中央集権政治が招いた地方の衰退は明治維新から

富国強兵と中央集権
 最近、限界集落を越えて地方が消滅するって論理が脚光を浴びている。地方再生以前に地方が人口減で消滅する。その論拠は出産年齢期の女性が何人存在するかと、いささか「生物学的」な手法を用いている。ま、乳牛の出産管理じゃないのだから人を馬鹿にした統計手法だと思うが、誰もそれに異を唱えず、納得し「てぇへんだぁ!」となっている。
 出産期の女性が居なくても地域は子供を受け入れ育てる手法は山ほどある。しかも、現代は市町村の壁を越えるとみんな「よそ者」で相手にしてくれない封建社会の時代では無い。自然学習を中心にした山村留学制度とか対応策はたくさんある。
 統計はデータを分析する。しかし、データを読んで解釈を下すのは人間だ。大学で「市場調査論」なんて統計分析手法を教える時に一番大切なのは「誰もがためにする統計分析」を行っている事実を知ること。分析結果はデータ収集手法により誤差係数を計算で求めることができる。アンケートを行った時に母数(調査対象全体の数)に占めるサンプル数(データを得られた数)の比率をもって、アンケート結果の信憑性を誤差率って数値で表す手法だ。
 簡単に言えば「クイズ10人に聞きました」よりも「クイズ100人に聞きました」のほうが信憑率が高いと感じるのを数値化したものだ。
 例えば、新聞各社が行っている世論調査だが、サンプル数は必ず公表されている。その多くは1000〜1500だ。日本の人口を12000万人とするとその0.1%しか調べていない。。が、この場合、母数が大きいので誤差係数は5%程度となる。つまり「安倍内閣は支持率を3%下げました」は誤差の範囲なのだ。もっとも、各社が過去の分析結果を蓄積しているので誤差はもう少し小さくなる。
 にしても「生活がどうちゃら」なんて政党が1%から1.5%になっても誤差の範囲で何ら優位なエビデンスでは無い。
 統計分析とは常に恣意的なものであり、その恣意的な仮説に反論するために根拠となるデータを開示するのが義務であるってのが統計分析の基本だ。
 で、今回の限界集落から消滅集落への統計分析は、論拠が既に偏っているので未来を「確実に」言い当てた物では無い。がしかし、選挙対策なのか自民党は「まち・ひと・しごと創生法」とか「改正地域再生法」を成立させて対処したことになっている。
 そもそも、基本が間違っているのにそれを後追いして法律を作るのでは国を貶める行為だろう。それを支えているのが東京しか知らない東京馬鹿官僚たちである。

基本は明治維新前の藩制度の検討
 日本の歴史を調べてみると、日本の国体を変更(逆に、継続と言っても良い)した大きな流れは明治維新だろう。大東亜戦争敗戦も単に政府が変わった程度で、国の政治体制が大きく変わったのは大化の改新と明治維新だけだった。鎌倉幕府が成立して幕府政治になった時代があったが、これは国を治めていたのが征夷大将軍で、それは朝廷が持つ一行政機関なだけだ。何故、この軍事勢力である一行政機関が上部構造である朝廷に対してクーデターを興し滅ぼさなかったのは日本史の謎と言われるが、私の歴史観では古事記、日本書紀の国家の統治者たるエビデンスを持たなかった武士層のギリギリの選択だったと思う。もし、朝廷を滅ぼして天下統一をなしたと言ってもそこには武力しかなかったので以後の律令制度の構築は難しかっただろう。だから、朝廷の力を必要とした。
 で、それがリバイバルしたのが明治維新である。
 それまでは行政機関であった幕府が各地に藩を設けて、これに分散統治を行わせた。本来の国の行政機能は「外交と防衛と徴税とその再配布」と言われるが、鎖国を国是としていた江戸幕府には外交も防衛も無かった。だから、単純に「徴税とその再配布」が残るのだが、再配布は各藩に請け負わせて実質徴税しかしていなかった。
 また、各藩は幕府が何もしないので自ら学問を広め人材を育成し藩の財政を豊かにしようと工夫を行っていた。
 現代風に言うと時代背景は違うが「地方の時代」だったのが江戸時代の行政制度が生んだ仕組みであった。
 地方が消滅の危機にあるとの認識に立てば(私は、単純な考え方には組しないが)その対策は江戸時代の藩制度が何故否定されたかあたりから考えると良いだろう。
 曲がりなりにも「地方の時代」であったのだから。


何故、中央集権の時代になったのか
 江戸幕府が行わなくて良かった国の責務である「外交」と「防衛」が明治政府が担わなければならなくなった。そもそも明治維新とは世界から見たら開国であり、国際社会へのデビューである。
 その「外交」と「防衛」に明治政府は「富国強兵」手法で対応することとした。
 明治政府は幕末の頃から西欧への留学により政治制度を学んだメンバーによって運営され、その政治制度を真似すると同時に世界に吹き荒れていた覇権外交も持ち込んでいた。21世紀になっても日本は侵略戦争をしたとかしないとか話題になるのは、実は明治政府が西欧列強国を国家の手本として真似たための結果である。だから、明治政府が当時の農業国であったアメリカに学ばなかった(当時は、手本になるものは無かった)故に、日本は西欧の真似のまま大東亜戦争へ突入してしまった。
 その西欧から学んだ覇権主義実現のためには富国強兵であり、国の富の一極集中であった。よって、廃藩置県の後に来たものは中央主権国家の樹立であり、富国強兵の富国の部分は地方からの富の集中、強兵は全国からの徴兵の実施であった。
 西欧の列強国を手本にした必然が中央集権国家の樹立であり、それは地方に国家のための負担を強いる結果になったのだ。
 それが、実は70年前の大東亜戦争敗戦まで国家の国是として受け継がれてきた。
 富国強兵が無くなった敗戦国としての再出発でも、中央集権国家の見直しは行われず、それが戦後の傾斜経済を経て、中央集権は正しい政治制度と受け継がれ続けたのだ。

