鉄路ってインフラを民間に任せて良いのか

JR各社は「旅客」だけしか扱わない
 JR各社のホームページを良く見ると「鉄道」の文字の「鉄」が金偏に失うではなくて、金偏に矢になっていることに気づくだろう。金を失いたくないってギャグがロゴマークに反映されている。
 では、何故、旧国鉄が金を失っていたのかをここでは書かない。死んだ子の齢を数えてもって後ろ向きな話では無くて、国鉄って国が責任を負っていた鉄路が分割民営化された時に「旅客」輸送が鉄路の使命って時代錯誤の選択をした経営側(中曽根康弘を筆頭に社会党潰しの政治判断)の責任をいまさら問うてもしかたがない。
 逆に、当時の政治決断の制度設計を行った官僚の責任は問われるだろう。三島(北海道、四国、九州)が旅客輸送で赤字になるのは当時から計算済みだ。だから、経営基金を税金から拠出して積み上げて、その配当で赤字を埋めて食っていけば良いって事業スキームを無理やり通して国鉄の分割民営化は実行された。
 様々な労使関係の改善が暗礁に乗り上げていたので「ガラガラポン」は一つの政治的選択肢ではあったと思うが、国鉄の分割民営化の制度設計は「東京の発想」で行われたのも事実である。
 もっと、生臭い表現をすれば、中曽根康弘総理の指示で「東京の官僚が、書いた東京中心の改革策」が国鉄の分割民営化のシナリオ(演出台本)だった。
 今更と言われると困るのだけれど、そもそも、その作文は矛盾山積であった。
 最も扱いがいいかげんなのが、JR貨物の位置づけである。
 「旅客」事業は分割民営化したが、JR貨物は全国区で残した。しかも、そのコントロール権は国に帰属し、輸送費は国が定める価格で運営することになった。
 国が管理する会社の財政については電力各社を見ても解るとおり「包括原価方式」の会計方式で料金を算出する。
 まったくバカげている。
 民間が原価削減して安い価格を提示する努力に一生懸命なのに、国が配下に収める企業は、絶対赤字を出さないために「包括原価方式」が採用されている。つまり、掛かる経費を算出して、それに利益を上乗せ(電力なら8%)して経営する国の指導(赤字出すな!)で運営されている。
 ま、昨今、福島第一原発の廃炉費用が電気料金の上乗せで国民負担になっているって事実をマスコミは消極的に伝えているが、国が管理する企業の会計って、そんなもんだ。
 ちなみに廃炉費用は50年とかの割り算なんだが、マスコミは一時金のように額を伝えるのが好きな(数字(視聴率)を稼げる)集団のようだ。

