日本のエネルギー政策には「戦略性」が無い

実は戦略性は国防にあった
 もはや歴史の中でしか語られない広島、長崎への原子爆弾投下の技術開発の根源であった「マンハッタン計画」だが、これをなし得たアメリカはその後、冷戦状態にあるにも関わらず「核の平和利用」を提唱してきた。
 その骨子は原子力を発電に利用して電力エネルギーを得ようとの考え方だった。原子力を爆弾として利用するよりは民間の需要である電力供給するエネルギー源として位置づけたものだ。
 もっとも、ボタンの違えがあって、原子力の平和利用は原子力発電によって核兵器の原材料であるプルトニウムの製造施設だってことを公にしなかった。
 日本が原子力発電を政治的な判断で 進めてきたのは、各電力会社が再処理を通して保有しているプルトニウムが核兵器の原料として様々な国が欲しい原材料、もちろん日本政府も核武装するには必要な原材料を得られるからだ。
 原子力発電は民間企業である電力会社に「安価な発電の仕組み」として導入されたが、基本的に国の「核武装」にとって有意義な国防の手段としてプルトニウム原発の原料供給としての原子力発電であったので「原子力村」を組織した、これも「政策」であったのが明らかだろう。
 つまり、国の原子力発電に対する考えは「プルトニウムを得る手段」と考えている層が存在する。その発想が「公策民営」と言われる原子力発電を取り巻く事情で、これを「原子力村」と呼ぶ。ただし、マスコミの一部はこの「原子力村」の構成員だったりするのだ、具体的に読売新聞社だ。
 プルトニウムを日本国内に保持するためには、そして原子爆弾を日本が保持するためにはアメリカの「原子力の平和利用」を受け入れて、日本がモデルケースになって原子力発電を率先する、但し、裏ではプルトニウムを蓄積するって構造が日本の政治的な原子力政策である。

戦略は変化する
 原子力発電は裏では国防の戦略だったのだが、1989年にベルリンの壁が崩壊して冷戦構造が変化し、必ずしも日本の国防を原子力兵器で担保する時代では無くなった。
 では、当時国内で稼働してた55炉の原子力発電は何を「国策」とすれば良いのか?実はここで国策は放棄された。つまり、「国策民営」の舞台から国が降りたのだ。電力各社においては「二階に上げて梯子を外された」て状況だろう。
 その典型が事故を起こした福島第一原発の1号機の「稼働40周年記念」だろう。そもそも、原発は設計寿命を40年と想定して稼働開始した。にも関わらず「まだ、使えるだろう」ってことで稼働を続行したのが福島第一原発だ。歴史にifは無いが、設計寿命を全うしたってことで廃炉処理に取りかかっていれば福島第一原発の少なくとも1号機の水素爆発は無かったのだ。
 これが、国が国策を放棄した証左だ。原子力兵器を生み出す原子力発電って価値を失ったので電力会社の意向を放置した結果だ。国防の見地から原子力発電所を考える必要が無くなったのだ。原子力発電は各電力会社の事情ってことで「国策民営」の路線から国策は降りた。
 で、その実情を担ったのが経験不足の民主党って構造が今回の福島第一原発事故の不幸だったのだ。そもそも、当時の民主党は「国策民営」の原子力発電を理解していなかった。当時の枝野通産大臣は大臣を受ける時に「日本は人口減少により経済は縮小していく。その考えの私が大臣になて良いのか」と野田総理大臣に語った通産大臣でる。国策と民営の間(はざま)でバッサリと国営部分を切り捨てた。
 これは電力各社にはまさに屋根に登ったらハシゴを外されたてことだろう。
 そもそも民間に委ねて「国策民営」の構造は前例主義の官僚の社会では受け継がれるのだうろだけれど、時流の変化に対応する国策を官僚は構築できてない。


世界の原子力発電の状況
 日本は福島第一原発事故の経験から原子力発電に対して「原発ゼロ」のような世論が形成されているが、世界の原子力発電への戦略は核ネルギー利用は「推進」だ。
 電力は人類が利用するエネルギーで現在は最良のものだ。全ての情報機器は電力でで稼働している。発展途上国でも食料問題を抱えながら情報伝達に電力は欠かせないエネルギー源だ。
 昔はラジオが情報伝達の機器だった。画期的ではあったが、マクルーハンが言うようにラジオは「民族の太鼓」の面はいなめない。他国の言語で語られるラジオからの音声は恐怖心を育成した。
 世界が原子力発電の戦略を本当の「平和利用」に焦点を当てているのは「中国」対策だ。そもそも、原発の原料をトリウムに求めたのはマンハッタン計画の延長線上にプルトニウム生産の道具としての原子力発電があったからだ。原子力兵器の原材料の生産のために原子力発電は恰好の隠れ蓑だった。実際、発電効率って面で考えると現在の原子力発電は核の持つエネルギーの30%しか電力に変換していない。残ったエネルギーは廃熱として地球環境に放出されている。
 一方、天然ガスを利用したコンバインド発電ではエネルギーの70%を電力に変換している。原子力発電は廃熱により地球温暖化(が、あるとして)を加速してるのだ。
 にも、関わらず、人類のエンルギー利用に核エネルギーは避けて通れない。だから、今後エネルギー需要が高まると想定される中国のエネルギー源は核エネルギーだ。アフリカを筆頭にいわゆる発展途上国のエネルギー供給政策も核のエネルギーの利用だ。

核エネルギー利用の国際技術
 先に述べたようにウラン利用の原子力発電は核武装と表裏一体の攻防の国策であった。そのために、国策民営でプルトニウムを生産する原子力発電を日本は国策としてきた。
 しかし、東西冷戦構造が終焉した今の時代に、核武装が日本の安全保障にしめるウエイトは少なくなった。原子力発電を国防と切り離す時代に突入している。
 真のエネルギー問題って俎上で考えると、実は中国のエネルギー政策であるトリウム原発がこれからの世界の原子力発電の趨勢だ。原子力発電は国防のマターから離れて、純粋にエネルギー問題になるのは明らかだ。その世界の情勢を見ながら戦略的に原子力発電構想を積み重ねるとトリウム原発に行き着く。
 既にアメリカで実証実験が成功し、インドが実用化試験を始め、中国とアメリカが実用に向けての共同開発を進めている現状を踏まえれば、日本は2歩も3歩も遅れている。
 オーランチオキトリウムもトリウム原発も、官僚の「失敗したくない」消極性で日本では研究開発が滞っている。その官僚の仕組みを打破するのが政治だろう。日本が国際的なエネルギー技術の最先端に立つためには、選択と集中である。官僚の特に文化系の安泰主義を打破する政治主導の科学技術立国としての日本の国際的に打って出でるエネルギー政策が望まれる。

button  原子力平和利用のプリンシプルを再確立すべき
button  日本のエネルギー問題を解決する二つの「トリウム」


2014.02.17 Mint