スマホ依存では「風を読めない」情報リテラシー

暇があればスマホじゃ草食系
 最近「スマホ歩き」なんて言葉が造語されるように、公共交通機関で待つときも、乗ってからも、降りてからもひたすらスマホの画面操作をしている若者が多い。特に最近では若者に限らないようだ。その理由を聞いてみると「他にやることが無くて暇だから」とのこと。
 四六時中新しい情報を入手した後に、その情報の分析、つまり、情報を元にして考える時間は何処で確保するのだろうか。聞いてみると「確かに考える時間が減った」と平気で答える。
 人間、考えることを放棄したらレーゾンデートル(存在事由)は何になるのか。公共交通機関を利用している時間くらいは入手した情報を考える時間をに当てなければ、ただただ、スマホで入手した情報を脳にコピペしてるだけになる。そして、CPBS(コピペ脳症候群)に罹患する。自分では何も考えられないので答をスマホで探す。最初に見つかった答が「正しい答え」として脳にコピペされる。これでは、一般常識すら身につかないだろう。
 生物学的に諸説あるのだが、猿の一部から人類が分岐し、他の動物に比べて圧倒的に多い脳細胞を持っようになったのは考える動物故の必然であったとの説がある。脳細胞が増えたので考えるようになったのでは無く、考えるようになったから脳細胞が増えたって説だ。
 論拠になっているのは人間は食料を入手する時間が他の動物に比べて極端に少ない。一日中草をはむ牛と比べると解るが、人間は朝・昼・晩と3食食べても食べる時間はせいぜい合計3時間以内だ。実質的には2時間を切るだろう。
 これは人類が少量で高エネルギーな食物を入手出来るからだ。雑食と言われながら肉を食べる動物は食事時間は短い。
 逆に草食動物は食事時間が長い。食事の間は常に「次は何処の草を食べるか」を考えているので、他の事を考える余裕が脳には無い。一方の肉食動物は「狩」を行うため肉体への負担が大きく、せっかく食事が短時間でも残った時間は体力回復、つまり寝て過ごすしか無い。ライオンなんかが典型だが。
 人類だけは、効率よく高カロリーな食物を入手できるので、食べること以外に脳を使う余裕を得た生物なのだ。

ジョブスは子供にiPADを与えていない
 日本のにに限らず、アメリカでもスマホ依存症とも言える状況は起きている。一日平均7〜8時間スマホを使っているってんだから、起きてる時間のほとんどをスマホ利用に使っているようなものだ。
 上記の記事はここにあるが、新聞記事なのでタイミングによっては削除されているかもしれない。
 先に書いたCPBS(コピペ脳症候群)とは別にアメリカでは社交スキルの喪失が叫ばれている。子供を数日スマホから遠ざけたら社交スキルが格段に向上したとか。つまり、人と人との会話行動が増えたとのこと。ま、スマホに費やす時間を制限されたら代替方法を何に求めるかと言えば他人との会話が一番手っ取り早い訳で、特に「社交スキルが増えた」では無くて「社交スキルに費やす時間が増えた」ってことだろう。
 スマホのCMを見ていると「スマホがあなたを豊かにしてくれる」風のものが多いが、その供給側はスマホ利用に潜む危険性(人間社会への影響)を恐れていることが解る。
 日本社会では社交スキルってのはあまり着目されないが、スマホが奪った時間は旧来何に費やされていたのだろうか。やはり、他人との会話や遊びだろう。痴呆症に成りやすい老人は施設入所の社交性の無い老人と言われている。一人住まいも会話の機会は少ないが最低限食事の準備や片付け、町内会の来訪者と対応を迫られるが、施設入居では自分が望めば食事を摂る時以外は人と接することが無くても生活できる。
 余談になるが施設入所の実態をヒアリング調査したことがあったが結果が面白い。A施設では共同で利用できるスペースが広く、ここに高齢者が集まって世間話をしている。新しく入所したAさんは皆の興味のまとで共同スペースに行くと様々な会話がはずむ。しかしAさんの入所から1ヶ月も過ぎた頃から話題は皆の生い立ちと生きた履歴の繰り返しに収れんしてしまう。何時行っても会話の内容は「何時か聞いた話」だ。やがてAさんは息子に嘆願して施設を出てしまう。
 B施設では出入りの業者に時間調整が必要な場合は共同スペースで待たせる。ここに来たタオル洗濯業のB氏は若いこともあって高齢者の人気者だ。「なんか、面白い話をしなさいよ」と高齢者に言われて「相撲にすっごい力士が現れてさ、初入幕で優勝争いしてるんだ。知ってた?」と、ここでB氏の仕事が始まったので「じゃぁ、また」となる。残った高齢者で「あんた相撲のこと知ってる?」「いや、興味無いから見てない」、「今日みんなでテレビ見てみようか」となって時間になるとみなが集まりテレビの前で「これが、あの力士かい?」となる。入所しているBさんは息子に「面白いから見に来なさい」と電話する。
 ま、多少脚色しているが施設は入所者が得られる「情報」の質に着目して欲しい。
 もう一つの例をあげておく。
 飲み会で映画好きが集まって昔の映画の話になる。「あれ、誰だったかなぁ、「誰がために鐘は鳴る」のゲーリ・クーパーと共演した女優。ゲリラのメンバーなのに髪が綺麗にパーマかかっていて、どうも作り物くさかったなぁ。アメリカの昔の映画って..」「あ、それイングリッド・バーグマンです!」「ん!」「スマホで検索したら見つかりました」
 「カサブランカのイングリッド・バークマンも良かったよね。でもカサブランカの主演男優誰だっけ、あの台詞回しがなかなかしっくりと日本語にならないよねぇ。「君の瞳に乾杯」って文化は日本に無いものなぁ。英語と日本語の違いって...」「ハンフリー・ボガートです。スマホで検索しました」
 「おまえ、もう帰れ!」


