橋下徹大阪市長は何をしたかったのか?

歴史認識以前の不毛な政治活動
 「従軍慰安婦」ってのは戦後の造語である。千田夏光氏の作による1974年の日本映画の題名に初登場した。その事実が有ったか無かったかは歴史の事実として無かった。何故なら先の大東亜戦争当時にその言葉が無かったからだ。「従軍記者」とか「従軍カメラマン」と同じように「従軍慰安婦」が後付で定義されたのだから。当時の従軍カメラマンや従軍記者を大変侮辱したものだ。
 では、日本国政府としての強制はあったのか。これは「関与は有ったが強制は無かった」と答えるのが正解だろう。まず「従軍慰安婦」って用語はあらかじめ不採用にしておく。そして「慰安婦」問題だが、これは社会の裏面で存在したことは事実だ。ただ、職業として存在した時代があったってのが正しい歴史認識だろう。日本でも戦後1958年3月までは職業として存在した。これを地下に逃れさせたのが売春防止法だ。現実に「風俗業界」ってことで同様なサービスは「職業」として存在している。
 日本は国連人権委員会から「人身売買を止めるように」勧告を受けている。世界ランクで10位に日本が該当する。主に外国籍の人身売買で日本が買う側になっている。フィリピンや中国からが多い。仕組みは、例えば「日本で就労出来るようにするから手数料を払え」と持ちかけ、法外な手数料を借金させ日本で働かせる例が中国で多い。本人の就労を止める権利が行使できない状態を人身売買と呼ぶ。つまり、奴隷化だ。
 で、慰安婦に戻るが国際社会で日本軍の関与した慰安婦が「性奴隷」と表現されるのは、このような人身売買が有ったと認識されているからである。本来はcomfort womanと訳されるものが、sex slaveと訳されて伝わっている。(これには韓国のアメリカでの宣伝活動に負うところも大きいが)。
 ま、これも民間ベースでは有ったのだろう。借金のカタに人身売買って時代は諸外国の歴史を辿れば必ずその時代があった。そもそも人類最初の職業は売春であったとの説もある。どこの国も「たたけば埃の出る身体」って点では同じだ。
 このような背景を踏まえて橋下徹大阪市長の発言を検証してみよう。

「世界の何処でもやっている」発言
 正論と言えなくも無いが「世界の何処でも」には歴史観が欠如している。戦争って何かをまるで知らない戦後教育の欠陥が橋下徹大阪市長に典型的に露われている。世界の歴史は戦勝国によって書かれているってのは歴史の常識だ。
 日本国内ですら歴史は勝者によって書かれている。だから、坂本龍馬が明治維新の時にまったくその存在を知られなかったのは、まさに、勝者が歴史を書くからだ。
 「世界の何処でも」は、その歴史が勝者か敗者かで違う記述になるって歴史のイロハを知らない素人の発言だ。戦争の敗者が勝者をなじっても、それは負け犬の遠吠えでしか無いのは、まっとうな歴史観を持っていれば理解できる経験則だ。
 戦争に負けた日本って歴史の事実に立脚して、戦争の時代を「国際的に」語らなくては国際的に受け入れられない。沖縄のアメリカ軍に「風俗の利用」を勧めたなんてのは歴史観以前のアメリカ軍規の理解も無い無知な発言だが、日本は敗戦故にsex slaveと書かれ、米軍の同様な機能はcomfort womanと書かれる。
 これは敗戦国の宿命だ。何故なら、再度繰り返すが歴史は勝者によって書かれるからだ。
 その歴史のイロハも知らずに発言する橋下徹大阪市長の歴史観には驚くが、そもそも「維新の会」の共同代表であり、弁護士の法廷弁論の場面とは発言の扱いが違うって自覚が無いのだろうか。弁護士出身の政治家は多いが、大成した政治家は居ない。弁護士として自己主張が政治家の姿勢と相容れないからだろう。その意味で弁護士出身だが弁護士を捨てた政治家にはそこそこまで上り詰めた人は居る。
 そもそも、今の価値観で歴史を裁くなってのは歴史観の基本で「過去に女性の人権を無視したのが慰安婦だった」てのも価値観の矛盾を含んでいる。売春がビジネスとして表世界に有った時代の価値観と、裏社会になった現代の価値観を取り違えてはいけない。
 世界の常識でも売春は否定していない。唯一、そこに強制があってはいけないとしか言っていない。強制とは、本人が辞めたいときに辞められない状況、つまり人身売買があってはならないって事だけだ。
 ある種、世界の常識は売春をビジネスモデルとして否定はしていないのだ。ただ、それは政治家が扱う政策とは相容れないものだ。


戦勝国の歴史を手に入れる
 どう転んだって、人類の歴史は勝者によって書かれ、それが後生に伝えられている。では、自らの歴史観を(国民のコンセンサスが有る前提だが)人類の歴史に書き加えるにはどうすれば良いのか。
 それは戦争に勝利することだ。過去に2つの大きな戦争を体験した人類は21世紀になっても同じ戦争を繰り返すことは無い。つまり戦争の内容が変化した。
 経済が戦争にとって替わり、その勝者が20世紀の「戦争の勝者」と同格になった。
 大東亜戦争を戦った日本とアメリカが、現在のような同盟関係にあるのは、戦後のアメリカによる洗脳教育もさることながら、経済戦争でWin-Winの関係が作られたからだろう。戦勝国と敗戦国って立場でありながら、朝鮮戦争に代表される「さらなる共通の敵」と経済交流によるWin-Winが歴史の事実を超えた相互交流の原動力だろう。どこの世界に非戦闘員30万人を原爆で殺された国と殺した国が軍事同盟を結ぶだろうか。それは唯一、相互のWin-winの関係があるからだ。
 韓国や中国がいまだに慰安婦問題を持ち出すのは相互にWin-Winの関係が無いからだ。「ゆすってたかる」か「被害者づらする」ことが国益である。特に韓国は親中国路線をとっているので、中国の国益に叶うことは韓国の国益にも叶うと考えている。
 戦わずに独立を果たした韓国や、棚ぼたで戦勝国の仲間入りを果たした中国共産党は「勝者の歴史」を主張してるのだ。これに真っ向から反論しても意味がない。それは「勝者の歴史であって真実は違う」と言うだけで良い。世界の常識人はそのことを納得するだろう。
 そして、政治家は日本を戦勝国にするリーダでなくてはならない。日本が無ければ自国の経済が回っていかない仕組みを作るのが戦勝国への道だ。それは技術立国を目指すことだ。人材流出に歯止めがかからない現状で、それでもサムソンに負けない技術は沢山ある。それを生かし、さらなる技術の発展を目指す政策を進めるのが政治の仕事だ。
 ま、橋下徹大阪市長は日本が敗戦国であることすら詭弁を労して否定するかもしれないが、これは弁論では無い、事実だ。事実を踏まえて相手を利するような行為を行わず、未来志向で戦略を練る。それが政治家の仕事だ。故に、橋下徹大阪市長には政治家の素養は無い。今回の騒ぎが何をもたらしたのか。とても国益を拡大したとは思えない。

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2013.06.04 Mint