福島第一原発事故の真実は時間と共に

各種書籍が出ている
 amazonで新しい福島第一原発事故のルポルタージュが出る度に購入するようにしているのだが、最近はkindleを利用しているので一部の電子書籍化していない書籍は入手していない。大きな理由は価格である。
 森林を切り倒して紙を製作し、それにインクで印刷して石油を燃やしてトラックで届ける。届いた書籍は高額なテナント料を支払って入居している書店に陳列して販売される。現在の書籍の流通システムは消費者に本来の情報の価値以外の高額な負担を強いる。その無駄な費用を劇的に下げる電子本だが価格面と電子化されないって2面でまだ情報の廉価な流通には貢献できていない。
 「レベル7――福島原発事故、隠された真実(東京新聞原発事故取材班)」、「メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故 (講談社文庫)大鹿靖明著」等が最近入手できた。また、「FUKUSHIMAレポート 原発事故の本質 FUKUSHIMAプロジェクト委員会 (著)」や大前研一氏のリポートなんかも参考資料として入手している。
 これらの書籍を時系列に並べると、より深い取材が行われているためか、時間を経たもののほうが真実に近づいていると思われる。
 特に最近は共同通信社による「全電源喪失の記憶」が地方新聞を中心に配信され掲載されているので「現場の状況」がよく解る。
 ただ、現場の状況は個々人の体験であり、それを積み上げて全体像を描けるとは限らない。それは、戦争体験を積み上げても戦争の本質は描けないと同じである。しかし、それぞれの場所で、個人がどのように対処したかは貴重な情報であり再発防止への示唆に富んだ情報である。(これは後述)
 共同通信社がどの時期まで描くか不明だが(2014年7月末時点で、2011年3月14日まで書かれている)連載が相当長期に渡ることが想定される。それまでに「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日 門田 隆将 (著) 」を読んでおきたいのだが、kindle版が何時出るかは不明だ。
 同じ福島第一原発事故関連報道で朝日新聞が主にWeb版で公開したのが「吉田調書」のスクープだ。国会の事故調査委員会の調査に協力した当時の吉田昌郎福島第一原発所長の証言である。朝日新聞は調書を併記(現実には、都合の良いところだけの抜粋)して「福島第一原発から吉田昌朗所長の命令に反して800人強が福島第二原発に逃亡した」と書いている。そのような証言は併記されている吉田昌朗所長の調書には無い。『しょうがねぇなぁ、言ってることが上手く伝わってねぇじゃねぇか』くらいの証言しか無い。そもそも、最低限の要員は残した上での「放射線量の低いところへの退避」の判断で、福島第二に「避難」した人の中には事務方で原発操作に一切関係ない要員も多く、朝日新聞の表現する「職場放棄」の職場は原発操作をさすものでは無い。にもかかわらず、朝日新聞社は福島第一原発事故に際し、最も苦労した現場を叩き、組織的問題を露呈した本社体制や当時の菅直人総理大臣を筆頭とした政府の対応の不備には目を向けない。マスコミの好きな個人叩きの腐った根性が遺憾なく発揮されているのが朝日新聞の「吉田証言」だ。ある意味では「朝日新聞らしいスクープ」記事である。

何故、3号機の爆発を許したか(備忘録)
 1号機が水素爆発を起こした時点で燃料棒熔解によりジルコニウムと水が反応し水素が発生し、建屋上部に充満して発火し、水素爆発を起こすことは経験済みだった。当時、斑目委員長は「圧力隔壁は窒素で満たされているので出てきた水素は発火しない」と菅直人総理大臣に進言し、中途半端な知識しか無い菅直人総理大臣はそれを鵜呑みにして何も手を打たなかった(打てなかった)。現実に1号機建屋が水素爆発で吹き飛んだ時点で斑目委員長は「アチャァー!」と叫んだまま絶句したという。この後、3号機に同様の事象が起きることは想定されていた。
 ただ、偶然だが2号機は地震、もしくは1号機の爆発で建屋の側面のブローアウトパネルが吹き飛び、建屋の密封は保てない(だから、水素はダダ漏れ)状態だ。問題は3号機で、中越地震で柏崎刈羽原発のプローアウトパネルが外れたので、福島原発ではがっちり補強してあっのだ。補強されたプローアウトパネルを放射線量が高い建屋の階段を上って空けるのは不可能だった。
 この当時、私はテレビ中継を見ながら「あさま山荘事件の時の佐々淳行氏に相談しろ!」と叫んでいた。彼は「あさま山荘事件」でクレーンを利用して巨大鉄球を振り回し山荘の壁や屋根を破壊する方法を経験しているから福島第一3号機のブローアウトパネルも破壊する方法を思いつくだろうと考えたからだ。
 実は最近の書籍に、当時の真実が書かれている。
 首相官邸では「原発メーカも呼んでおいたら良い。何か聞くことが出るかもしれない」と東芝と日立の社長クラスを呼びつけていた。東芝は原子力畑の第一人者である佐々木則夫氏(当時、東芝社長)が直々に官邸に来ていた。
 「3号機も水素爆発するか」と聞かれて「間違いなく水素爆発します」と答えた。そして「3号機の壁を高圧放水で壊すと防げる」と進言したが当時の内閣には理解できる者が居なかった。
 枝野幹事長に至っては「1号機と同じ事が起きただけの想定内です」などとしゃぁしゃぁと記者会見で話している。また、真の当事者である海江田通産大臣は5階の総理応接室で終始放心状態で記者会見を枝野氏に任せっきりって状況だったのが証言されている。
 しかし、技術者の心は技術者に解るのか当時、東芝との情報交換がまったく無かった吉田昌朗所長も同じ事を考えついた。テレビ会議を通して本社に高圧放水車の手配を要請した。本社では了解したが、その重要性に気が付かず手配は遅れに遅れて3号機爆発には間に合わなかった。
 これは別項にするが、3号機の爆発は偶然の繰り返しでかろうじて首都圏1000万人避難が回避されたものだ。3号機の爆発で最悪の事態になれば東日本一体は全面退避であり、1号機、2号機も放棄され、益々放射能汚染が全世界にダダ漏れ状態になった。
 原因は4号機に蓄積された使用済み及び使用前核燃料を納めたプールである。3号機建屋爆発はあってはならない事故だった。それを防げなくてもなんとかなったのは数々の幸運に恵まれたからだ。
 逆に言うと、高圧放水を実現できなかった理由を作った者は今頃は裁判にかけられてただろう。それくらい3号機爆発は防ぐことができ。実際の爆発は広範囲汚染に繋がる危険なものだった。
 ちなみに佐々淳行氏に相談できたとして、彼は高圧放水(警視庁機動隊が持っている)を即時自衛隊のヘリコプターで運べと指示したと思われる。安田講堂突入で高圧放水車が学生のバリケードを吹き飛ばす様をよく見ているから。