一生懸命に電子スクラップ・ブック作り
 昔って昭和の頃は放送を録画する装置が無かったのでラジオもテレビも一過性で、唯一新聞が何度も読み直しが出来るニュース・リソースだった。
 そのため、新聞記事を切り抜いて貼り付けるスクラップ・ブックが使われた。小学校の夏休みの宿題にもなったりしたが、ま、当時は朝日新聞も偉かった時代だった(笑い)。
 そして、夏休みがあけると膨大なスクラップ・ブックを提出する子が居て「よく頑張ったなぁ」と周囲の賞賛を集めるのだが、この子の勉強の成績はイマイチだった。情報は沢山集めても全然賢くなれない。集めた情報を分析して自分なりの考えを構築し、さらに加えて新しい情報に接したときに自分の考えと比較しながら新たな考え方を構築していくことで小さな脳みそが少しだけ成長し賢くなっていく。
 一日の大半をスマホでスクラップ・ブックを作っているだけでは賢くならない。集めた情報を分析する、つまり考える時間とあいまって情報は価値を生み脳みそが少し賢くなるのだ。
 スクラップ・ブック作りだけでは脳みそはCPBS(コピペ脳症候群)でコピペ脳にしかならない。人間は自己都合を優先する傾向にあるので、コピペしたスクラップ・ブックに貼ってある記事の切れ端を自分が考えた結果と勘違いする。
 「お前、何も考えてないじゃないか!」
 「考えてますよ。「吉田証言の信憑性が疑われるので、取り消します」」
 「それって、朝日新聞の記者会見のコピペだろうがぁ」
 てなことになる。
 せっかく手軽に情報が集まる時代になったのだから、集めた情報を生かすために、考えることだ。集めた情報の真偽を考えても良い。同じ事象を著した情報なのに何故もこんなに違うのかを考えても良い。そのことによって「人間は自己の利益のために平気で嘘を吐く」とかが解るようになる。つまり社交スキルがあがる。
 先の夏休みの宿題で思い出したが、昔のテレビには素人のど自慢的な番組が多くあった。このなかで子供のど自慢なんかは、どうしようも無い子供も出てくる。このとき何も褒める所が無いときの常套句は「元気があってよろしい」だと、当時の解説者から聞いた。
 ま、スマホを駆使出来るだけだと「元気があってよろしい」だな! 脳は有っても無くても元気は出せるから。

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