「集団的自衛権」は日本人だけの訛り言葉

護憲でガチガチの論理
 憲法九条を根拠に集団的自衛権を認めない論調は個別的自衛権は容認するつもりなのか。そもそも憲法九条を語るのならば現在の自衛隊が憲法違反かどうかを語る必要がある。これを「憲法解釈」で個別的自衛権は国連憲章で保障されてると逃げるのはおかしい。そもそも国連憲章には個別的自衛権と集団的自衛権の区別は無い。self-difenseのみ明記されている。日本のマスコミが勝手に造語した話をコピーして脳にペイストしているCPBS(コピペ脳症候群)に感染してるのだ。
 憲法九条を差して「世界に唯一の平和憲法」って言っているのもCPBS(コピペ脳症候群)の症状だ。各国の憲法に戦争放棄は記載されている。
韓国の憲法第5条には大韓民国は、国際平和の維持に努力し、侵略戦争を否認する。
フィリピンの第二条(2)にはフィリピンは国家政策の手段としての戦争を放棄し、そして一般に認められた国際法の原則を我が国の法の一部分として採用し、すべての諸国との平和、平等、正義、自由、協力、そして友好を政策として堅持する。
ドイツでは第26条(1)で諸国民の平和的共存を阻害するおそれがあり、かつこのような意図でなされた行為、特に侵略戦争の遂行を準備する行為は違憲である。これらの行為は処罰される。
イタリアは第11条でイタリアは他の人民の自由を侵害する方法としての戦争を否認する。イタリアは他国との等しい条件の下で、各国の間に平和と正義を確保する制度に必要な主権の制限に同意する。イタリアはこの目的をめざす国際組織を推進し支援する。
 その他沢山の国に平和憲法はあるhttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1091593855
 日本だけが「唯一の平和憲法」って表現はまったく何も勉強しないお花畑のCPBS(コピペ脳症候群)だ。

個別的自衛権と集団的自衛権
 先に書いたように国際法の概念では区別が無いのだが、これを言葉巧みに使って議論の土俵にする輩が多い。そもそも、個別的自衛権と集団的自衛権を区別して議論することが無駄なのだが「もっと慎重に論議を」と唱える人々は議論のための議論が好きなようだ。
 日米安全保障は個別的自衛権だと言うが、1960年代のベトナム戦争当時、日本はアメリカの戦争に荷担していた。嘉手納(当時は沖縄は日本国では無いとの詭弁もあるが)には北爆のB52が多く飛来していたし、一部の作戦では直接北爆に向かった部隊もあったようだ。また、兵站(ロジスティックス)の面では国内の多くの米軍基地が利用された。これは実質的集団的自衛権の行使であり、当時の政府は黙認していただけだ。
 既に集団的自衛権と称するものが実施されていたのだから、今更、新たに仕切り直しすることは時間の無駄だ。
 そもそも護憲派が「憲法を守れ!」と叫んでいることはおかしくて、では自衛隊の存在は「憲法を守れ!」の範疇では存在を否定するのか、肯定するのか、これがありもしない造語の「個別的自衛権」は容認に隠れている。
 そもそも日本は日米安全保障条約で実質的にNATO軍の一員であると見なされている。多くの兵器がNATO共通仕様になっているのも実質的にNATO軍の構成員である証左だ。ただ、NATO軍に厳密には加盟していないのは「同盟国が攻撃された場合、これを自国への攻撃とみなす」との「みなし」が明文化されていない点だ。自動的な参戦規定が無い。もっとも、NATO軍でも「みなし」た後は国会の承認が必要である。何故ならNATO軍はシビリアンコントロールされている民主主義国家しか加盟できないからだ。これが東側のワルシャワ条約機構と大きく違っていた。こちらは1991年7月に解散しているが。
 実は日本が実質NATO加盟国である面が対テロ対策で行われている。イギリスのNATO軍と相互協力状態にあり、情報交換も活発に行われてる。この事実も集団的自衛権だ個別的自衛権だと政治の見せかけの議論が無意味な、そして何も生まないことをあらわしてる。現在の戦争は国家対国家の領地を掛けた戦いからテロリズムによる恐怖による支配に様相を変えてきている。だから、紛争の解決策としての「武力の行使」は70年前と明らかに様変わりしてる。ネットワーク上でのDOS攻撃が「武力の行使」にあたるのかどうかは議論されていない。


政治ショーを食い扶持にするマスコミ
 もう10年以上になるだろうか。テレビでの政治バラエティ番組が活発だ。各局複数の番組を編成している。報道番組とも違いお笑い番組に近い。政治家が好んで出演するので割と手間の掛からない廉価な番組として各局に蔓延したのだろう。
 この種の政治バラエティ番組を最近は見ていないが、当時見ていて一番気になったのは番組後の残尿感だ。結局、番組開始時と終了時で何も変わっていない。ある意味、受け手のこちらがわの知識すら増えていない。まったく、時間潰しなのだ。
 しかし、この種の番組にスポンサーが付くので民放は辞められない。NHKですら、正規の報道と一線を画して政治バラエティ番組を製作している。
 で、対立を演出するために「護憲でガチガチの変な人」がテレビに出てくる。国民の意見を代表するような扱いを行うが、あの「護憲でガチガチの変な人」は国民の代表では無い。諸外国から金を貰って日本を滅ぼすテロリストとして扱うべきだろう。先に書いたように現在の戦争は「テロとの戦い」が主戦場なのだから。
 実はマスコミがテロとの戦いの主戦場である。マスコミを征した者が白を黒と言いこめて支配権を握る。その実態が小泉純一郎元首相が郵政選挙に用いた「B層対策」であり、現在ではコピペ文化の蔓延だろう。
 マスコミは情報を扱っているから現在の「テロとの戦い」の有力な武器を保有してる。特に新聞は赤旗に代表されるようにその歴史が政党機関誌に端を発しているために電波を要する放送とか別で、放送法に規定されている「不偏不党」な義務は無く、言論の自由が優先されるので規制の網が無い。もう一つはインターネットである。こちらはまったく規制が無い。
 ただ、どちらにも共通するのは「馬鹿な事を言ったら馬鹿にされる」ってことだ。商用放送や商用新聞なら購買されなくなる。赤旗のような掛け値無しの政党紙は別だが、他は読者無くては成り立たない。ただ、読者が正確に「馬鹿な事を言っている」と判断できなくてはならない。昨今のコピペ脳では紙面に載ったものを自分の脳に貼り付けるだけなので、この面で既に「テロとの戦い」に1敗してるのかもしれない。
 CPBS(コピペ脳症候群)に陥らないためには、まず、疑ってかかることだ。考えてから必要ならコピペすれば良い、骨髄反射でコピペしていてはテロとの戦いに負ける。
 『日本は世界で唯一の平和憲法を持つ国家』、『憲法遵守を叫べば集団的自衛権は廃案に出来る』、『自衛隊は個別的自衛権だから憲法違反では無い』等々、テロとの戦いに負けてお花畑脳にならないために、なんでもまず、疑ってかかる習慣を身につけることだ。

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2014.05.19 Mint