アメリカの衰退はトリウム原発とともに

書籍の読後感だが

2011年頃までのアメリカのトリウム原発をめぐる動きをルポした資料。kindle版のほうが安いが、紙媒体版もある。
 kindle paper whiteを買うと紙媒体との差額で数冊で元が取れるのでkindle本はお薦め。
 詳しくは本書を読んで貰いたいのだが、情報がほとんど流れないトリウム原発の現状を1940年の「マンハッタン計画」から2011年時点まで捉えた最新のトリウム原発情報に関する書籍である。
 原子力村の長い歴史の中で抹殺されてきたトリウム原発技術とはどのようなものなのか。文系と思われる筆者の核反応を一から説明する力作である。
アメリカが第二次世界大戦時に「マンハッタン計画」を実行して原爆を作り、戦争末期に広島と長崎に原爆を投下したのは歴史上の事実だ。この時、広島へ投下された原発はウラン原発、長崎に投下されたのはプルトニウム原発である。
 この「マンハッタン計画」開始時点で原爆の製造方法は解っていた。解らなかったのは材料である濃縮ウランや自然界には存在しないプルトニウムの製造技術である。一部には「マンハッタン計画」を原爆製造計画と広義に解釈しているが、実際の「マンハッタン計画は」材料製造の巨大プロジェクトであった。
 学者が元素を分離するには巨大な電磁石が必要だと言ったので銅線を沢山作るために銅を入手しようとすると銅は戦時配給物質で入手が困難であった。で、プロジェクトのリーダーのグローブスは税務局に乗り込んで「銀を4トンくれ!」と言った。言われた財務局では「おまえなぁ、銀はトロイ・オンスで言ってくれないと解らないよ」と言った事態が日常茶飯事のまさに国家を上げた巨大プロジェクトであった。そしてその目的は濃縮ウランの入手とプルトニウムの製造、加えて、新たな原子爆弾の原料としての核分裂物質の調査であった。
 この時にトリウムも調査対象になった。しかし、当時は原爆の材料としてウランかプルトニウムを前提に設計が終了していたので、トリウムを積極的に原爆の材料として研究する余地は無かった。

政治的判断による原子力艦原子炉
 アンゼンハワー大統領(当時の)原子力平和利用(Atom For Paece)のかけ声は原子力発電と言うよりも原子力船、特に原子力潜水艦の動力源として原子炉を開発する背景から発せられている。もちろん、この原子力潜水艦で実用化したのが今のPWR(加圧水型原子炉)で、これは広く世界の原子力発電の原子炉として使われている。発電以外に各国は原子力動力船を持っているが、アメリカ軍は空母11艘(通常原子炉は2基/艘)と原子力潜水艦で57基の合計68基の原子炉を持っている。この全ては多少の違いはあるがPWR型原子炉である。
 原子力船の動力としてはプルトニウムを生み出すウラン原子炉でなくても戦争中に可能性が指摘されたトリウム原子炉でも良かった。その意味で、一時期はアメリカは双方の原子炉研究に研究費を投入してた。
 しかし、当時は冷戦の時代で核兵器配備を拡充するにはプルトニウムが必要であった。プルトニウムは自然界にはほとんど存在せず、濃縮ウランを材料に核反応を起こさせて(当然、この時に熱が出るので、これでボイラーを炊いて発電タービンを回すことができる)精製するものなので、ウラン燃料原子炉が必須である。
 トリウムを燃料とする原子炉では強いγ線は出るが現在設計済みの核爆弾の原料であるプルトニウムは生成出来ない。微量生成されるが強いγ線のために分離工程を設けることができない。つまり、トリウム原発は現在問題になっている核拡散防止に有効なのだが、当時の時代背景は真逆であった。核兵器の増産には民間も原子力発電で巻き込んだプルトニウム生産が必要であった。そのため、軍事主導でトリウム原発の研究は1960年代中盤に完全に研究費を止められて世の中から忘れ去られる。
 本書は1960年代(実に50年も前だ)に忘れ去られたトリウム原発の技術が、時を経て、現在の世界情勢にいかにマッチしたエネルギー源なのかに着目し、その研究の実態を明らかにしている。


アメリカはもう「マンハッタン計画はできない」
 1945年に原爆を投下するまでのアメリカの核兵器に対する研究開発はすさまじい国家事業であった。アポロ計画が先端技術開発を待たずに月に人類を送り込んだバクチ的国家プロジェクトとしたら、マンハッタン計画は周到に計算された科学技術の追試験であった。すでにエンリコ・フェルミらによって核爆弾は材料が入手可能であれば実現可能な兵器。故に、ドイツや日本が先に実現したら、この戦争にアメリカは勝てない。との極秘ではあるが科学的事実に裏打ちされた製造順番競争の国家プロジェクトであった。もちろん兵器であるから採算性なんてのは度外視され、これもアポロ計画と大きく違う所だ。
 トリウム原発がいかに優れた人類の夢のエネルギー源であるかは本書を読んでいただくか、原子力委員会の研究資料を見ていただくとして、この実用化をアメリカは担えないと本書は結論付けている。現在のアメリカの国力は国家プロジェクト的な生産力は極端に落ち込み、iPoneやWindowsのような軽微なプラントすら必要としない、しかし金融的に儲かる産業にしか目が行かない産業構造になっている。だから、重厚長大なプラントを建造するプロジェクトは立ち上がらないし、投資されない。
 一方、エネルギー問題が切実なのは中国とインドである。
 中国はアメリカの技術で(その会社はウエスティングハウスで、現在は日本の東芝の傘下にある)トリウム原発を実用化するだろう。インドは独自技術とヨーロッパの技術を融合させて同じくトリウム原発を実用化するだろう。そしてアメリカは原子力発電所の輸入国になる。
 国家財政が膨大な赤字を抱えるアメリカでは「人類を火星に送り込む」ようなチッポケな国家プロジェクトは起こせるが、人類を今後1000年に渡ってエネルギー問題から解放するトリウム原発技術開発を主導する国家プロジェクトを起こすことは出来ない。
 「何処でボタンを掛け違えたんだ!」が本書籍を通じて著者が一番訴えたかった事では無かったのかと読み終えて感じる。日本も政府なんか頼っていられないって東芝のしたたかな動きに着目したい。

button  原子力平和利用のプリンシプルを再確立すべき
button  日本のエネルギー政策には「戦略性」が無い


2014.07.24 Mint