地方議会の学芸会化防止には任期は連続2期まで

名誉職と国政予備軍とノンポリ
 選挙の前に選挙結果の予想をするとことごとく外れるってのがここ10年の傾向なので、とりあえず、選挙結果へのコメントは避けて、機能していない地方議会について主権者である市民が何をすれば改革できるかを考えてみた。
 行政も立法府も地方議会制度と国政制度の二重制度になっているのはGHQが当時のアメリカの州と国政の2制度である状況に比べて日本の行政制度が特異に映ったからだ。だから、GHQは国政と地方政治を分けて、行政もそれに準じるアメリカ的制度を立案した。
 しかし、旧来の機関委任事務(国の業務の一部を地方が国の指導の下担う)と比べて地方の裁量権が増大することを危惧して、アメリカ的な地方自治は日本的な地方自治に制度設計されてしまう。しかも、北海道が民選知事として社会党の知事が誕生した時に、自民党は地方自治を認めずに「北海道開発局」って二重構造を作ったのは歴史に記された事実だ。日本国憲法第8条の「地方自治」は続く92条で地方自治の基本原則として明文化され、これが「地方自治法」によって制度設計されている。
 当初の地方自治法は機関委任事務を主体としたものであったが、1999年7月に地方分権の主旨を反映させて改定され、機関委任事務は廃止された。改訂の主旨は国と地方の関係を主従から協力に変化させたのだが、この法律の改正以降16年を経ても地方議会議員の意識はなんら変化無く、法律が行政規則にしか反映されていないのが現状だ。
 唯一、あるとすれば多くの地方議会での従軍慰安婦決議だが、朝日新聞が訂正しても地方議会は撤回しない(東大阪市は撤回した)状態で放置されている。
 地方議会と従軍慰安婦問題の決議はここに「慰安婦問題で地方議会は議決をもみ消すつもりか」で書いているので省略するが左掛かった地方自治を市民が無視している典型だろう。地方議会は相手にする気も無い無価値な存在と受け止められているのだろう。
 国との協力関係を構築すべき地方議会だが、あいかわらず「中央との太いパイプ」とか「○○先生の秘書を何年」とかおよそ改正された地方自治法を知らない旧態然とした選挙スローガンがまかり通っている。正直言って「時代の変化を知らずに恥ずかしくないのかな」と思ってしまう。
 地方議会を構成する議員は、地方議員で満足している名誉職、国政へのステップと捉えている腰掛の国政予備軍、それと政策には無関心でいかに私腹を肥やすかにしか関心の無い兵庫県議会の野々村某氏のようなグループに分けられる。

3重構造でカバン、看板、地盤の使い回し
 地方自治法の改正によって、地方議会は国と対等の協力機関と位置づけられるが、そもそも地方議会に国政の政党が幅を効かすように、国政の縮図が地方議会になっている。これは主従関係で協力関係とは言い難い。
 さらに選挙制度の欠陥なのだが、国政選挙と知事選挙と地方組長(市長、町長、村長)選挙と地方議会議員選挙はそれぞれ独立して投票出来るので、カバン、看板、地盤の使い回しが可能になる。
 つまり、国政でカバン、看板、地盤を持ち当選した議員は手下にそれを使わせて子分にすることが可能になる。まったく、国民主権では無くて、「カバン、看板、地盤主権」が選挙制度持つ実態だ。これって、ヤ○ザの縄張りとなんら違いは無い。だから、選挙と政治は立候補者の中では別物になる。石に齧り付いてでも当選しなければ政治が出来ないのだから。だから、土下座選挙運動も本人には違和感が無いのだろう。
 一度手にしたカバン、看板、地盤は国政以外に4回使えるカードと化すわけで、ここにも現行の選挙制度の課題がある。圧力団体が立候補者の系列化に暗躍する現在の選挙制度は「数の論理」の出来レースしかできない。だから投票率も低いし関心も薄い。
 せめて、時事問題に関する共通な四択問題を立候補者の届け出時に回答してもらい、この点数を有権者に公表するなんてことで、候補者の政治への理解度を試してみるのも手だろう。それが、選挙受験勉強化したら、また別な手順を使えば良い。
 一部の市民団体は公開質問状なるものを突きつけて、結果を公表しているが、どこで公開されているかはなはだ心許ない。公開質問するのが目的で、質問結果の「公開」には熱心では無い。
 投票する国民の側もカバン、看板、地盤に先入観を持たず、白紙の状態で候補者を選ぶ必要があるだろう。まして、政党の特に「与党だから安心」とか「野党に頑張って欲しい」ってのは地方自治の精神から言って間違った判断である。そもそも、政党に属して地方選挙を戦う候補者は「国会議員への腰掛け」と考えて「間違いない!」
 地方には地域事情に即した政策が必要だと言いながら自民党推薦って水洗便所か!


地方議会は連続多選禁止
 地方議会は国会議員並みの議員手当を創設する。そもそも議員給与とは別に政務活動費が支給されているが、この費用の目的は「地方議員の政策立案活動を支援するために認められている経費」となっている。がぁ、地方議会で政策立案してアウトプットしてくる議員は皆無なのが現状だ。一般企業の「選択と集中」の経営方針なら即座に廃止される費用だろう。コストパフォーマンスが限りなくゼロなのだ。
 政務活動費って詭弁が通るのは、長年積み重なった古き悪習である。なぜ、そのようなものが積み重なるかと言えば、既得権益のバトンリレーが長く続けられてきたからだ。
 そもそも、市政改革で立候補し当選した自称市民派議員が一回も立法もしくは政策立案をしないでヌクヌクと活動費を貰っているのだから手の打ちようが無い。
 ゆいいつの解決策は前例主義も先輩後輩も無くして、地方議会の議員の当選の上限は連続2回までとすることだろう。連続2回にしてるのは、途中で地方議会の解散があったときに、そこで終わりにならないためだ。もめて数ヶ月で議員職を失っては我々も実績の判断ができない。また、連続2回までなので、1期遊軍していたら再度戻ることは可能になる。
 それでは議会運営に長けた地方議会議長を選出出来ないと言い訳されるかもしれないが、議長は議会運営の機関である。なにも権威が必要なものでは無い。それを、地方議会の議長は権威のあるものと勝手に位置づけたのは地方議会の長年の悪癖の最たるものだろう。
 市民の側から自主的に実施する方法もある。立候補者は新人にしか投票しないことだ。カバン、看板、地盤のしがらみで多選を許してきたことが、あの野々村某を生んだのだから、有権者も自らの責任を自覚するなら、新人以外に投票しない気概を持つべきだろう。

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2015/03/31 Mint