本当の事故原因(再発防止に向けて)
 事故原因を明確にし、対処し、しかるのち「運転しても安全です」となるのが論理的だが、現在再稼働に向けて行われてる審査は「地震は大丈夫か、火山は大丈夫か、津波は大丈夫か」の東日本大震災で起きた事の後追いでしか無い。それも全て自然災害だ。正直言ってあれだけの大災害は原発の寿命の中で遭遇する確立は低い。
 「テロリストは大丈夫か、ミサイルは大丈夫か、海上からの砲撃は大丈夫か」なんて視点は欠如している。
 それよりも、事故からの復旧(まだ途上だが)時に困難を極めたことを洗い出して対策を講じるのが事故再発(あくまで、自然災害では無くて原発事故である)に向けて最善の(さすがに最高のとは言えない)策ではないのか。
 例えば、阪神淡路大震災後、全国から集まった消防自動車の相互運用が出来ない問題が発生した。そのため、消防では接続ホースの口金の統一化、消防無線の全国統一周波数の設定等、救助で困難が発生した事象を統一規格に改めている。
 福島第一原発の事故原因は未だに明確では無いが私は以下の時系列で再発防止策を講じるべきと考えていた。
2011年時点
 1)築30年を経た原発は廃炉を義務づける。残念ながらこの制度があれば3.11時点で福島第一原発1号機は温冷停止状態であった。(リスクがゼロでは無いがかなり低くなっていた。もちろん水素爆発は無い)
 2)使用済み核燃料の搬出と一元管理の実現。原発と一緒に使用済み核燃料を長期に渡って保管するのは危険だ。使用後は速やかに運び出し集中保管するべきだ。これは、自民党政権に変わっても手つかずだ。トリム原発しか人類に解決策が無いのは自明だが、政治(や、官僚)がイノベーションに無知なので実現していない。
2012〜3年時点
 1)定期運転(平常時)は自社社員で行うが、他は外注依存度が高すぎ。現実に吉田所長が消防車から給水しろと命令しても東電社員は原子炉の吸水口の場所を知らず外注先に教えて貰った。消防のポンプ車の操作もできず、これも外注先に教えて貰った。外注先は放射線量が高いので行けない(一定量を超えると原発で従事できなくなる)と言うのを「一緒に行くから」と本質を理解しない説得工作を行った。
 2)型の違う原発を1所長が管理している。1号機のICや2号機以降のRCICが動いているのか止まっているのか、それによって原子炉に給水がおこなわれているのか止まっているのか、現場が「勝手に」止めても所長に報告が行かない。正直、非常事態を想定した練習が不足している。韓国の国防演習じゃないが、非常事態訓練は抜き打ちで1月に一回は行うことを義務づけたら良い。
 おまけ
 実は福島第一原発から800名もの人間(東電社員+外注先)が福島第二原発に向かった時に福島第二の増田尚宏所長は「一人もここ(緊急対策室)に入れるな、体育館に入れろ」と厳命する。実は、福島第二も当時は「のるかそるか」の状況だったので、放射能汚染チェックだなんだと出入り口でやられては作業できないと考えた即断だった。
 第二原発はたいしたことが無いと報道されているが、確かに外部電源は1系統残っていた。しかし、残った外部電源1系統は原子炉から800mも離れていた場所に配電盤があった。 ここから200名の作業員による人海戦術で電源ケーブル(1m当たり30kg)を運んだ。200名の作業員が必死になったケーブル運びと接続を行い、ベント2時間前に電源が回復し、外部に放射性物資を放出する緊急事態を回避できた。
 現場で「想定外」だから「新しい方法で対処」した人間と「想定外でした」とヘラヘラ笑ってテレビに出ていた人と、同じ東電の社員とは思えない。いかに、東電が官僚構造だったか、にも関わらず現場は命を賭して(吉田所長は文字通りそうなりましたが)戦ったか、我々はその事実を知らなければいけない。

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2014.07.30 Mint