戦後教育は外交を萎縮させた
アメリカ追従で手抜き仕事をしていた外務省もさることながら、日本国民にも日本の外交の弱さを問題視する機運が生まれなかった。先の大東亜戦争(日本政府の正式名称。「太平洋戦争」は俗称)が終わって日本経済はアメリカ追従で成長を遂げた。しかしアジアの諸国は日本ほどの経済成長を得られなかった。これは基本的に教育の普及が遅れたためで日本では明治維新以降の国民階教育がビジネス戦士を大量に生み出したのに比べてアジア諸国では教育機会の不均衡や偏向教育によってビジネス戦士を育てるのに日本と比べて数十年の遅れが生じた。
そのアジア諸国、とりわけ韓国、中国に対して「戦争で迷惑をかけた」的な教育を日教組を筆頭にH2O(北教組(H)、広島教組(H)、大分教祖(O))が進めてきた。そのため日本国民の中にも外交が強くなると戦前の日本に戻るとの意識が植え付けられて今に至っている。
憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を可能にするとした時に「日本は戦争が出来る国になる」って発言に国民が異を唱えないのは、基本的に外交も戦争だ(もちろん、外交は武力行使すらカードの一枚として自国の国益を守る自衛戦争なのだが)との世論が形成されているからだろう。
そのような戦後教育、言い方を変えれば蓄積された世論が現状の変化に沿わなくなった現実を正しく見据えるべきだろう。
中国の台頭による国連至上主義の崩壊である。
ドラエモンのジャイアンが生徒会長になっっている現状を正しく認識すべきだ。
アジアで求められる中国と戦う日本
前述のように、国力の差でアジアでは中国が一番、日本が二番であるが、他の国は経済成長の坂を上り始めた所だ。韓国は上り詰めて下り坂だが、高度が足りない所は同じことだ。
このままでは中国がアジアの覇者たらんとすれば(現実に中国共産党政権はそれを志向しているが)やりたい放題の状況にある。それを防ぐ力はアジア諸国には備わっていない。しかも、それを防ぐ制度である国連も前述のように機能していない。
結局、アジア諸国はナンバー2の日本に頼らざるを得ない。しかし日本国民の意識は大東亜戦争後の教育で外交は誰かが切り開いた道を辿れば良いと思っている。
それでは、大東亜戦争よりさらに昔の明治維新にまで遡ってみよう。
当時のアジアで独立国だったのは日本だけだ。韓国も中国(支那)も独立国と呼べなくはなかったが、基本的に韓国は中国(支那)の属国意識が強い独立国であった。中国(支那)はイギリスの植民地化していた。
日本は独立国として西欧に対峙するために富国強兵路線を選択するとともに、西欧文化、特に科学技術の吸収に邁進した。実は、歴史は繰り返すで、先の大東亜戦争終結後に日本の技術者は戦中に入手出来なかった諸外国の科学技術をアメリカ文化センターで閲覧できる書物から吸収し、戦後復興の原動力とした。
1899年に新渡戸稲造が明治維新から僅か30年で西欧に追い付こうとしている日本の国民性の文化土壌に「武士道」があることを書物を通して西欧各国に広めた。明治維新以来、江戸時代は否定される時代であったのにも関わらず、外国で出版されたことが幸いしたのか日本人も他国と違う自分自身を育んだ文化土壌を再認識することになる。
残念ながら富国強兵路線の勢いが止まらず、その後、日本は10年毎に戦争を繰り返す軍国国家になったが、明治維新を支えた「武士道」は未だに不滅である。
今の世界情勢、特にアジア情勢の中で、日本が担うべき役割は「武士道」に象徴される「品格の高さを保つ精神」である。中国共産党にはこれが無い。そもそも、軍隊を「人民解放軍」と呼んでいることから解るように「解放」なんて発想はこれまた中国の戦後レジュームなのだ。
日本が「武士道」の精神でアジアをリードして行くことがアジアの幸福に繋がると共に、中国の自国内外で行っている人権侵害を止めさせる手段にもなる。時代の流れは中期的には中国共産党の崩壊に向かっているが、それが中国の国内動乱から始まるのか、イルラムとの戦争で始まるのか、どちらにしても、長期的にポスト・チャイナのアジアをリードするのは日本しか居ない。それを担保するのは「八紘一宇」ではなくて「武士道」だろう。