、このことは別な機会に書こうと思う。
 東日本大震災の被害に対して当時の民主党は「復興税」なんてのを作った。みなさんの所得税に含まれて徴収されている。銀行預金の金利からも徴収されている。で、19兆円って額を復興に向けて投入したのだが復興以外に使われているってマスコミの意味のない攻撃が行われている。
 復興税は使い放題の税制として立法されているので「何を、いまさら」って感じだが、立法府の政治家先生は官僚の省庁の利益既得権に貢献してるってことだ。法文には「東日本大震災からの復興に向けての日本経済の拡充」って条文が潜んでいるのだから合法なのだ。それを心情的に「復興に関係ない」と批判しても的外れだ。
 要は税金は取り放題で「しろあり」がじゃぶじゃぶ使っていることに物事の本質がある。そこに切り込むマスコミは皆無だ。


一本に取りまとめる手法が問題
 現地の違憲が集約されないから手を打てないってのが中央官庁の主張だが、そこには縦割り行政の責任のなすりあいが見え隠れする。税金を投入するのだから民意を集約せよってのは一理あるように聞こえるが、実態は物事を後手後手にしている元凶だ。先に書いたようにマネージメントが行われるのなら、この2年の間に復興対策として様々なことが着手されPDCAのサイクルでスクラップアンドビルトが行われたはずである。それを意見集約を待っているものだから、2年の年月が意見を変化させてしまい、一向に意見集約が出来ない状況を招いた。
 一度決めたら「猪突邁進」って手法がこれだけ復興を送らせた。そもそも官僚機構は前例主義で先のPDCAマネージメントが出来ない機構だ。2年の歳月は、まず着手して効果を見直しながら最善の解を得るには十分な歳月だったのだ。それを、まず大量の予算ありきで19兆円(自民党はこれを24兆円にする予定だが)の大半をつぎ込むものだから「しろあり」が繁殖しただけの復興対策になってしまった。
 「大局俯瞰、小局着手」の姿勢が見られない。これは民主党政権から自民党政権に変わっても同じだ。発想の原点が間違っているのだから、その先に構築される計画は砂上の館だ。阪神大震災の教訓が生きていない。しかも、今回は福島第一原発の事故もからんで環境省が首を突っ込んでくるから事態はますますカオスの世界になってしまう。
 町を現在の市街地に再建するのか新たに高台に移転するのか、これの意見集約なんか出来る訳が無い。昔は長老が意見の調整を担ったが、その長老が今回の震災で亡くなったり、役所の動きの鈍さで役割を放棄したり現実的な動きはお願いできない状況だ。そこでは役所が一番嫌う「試行錯誤」が必要になる。
 住宅問題に終始するあまり、商業施設、つまり働いて収入を得る場の再建が後回しになっている。この部分は民間の力だが、土地をかさ上げするまでは建物を建ててはいけないとか規制が2年も放置されたまま続いている。
 たとえ仮設住宅からの通勤であっても、働く場があれば町は自然と再建されていく。働く場が無ければ住民は町を去っていく。働く場の再建が最優先なのだが、こちらにはまったく手つかずだ。
 福島第一原発の事故と震災事故を合わせると31万人もの人が避難生活を強いられている。それも2年も手つかずで放置状態だ。
 政治の歯車が役所の手法に組み込まれて手も足も出ない状況だ。先の大東亜戦争で軍部の勢力に手も足も出なかった政治の轍を繰り返している。
 人間は歴史に学ばなければ進歩は無い。

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2013.03.12 Mint