|
選挙は政権選択であるべき
野党のだらしなさは税金泥棒そのものなのだが、現在の選挙制度では常に選挙は政権交代を前提に行われなくてはならない。健全野党なんてのは昔の中選挙区制の中では存在しえたが、選挙制度の変革によって衆議院選挙はよりに二者選択のバイナリー選挙になっている。その制度は欠陥があると指摘するヒョーロン家が居るが、所詮制度である。スポーツで言えばルールである。ルールにしたがってツールを最大限に生かすのが「戦術」であり、ルールが「戦略」に合わないからと言ってルールが間違っているってのは同じ土俵で戦いながら土俵を割るってことにつながる。将棋で「二歩は打っても良い」、サッカーで「オフサイドなんで悪法だ」って言っているようなもので、双方同じルールで戦うスポーツと選挙は同じなのだから、ルール問題を口にすべきでは無いだろう。 今回の衆議院選挙は政権交代の可能性が無い「だらしない選挙」であった。それを演出したのは野党の各党である。まだ、小選挙区制度の仕組みが解ってない国会議員になることがゴールの国会議員が沢山(与党にも野党にも)居るって証左だろう。 国民に公約って言う絵空事を語っていた中選挙区制度は無くなったのだ。選挙区では自分が政権を担うにふさわしい政策を語らなくては駄目で特に与党の「政党が決めたことを支持します」なんて候補者は存在意味が無い陣笠議員なのだ。だから、国会議員は減らさなければならない。議員としての緊張感が無い陣笠議員が居なくなり、なおかつ、地方の実情を反映させる立法府を構築すべきであり。「一人一票」てのは地方の意見を無視した都市の論理で地方を隷属させる思想なのだ。政治は一人一票の制度で運営されるべきではなく、どちらかと言えば地域一票の精神で運営されるべきで明治維新の時代ではそれが当然であった故に藩閥支配はあったにせよ日本を統治するバランスは保たれたのだった。 憲法に従えば法の下の平等で「一人一票」が導き出され、今の選挙制度は憲法違反と解釈されるが、最高裁は東京に住んでる輩の集団なので感覚が全国区では無い。東京馬鹿(このHPを検索すると解る)の発想で本当に日本が発展するのか。そこが選挙の争点であるべきだ。 国政は国民が選ぶ政党の戦術選択だ。にも関わらず、現状を容認するかとか「アベのミクスを支持するか」ってのは選挙のテーマなりえないのだ。 |