|
首都の顔たり得ない経歴
厚生労働大臣だった事をマスコミは書くが、2度の離婚歴はどのマスコミも書かない。アメリカを代表に西欧では離婚歴は選挙では糾弾される。一人の女性を幸せに出来なかった男が国民の幸せを実現できるかって発想だ。これには一理あると思う。知事のような行政府のトップは都議会である立法府のトップと違い法律実施のための調整を主たる業務とする。厚生労働大臣だった時のトップダウンとは違ったトップダウンが求められる。「戦略」に乗っ取って法律を作る立法府と違い、行政府は出来た法律を実現するために「戦術」を練るのが職務だ。実際の日本の政治は「戦略」無き立法府(国会)が「戦術」の官僚に「戦略」を丸投げしている機能不全が大手を振ってまかり通っているのだが。 地方自治(実は、元衆議院議員の逢坂氏は「東京集中の国政」と言っていたのだが、東京都も1地方自治団体である)の基本は行政機能である。本来、地方の独立性を重んじてしかるべきだが、現在の状況は江戸時代の藩による地方自治には遠く及ばない中央集権である。 東京から日本を変えると言っても、法律の縛りで出来ないことが多すぎて東京もニセコ町も同じ縛りで行政制度は運営されている。人数の多寡は別にして生活保護なんかは国の補助金に依存した地方自治の「事務処理代行」なのは何処の自治体も同じだ。 その状態の中で舛添要一氏が新風を吹かせられるのか。はなはだ疑問だ。東京都はスポットライトを浴びる機会は多いが、所詮、地方自治体の枠を出てはいないのだから。 |
2014.01.10 Mint
|