政権交代可能な2大政党は無理
今回の参議院選挙に先立つ2012年12月の衆議院選挙で自民党が圧勝したが、これは政権交代可能なアメリカ並みの2大政党制が、実際に政権交代してみたら勉強不足がはなはだしく、所詮、野党は野党やっていれば良いのだと思わせた。
自民党に替わる政権政党が存在したと我々は幻想を見ていたのだろう。そして民主党時代は国会議員がいかに不勉強かを露呈した時代でもあった。国政が政治主導で前に進まないのだから。
だから、自民党政権に戻ったと言っても国会議員の不勉強が解消した訳では無い。あいかわらずの稚拙な政局政治がまかり通っている。自民党の憲法改正素案なんかは地方自治と軍事裁判の記述を含むので完全に落第点だ。新しい憲法から新しい日本像が見えてこない。
競争のない社会は硬直化して保守化して流動性が失われる。昨今のガソリン需要の低迷でガソリンスタンドが減っていくが、確実にガソリン価格は高止まりの傾向にある。生き残ったガソリンスタンドは地域を支配する。政治も同じだ。自民党の一人勝ちで競争力が無くなれば停滞し悪法も国会審議をすり抜けて成立してしまう。
政権を担う野党では無くて、政権を睨む野党が望まれる。現在の野党は内部に潜むお家事情の政治ショーを演じている三文芝居だ。健全な野党、与党を牽制する野党が必要だが、それを担える状況に無い。まともに政策論議が出来る野党が居ない。選挙の時のスローガンは「自民党を勝たせてはいけない」だったが、選挙が終わったらそれは政党の使命であって、ブーメランで国会議員の仕事になるのだ。そのブーメランに打ち砕かれてあえなく討ち死にでは話にならない。
「野党の役割」って事に特化して野党である存在事由(レーゾンデートル)を指向すべきだろう。そして、数の多い野党を目指すべきだ。政権を担える野党は幻想で、これは野党も含めた与野党連立政権で実現するのだ。
野党が目指すのは連立政府
世界の民主主義制度の国を参照すると、そこには野党一党で政権交代する例は少ない。アメリカやイギリスが例に挙げられるが、世界の各国の政治システムを俯瞰すると野党はあくまで連立だ。
マスコミの不勉強を今更述べないが、日本国内では何故か強権を持つ与党と弱小野党って構図で情報が伝えられる。特にテレビ放映がその立ち位置で為されているのだが、基本的に放送免許を与えるのは国(与党)って構造では中国共産党と何も替わらない伝達統制が放送には敷かれている。
逆に新聞はそれが無い。それぞれの立ち位置を明確にして情報を伝達するのが新聞の使命なのだが、放送局を傘下に持つので放送法の規定を必要以上に受けて「立ち位置」を歪めている。
そもそも紙である新聞紙は政党の広報機関として立ち上げられたので、立ち位置は表明する義務を負う。にも関わらす、放送事業に手を伸ばしたので放送法の規定を受ける。電波は紙より営業的に高い存在なのだから。
放送法の規定する「不偏不党」は新聞社には適用されないのだが、放送局の大株主が新聞社って現状では、親元である新聞社が「不偏不党」に陥り立ち位置が不明確になっている。放送法を遵守するのなら、新聞社は放送局の経営から撤退すべきである。
で、新聞社も「健全な野党」の一員でなければならない。前述のように日本の新聞は政党の機関誌に端を発している。その出自を失った新聞社経営が昨今のマスゴミ問題を招いている。多方面の「不偏不党」を伝える余り毒にも薬にもならない報道に徹してしまったのだ。
実は、マスコミは第四の勢力として時の与党を睨む機能が求められてる。
今の放送法による言論統制を甘受して新聞各社は本来の「野党」の機能を発揮していない。国民からマスゴミに見える最大の経営課題だ。
で、日本には4大紙と言われる新聞社があるが、それぞれ立ち位置は違う。でも、国会はさておいてもこの4大紙は「野党」である。与党を睨むって立ち位置では合致している。
同様に、国会での野党もそれぞれの立ち位置は違うけれど、政権交代するのでは無く、野党を睨む政党って意味では同じ土俵に居る。
どうも、政策一致が野党連合の必須事項って考えてる議員先生が多いようだが、そもそも野党なんだから、与党を睨む勢力としての共同路線は取れるはずだ。所詮、野党、たかだか、野党。その段階で大局に合流出来ないのでは政党としての存在理由すら失う。
ま、全ての野党が世界共産同時革命を信じる共産党なのなら、そんな野党はいらない。