昔から日本は「戦争のできる国」だった

戦争の定義があいまいな朝日新聞
 集団的自衛権が容認されたら「戦争が出来る国」になる訳では無い。個別的自衛権を認めた時点で「戦争が出来る国」になっている。個別的自衛権は「紛争」で「戦争」では無いなんての詭弁だ。
 朝日新聞や毎日新聞は(東京新聞も加えておこう)マスコミの本来の使命を忘れ「オピニオンリーダ」たらん政党に近い政治結社だ。その記事の内容を精査すると読売新聞の正力氏と同じ体臭が臭ってくる。
 「新聞社は時代のオピニオンなんだから逆らうものは殲滅する」って体質だ。この体質が小保方報道や野々村報道が過熱する所以だ。「天に代わりて悪を絶つ(軍歌)」って体質が紙面に満ちあふれている。それは世間では「ひとりよがり」と呼ばれる行動なのだが、前述の3紙は「正義」と思っている社風がある。
 一例としてマスコミの「米の関税は736%もある」って捏造がある。米の関税は重量課税なので1kg当たりなんぼ、なのだ。それを安い米を例にして736%って、その米はクズ米以下だろう。こんなの国税局のホームページを見れば明らかなのにクズ米の関税で世論をミスリードする。
 議論で難しいのは「明らかな嘘」は相手から指摘されるが「嘘くさい表現」は指摘しても重箱の隅をツツクような議論になるので相手は突っ込みを入れない。故に「嘘くさい表現」を上手に使うのが前述の新聞社の常套手段だ。
 先にも書いたが、日本共産党は「憲法9条堅持!」「アメリカの言いなりになるな」で馬脚を現してる。日本国憲法は「アメリカの言いなり」で制定されたのは歴史の事実なのだから日本共産党の意見には矛盾がある。しかし「嘘くさい表現」で憲法9条を変更するのはアメリカの言いなりになることだとの論理を全面に出して正当な意見と思わせようとしている。ま、日本共産党は簿記も出来ないようで「内部留保をはき出せ」とも言うので花畑な世界に住んでるようだが。
 情報リテラシー(感性)教育の中で一番大切なのは「相手の嘘を見抜く力の養成」なのだが、平和ボケしてしまうと相手の意見はすべて正論と思い受け入れてしまう。これが「コピペ脳」の構造的欠陥で何でも丸暗記で吸収する教育の弊害。自ら考え相手を疑うって思考を放棄している。
 そもそも相手は何故「嘘くさい表現」もしくは「嘘そのもの」を伝えてくるかを考えると、それは「人間は自分の利益のために平気で嘘をつく」に行き着く。つまり「嘘」は相手の利益のために発せられ、決して受け手の利益にならないってことだ。その視点でマスコミを含めた他人と接するのが情報化社会を生き抜くための情報リテラシーだ。

