大学教育の再生が第三の矢になる

1185(いいはこ)作ろう鎌倉幕府
 中学の教科書が改訂になり、特に歴史については各論併記型が多くなっている。鎌倉幕府の成立は「1192(いいくに)作ろう鎌倉幕府」だったのだが、これもあやふやになってきた。
 源頼朝が朝廷から征夷大将軍に任命された年が1192年で、この時に武家政治が始まった。それが鎌倉幕府で、これをもって鎌倉幕府開始とするってのが今までの教科書の解釈であった。しかし、実質的には壇ノ浦の戦いで源頼朝が「守護」、「地頭」の制度を朝廷に実現させるように迫った段階で武家政治の制度設計が終わっており、実質的に「幕府」がスタートしたのが1985年って説が「いいはこ作ろう鎌倉幕府」となった理由だ。
 ではどっちが正しいのか。実は世の中は正解の無い事柄が多い。プロセスは同じでも選択される結果が一つでない。そこで、「答えなんか無い」って教育を進めるべきだ。
 答えを教えてペーパーテストで記憶力を試す。その方式は必要悪として入学試験等で使われるのは制度設計として合理的かもしれない。しかし、あくまで入試って制度に対するもので教育って切り口からは歓迎されるものでは無い。何故ならば、世の中には答えがない、だから知識を得て、知識を元に自ら考えなくてはいけないってのが教育の原点なのだから。
 大学での講義で最初のガイダンスにこのような表を使って説明している。(pdfファイル
 大学で知識を得るが、人生において必要な知識は
1)意味記憶
 社会の常識。皆が共通で知っている知識。1+1=2とか読み書きそろばんの知識。これは教科書に書いてある。
2)エピソード記憶
 経験を通して知り得る知識。スタンダ−ルの「恋愛論」を読むと恋愛が上手に出来るわけでは無い。経験することでしか入手出来ない知識はある。但し、小説を読んだりすることで、疑似体験して得られるエピソード記憶もある。
3)手順記憶
 自転車に乗れるとか、バッティングが上手だとか、実際に体験して、反復練習して得られる記憶もある。エピソード記憶が「型にはまる」ような記憶が手順記憶。

社会人に求められる素養とは
 大学で上記の3種類の知識を得たとして、それを実社会で判断力として生かせなくては社会人失格である。ここで判断を間違うのは多くの場合前段の知識が不足しているから。加えて、判断をしたことには責任が伴う。失敗したら「ごめんなさい」では無く「すみません」。つまり、今の状態では済まされないから何らかの善後策を講じるのが社会人の責任。自分の責任まで含めて知識の充実が必要になる。単にペーパーテストで良い成績を取るのが勉強の意味では無い。
 とまぁ、ここまで説明して「何か質問は無いか」と聞いても今時の学生はコミュニケーション能力が稚拙なので質問は出てこない。そこで「では、こちらから質問するけど、判断をするときに一番必要案ものは何だろうか。さっき知識が必要と言ったけど、それ以外に何がある。」
 この時に学生は一斉にスマホを握りしめてググル。(笑い)
 学生に当てると「情報」なんて答えるのはググッタ結果だ。
「ネットが普及して答えを探す便利なものが沢山あるけど、そもそも、世の中には答えのないものが沢山あると思わないか。自分探しの旅ったって自分を探せるのだろうか。だから探すのでは無くて考えないとならない。そこで、今日の課題は「自然と天然」は何処が違うか出席登録画面のコメント欄に書いて提出してください。このコメントが無いと出席扱いにしません」
 てな講義を14回繰り返す。「地球は1年間に何回転するか」とか「氷点と融点が同じって何故なのか」なんかを出題する。
 学生の1割は課題がおもしろくて自分で考えてコメントする。残りの9割はその答えの丸写し(笑い)。


新人教育に膨大なコスト負担
 新入社員が入ってくると社会人としての基本教育に時間をさかれる。その後は職場教育。そして少し事情がわかってくればOJT教育で、だいたい1年間は新入社員は戦力にカウントできない。カウント出来ないばかりか、大学と違い給料を払って勉強させている。企業にとって、せめて一般的な社会人教育は大学のインターンシップで身につけてもらいたい。各社にある社風は別途教えても良いが一般常識まで面倒見切れないってのが本音だ。
 なによりも、常に考えて知識を吸収する姿勢を身につけてもらわないと困る。教えてくれるのが当然だみたいな若者は多くて手を焼く。自分で考えろと言うと職場放棄で対抗してくる。
 根本的問題は大学で考える力を育成していないことにある。前にも書いたが大学の小学校化は1)出席率70%以下には単位をやらない。(結果、学生は教室に雑談しに来る)。2)試験で単位を与える(結果、カンニングまがいが横行する)。3)学生は顧客だと思っている。(だから、単位を出すのは当然だと勘違いする)
 これが、全て文科省の指導のもとに大学の現場で実施されている。
 社会人に育て上げるって基本が欠如しており、専門性重視のために将来役に立つとは思えない知識を詰め込む。明らかに時代の変遷により淘汰される学問も学会があるからとカリキュラムに組み込まれている。正直言って、「情報」に関してはまったく出来ていない。大学のパソコンがoffice2010になったのだが、非常勤講師の「テキストはoffice2003を前提にしてるのでXPモードでoffice2003も動くようにしてくれ」って要望が通ってしまう。(本末転倒だろうに!)
 自分で考え知識を吸収する人材を大学は育てるカリキュラムを組むべきだ。昨今リカジョのように理系女子学生が注目されるのは、女性特有の「好奇心」が会社に慣れるのに向いているからだ。男子学生にはこの「好奇心」が弱い。
「好奇心」を植え付けるのも最高学府としての大学教育の目的だろう。それによって自らの進路を決めるのだから。
 今の大学教育は責任の無い時間つぶしだ。だったら、70%も出席させる必要は無い。日本一周の旅でもしたほうがよっぽど社会性が身につく。義務教育を教育改革しても結果があらわれるのは何十年も先だ。だから、無責任に制度改革するのだろうが、大学改革は4年で結果が出る。短期勝負だ。4年先の日本を見据えた大学教育の改革が必要だ。

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2013.04.10 Mint