中央集権打破が地方再生の道
 その中央主権国家が危機を迎えている。人口現象社会を迎えたために、中央は生き残れるが地域は中央より人口減少のテンポが早まり、先の統計のような「消滅地域」(私は、実際には起こりえないと思うが)が生じるという知見が顕著になる。
 そこで、「地域活性化」なんて政策が思いつきで出てくる。日本では「地域活性化」なんて何十年も前からやっていて、その全てが失敗している。死屍累々のテーマが「地域活性化」なのだ。
 何故、失敗するか。
 それは、地域を知らない外部コンサルや企業から持ち込まれた地域活性化策の企画書を地方自治体が相乗りして東京馬鹿の集まりである中央省庁の補助金イタダキ作戦に奔走するからだ。
 補助金がもらえるならって地方役人のスケベ根性につけ込むコンサルやメーカもいただけないが、そもそも中央官庁が補助金で政策を後押しするって発想が間違いの根源なのだ。
 加えて、政策を立案したのだから補助金を付けるのが国会議員の責務って勘違いしてる議員センセにも問題がある。立法府は補助金では無くて制度改革(規制緩和)で対応する機関なのだから。
 某大学で非常勤講師をやってた経緯からゼミのテーマが地域活性化なんだが、何年もやってるが出来の悪い実現性の無いリポートばかり出てくるの嘆いている教授から相談を受けたことがある。ゼミの進め方の資料を見て解ったのが「上から目線」なのだ。この地域にはこの地域活性化策が相応しい、別な地域ではこの地域活性化策が相応しい的なリポートを学生に強いているのだ。それは、全体を見る教授の一般論的な視点であって、個々のテーマに対峙する学生には関係ない。
 で、提案したのは「学生に、この地域に住んで、あなたは何が出来るか」と言いなさい。その地域を知らないでリポート書けないように仕掛けなさいとアドバイスした。「何をしたら活性化するかなんて誰にも解らない。ただ、わたしならこうするは、答えが無いテーマへの一つの確実な答えだ」と説明して。それが良かったかどうかは別にして、教授は自分が欲しかったものに近づいたと連絡を受けた。
 自主的に、やります、やらせてくださいってテーマを見極めることが必要だ。何時までも補助金目当てに「北海道は広域であり、個々の情報伝達に支障があり..」なんて枕詞でICT系の補助金貰うのやめれ、つーの。
 それは、地元の心意気なんか爪の垢ほどもない美辞麗句のレトリックによる中央官僚への芸者行為だ。

廃藩置県以前に戻るのは簡単
 「ベンチがアホやから野球できへん!」と言って阪神タイガースを辞めたのは江本孟紀氏だ。彼は後に国会議員になるのだが、阪神タイガースと同じ感覚を国会に感じただろう。自民党政権のウイークポイントはベンチ(官僚)頼みで自らは野球しないことだ。自民党は立法府には存在せず行政府の一部になった政党だ。
 だから、どんなに野球(政策論争)しても、ベンチ(自民党)がアホやから野球政策論争)できへん、となる。いや、自民党では野球やるのは御法度なのだろう。
 中央集権国家の弊害を正すためには補助金付きの立法では無く、規制緩和付きの立法である。
 東京都知事であった石原慎太郎氏が外形標準課税を持ち出したが、これの強化で一極集中を是正できる。
 現在は地域に企業が進出すると地方税の範囲で固定資産税の3年免除とかの優遇制度を地方自治体が企画しているが、これは右肩上がりの経済成長時代の遺物である。地方が優遇しても、そもそも進出の意志がない企業には無意味な話だ。
 逆転の発想をすべきだ。
 中央に居座るなら高い税金を払えって国策を法律化することだ。
 企業は中央に居ては生き残れない国策を税制改正で表現すれば良い。ついでに、首都移転もや東京直下型震災への危機管理の観点からも企業機能の分散が推進される。そもそもICTの時代に夜の接待が使命の(それも、日本企業の無駄な経費だが)営業以外は情報収集のためと言って中央に集中する必要は無い。実は、役所が外郭団体を地方に追い出せば、自らの首が絞まって、自らも地方に出て行かざるを得なくなる。
 昔からの人情に訴える活動から脱皮して情報に訴える活動に切り替えるべきだろう。
 21世紀の逆廃藩置県を本気でやるなら、小泉純一郎元総理大臣は「自民党をブッコワス」と言ったが、安倍晋三総理大臣は「日本をブッコワス」と宣言すべきだろう。そもそも、憲法改正は「日本をブッコワス」行為なのだから。
 それを「美しい日本」として言葉で表すならば「一度、日本を洗濯してみます」と言えば良い。
button  「坂の上の雲」に突っ込んで視界不良
button  今回の政権交代は薩長連合の復活でしか無い


2015/02/28 Mint