日本は何時でも戦争ができた
 小学校の授業で教わる「物が燃える3原則」を覚えているだろうか。1)燃える温度、2)酸化剤(空気)、そして3)燃える物の存在だ。
 戦争を狭義の武力行使とした時に、日本は警察予備隊から自衛隊に変わった武力を持った時から「戦争ができる国」になった。いまさら「集団的自衛権」うんぬんで内容が変わるものでは無い。
 日本は自衛隊を持った時に「戦争のできる国」になったし「戦争を国家間の紛争の解決策(憲法9条違反)」にできるようになった。
 いまさら「戦争のできない国」から「戦争のできる国」に変わったのでは無い。
 つまり、朝日新聞の表現は「嘘くさい表現」で自分に為にする論議だ。
 それでは何故、自衛隊を保持してから日本は「戦争のできる国」であったにも関わらず戦争を行う国にはならなかったのか。朝日新聞のようなクダラナイ・スローガンを捨てて考えてみよう。
 実は先に書いた「物が燃える3原則」と同じように戦争に至る原則と平和に至る原則は同じエレメント(要素)で構成されている。
 少し回り道をする。
 国際政治の経験則に「民主主義国家と民主主義国家の戦争は起きたことは無い」ってのがある。ま、経験則だから「想定外」で起きるかもしれないってツッコミは甘受するが。逆に「独裁的国家と民主主義国家の戦争」は過去にも例がある(その正当性はここでは吟味しない)
 戦争が起きる3原則を考えてみよう。逆に言えば3原則がすべてONにならなければ戦争は起きないってことだ。
 1)双方民主主義国家か
 実は「民主主義国家とは何か」を定義しなければならないのだが、これは(1)健全な投票制度で国民の意思が政治に反映される。(2)少数でも野党が政治勢力を保っている。(3)武力がシビリアンコントロール下にある。
 だと思う。つまり、今の日本とアメリカが戦争しないのは、1940年代の政治構造と明らかに違う故だ。曲がりなりにも民主主義政治が機能してる国家間では戦争は選択されないのが国際政治学の経験則だ。
 2)国家の存続が危ういか
 日米開戦、広い意味での大東亜戦争は油と鉄を禁輸にしたアメリカに非があるとの説もある。一因ではあると思う。国家の存続を脅かす締め付けは時として窮鼠猫を噛む事態に発展しかねない。但し、民主主義国家同士では経済制裁は相手の国家破綻を招くまで行われることは無い。その意味で北朝鮮への制裁措置は実効を上げつつあったのかもしれない。
 3)国内制圧が限界か
 内部事情で戦争に至る場合がある。実は先の大東亜戦争でも発端の大陸侵出には国内の凶作で東北あたりの小作農に餓死者が出るほどの状態があった。その打開策に大陸侵出が政策として選択された。国内事情が戦争を引き起こす場合もある。


今後も「戦争しない国」にするには
 前述の3原則を考慮すると日本は戦争を仕掛けることは無い。が、仕掛けられるリスクは多い。中国、北朝鮮を筆頭にアジアには「健全な民主主義国家」は以外と少ない。日本の近辺では韓国、中華民国(台湾)、インド、シンガポール、スリランカ 、東ティモール、フィリピン、マレーシアあたりだろうか。1党独裁と三権分立が行われていない所を除くとこんなもんだ。
 中国が抜けているが、中国は共産党の1独裁だ。これと国境線を接するベトナムも共産党の1党独裁だ。同じくラオスはラオス人民革命党による社会主義1党独裁だ。
 先の「戦争に至る3原則」に鑑みれば中国とベトナム、ラオス当たりで戦火が上がる公算が大きい。
 憲法9条の変更も必要だが、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞が存在する時代には憲法改正はできないと思う。何故なら日本人の持つ文化に「判官贔屓」と「横並び」が有るから3紙は巧みなマーケティングで商業マスコミを成功させている。
 彼らは先の大東亜戦争で大本営発表に荷担し、独自取材でも「嘘くさいもの」を報道してきた。
 一番のマスコミの問題は責任逃れした昭和21年のNHKの番組「真相はかうだ!」だろう。マスコミは言いたい放題するが責任をとらない。朝日新聞の従軍慰安婦報道が捏造だったのは明白な事実だが朝日新聞は謝罪もしない。
 個別的自衛権も集団的自衛権も大差は無い。いや、同じ物なのだ。
 その中で「戦争をしない国」であり続けるには、「先の戦争に至る3原則」を睨みながら「健全な民主主義国家」を形成することだろう。
 アメリカ大統領だったジェファーソンが言ったように「情報は民主主義の糧である」。今の日本では情報を扱うマスコミがこの体たらくでは「健全な民主主義国家」を危うくする。
 日本は自衛隊を持った時から「何時でも戦争の出来る国家」なのだ。ただ、民主主義とシビリアンコントロールがそのスイッチをONにしなかった。
 その民主主義を支える情報を危うくして嘘を広める新聞社は、戦争に荷担しているのだ。「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」これはドイツのビスマルクの言葉だ。大東亜戦争に荷担したマスコミは歴史に学ぶべきだ。
 諸外国のジャーナリズムを学び、早く「瓦版屋」から脱皮すべきだ。

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2014.07.09 Mint