「河野談話」は事後の記者会見発言
いわゆる(あ、これには「いわゆる」はいらないか)「河野談話」だが、文面を読む限りにおいては日本軍(日本国)による強制は無かったと読める。だから安倍晋三総理大臣はアメリカからの助言(強制)により「河野談話は見直さない」と決めた。
では、何故、お隣の国達は(国名を書くとパソコンのキーボードが腐りそうな気がするので、この表現、ただし「達」に着目のこと)河野談話を盾にして日本を批判し、太平洋を越えてグレンデールで嘘八百の「従軍慰安婦の碑」と碑文を建立するのだろうか。
実は「河野談話」の後に河野洋平氏の記者会見があった。この中で日本語独特の用語の定義があいまいな「強制」を使って記者が「では、強制連行はあったのですか」と聞いたら河野洋平氏は「そういう事実があったと。結構です」と答えている。だから、河野談話は文字通り「談話(記者会見)」のことをお隣の国達は指している。現に、事務方トップの石原信雄元官房副長官(当時)は「強制性があったとは、絶対に言えない」との方針で文章をまとめているのだから。
以後「河野談話(記者会見)」とするが、この記者会見での発言が、官房長官が発言したから「間違いない!」(なつかしい、長井秀和ネタだ!)と全世界にエビデンス付きで広まったのだ。
加藤清隆氏によると河野洋平氏は毎朝朝日新聞の社説に目を通すそうだ。何故かと聞くと「今日の演説のネタを仕入れいるんだ」と答えたと言う。つまり、河野洋平氏の情報源は朝日新聞であり、その朝日新聞が記事の取り消しを行ったってことは河野洋平氏の情報源が間違っていたってことだ。だから、河野洋平氏を国会に呼んで「河野談話(記者会見)」における責任を追及し、認めさせ、撤回させなければならないって論理の展開に(間違い無い!)。
地方議会は健全なのか!?
「河野談話(記者会見)」に欺されたぁ、「朝日新聞」に欺されたぁと言い訳するなら地方議会はいらない。議決と実行に責任を持つのが民主主義であり、地方自治の一丁目一番地だ。
例として身近なので札幌市の議決を見てみる。
経緯は札幌市議会に掲示されている。
1992年6月「従軍慰安婦問題に対する公正な施策を求める意見書」
2008年11月「『慰安婦』問題に関する意見書」
この二つを「誠実に実施」するように2012年3月には「日韓請求権協定に基づく協議に応じることを求める意見書」(上記リンク先の資料)を提出している。
で、そのエビデンスは朝日新聞なのは明白だ。
で、「欺されたぁ!」でほっかむりするつもりなのか。それでは地方議会としてあまりにも無責任だろう。もっとも「意見書」を出す段階で単なる政治パフォーマンスで実現の望みはないと踏んでいたとしたら、これは地方議会運営を利用した選挙活動であり、代議員が有権者に対して一番してはいけないことだ。
どうも、地方議員の国に対する意見(地方自治法第99条で認められているが)としてはあまりにも上から目線の政治色が強い内容で、自民党(札幌市議会及び国政)に対する猫パンチにしか見えない。そもそも外交と防衛は国の専権事項であって地方自治とは相容れない範疇だ。足元をしっかりしてこそ中央に対する意見なのだが、国と県(北海道庁)と市議会って三重構造の中で存在意義を中央の政党政治と同様な政治パフォーマンスに傾注するのは地方自治の存在事由(レーゾンデートル)から見ていかがなものか。
「朝日新聞は謝罪せよ」と言うなら、自らも謝罪しなければいけない。それが民主主義の基本だ。その民主主義を否定する地方議会が先の表の「×」印だ。もっとも、議決することが越権行為の政治パフォーマンスなのだが、上記の表に掲載されている地方議会は機能しているのかと疑いたくなる。
「なでしこアクション」の問い合わせに返答する以前に、議会議長は記者会見を行い今後の対応をどのように議会に諮るか市民に説明すべきだ。
どちらにしても来年の統一地方選では新人に総入れ替えが必要だろう。それで良くなる保障は無いが、これ以上悪くならない保障はある。