高速道路は上下分離の例となる
 今更、田中角栄氏を称賛する気持ちは無いが、彼の政治手法は入り(歳入)を作り、出(歳出)を作る手法だ。そこには金が動く故の利権が形成されるのを知っていた。
 今の政治が弱体化しているのは出(歳出)だけを選挙目当てに列挙することだ。だから、歳入は財務省の専売特許になって、政治家はある意味自らの利権を財務省に渡してしまっている。それ故に、国家100年の大計を政治家が描けない事態に陥っている。。
 自動車が普及すると読んだ田中角栄氏はガソリン税(歳入)を導入し、その財源で道路整備(歳出)を行おうと考えた。その一部が全国に高速道路網を建設し有料道路として運営する道路公団に流れた。
 そして、高速道路を使ってトラック輸送業者は、まさに「上下分離」の状況の中で輸送業を営んでいる。高速都市間バスを走らすバス会社も同じように「上下分離」でバス事業を営んでいる。
 であれば、鉄路も上下分離し、JR北海道はバス事業者と同じように通行料を払って鉄路の利用者となり旅客事業を営むって発想が、今回の「独自維持不可能路線」に色濃く表れている。そこには、先に紹介した「道南いさりび鉄道」方式が色濃く出ている。
 正直言って「道南いさりび鉄道」は欠陥商品だ。何故なら、鉄路は保安設備と車両が一体化した輸送手段で、その意味で「踏切」なんて鉄路優先の設備が許される。鉄路を走る車両は鉄路の安全設備に依存している。その最たるものは鉄路を走る車両にはハンドルが無い。鉄路の「ポイント」の切り替えで行き先が決まる。そんなのは高速道路には無い。
 鉄路が上下分離方式になった時に、事故の責任が曖昧になる恐れがある。実は「道南いさりび鉄道」は北海道新幹線開業に伴うJR貨物の苦肉の策だったのだ。
 五稜郭機関区にある操車場で北海道から集まったコンテナを本州以南の行先別に荷捌きして、それを青函トンネル経由で本州の各地に輸送する。その操車場を北海道新幹線開通に伴い青函トンネルの入り口である木古内町に移設するのは資金的にも用地的にも不可能なので、五稜郭操車場から北海道新幹線(ご存知のように青函トンネルの鉄路は標準軌(新幹線仕様1435mm)と狭軌(在来線仕様1067mm)と3本敷設されている)まで狭軌で進む必要がある。何故なら青函トンネルは25000Vの電化区間であるが、五稜郭と木古内の間は電化されていない。木古内まではディーゼル発電内臓の電気機関車のDF-200で牽引する必要がある。
 この狭軌で非電化の鉄路が無ければ青函トンネルの入り口である木古内駅まで辿りつけないので「道南いされび鉄道」が必要になった。
 しかし、JR北海道は新幹線至上主義なので、在来線は廃止したい。その妥協の産物が地元が守る鉄路「道南いさりび鉄道」ってリスキーなスキームだったのだ。
 今から予言しておくが「道南いさりび鉄道」でJR貨物の列車事故が起きたら、責任の所在の不明さが社会問題化する。その時に「上下分離論」がいかに非合理的な考えか解るだろう。

安全を担保してこそ公共交通機関
 まず、前提を整理しておきたいのだが、JR北海道は公共交通機関としての使命を達しようと考えているのか。それとも、鉄路での旅客輸送事業からから不動産事業(駅ビル)へ経営路線に転換するのかである。
 余談だが、昔「北海道の五悪」を書いた。ここで示したかったのは、北海道では「さん」付で呼ばれる企業はことごとく消滅していくって経験則とその事実だ。
 実はJR北海道も昔は地域の商店からは「国鉄さん」と呼ばれていた。私が学生時代を過ごした北見市は国鉄でも労組の力が強い地域で、大学卒業の報告にお世話になった北見市役所の下にあった縄のれんの店「みちる」に挨拶に一升瓶を持って行った時も国鉄職員の議論に巻き込まれた経験がある(笑い)。
 公共交通機関を運営する誇りは並大抵なものでは無い。しかし、国労だろうが動労だろうが、昔の国鉄には背負う誇りがあった。今の東京都知事の小池百合子氏の言う「顧客ファースト」の精神が駅の赤帽(これ、今では差別用語?)にもあった。
 しかるに、今回の「独自維持不可能路線」って表現は「もうわしら、デパートの大屋やるかんね」って捨て台詞しか感じない。
 もっと、素直になれよ!
 「路線を維持するためには、こんだけ旅客料金を値上げさせていただくしか無い」と言えよ。
 そこで初めて地元市町村は「高校生にはこんだけ」、「サラリーマンにはこんだけ」の定期券への補助を予算化しますと言えるのだから。
 鉄路を市町村に押し付けるのは責任転嫁もはなはだしい!職場放棄するようなJR北海道に誰も賛意は持たないだろう。
 これが軍隊なら敵前逃亡で銃殺だ!(笑い)
 経営者ってのは、社員の生活を預かるだけでは無い。社員のモチベーションを高めて夢を提示するのが最大の責務だ。
 一般論だが、「役人根性」と揶揄される多くの事象は「夢を与えられない組織の悲劇(トラジディ)」に起因する。残念ながら役所では夢を作れない。
 独自維持困難路線の発表の何処が社員のモチベーションを惹起するのだ!
 夢を見続けるには大変な努力が居る、夢を捨てるのは簡単にできる。
 分割民営化されて「国鉄マンの誇り」は何処に行ったんだ。
 数年前に十勝バスの社長の講演を聞いたが「バスの運転手が年収1000万が500万になっても、この会社で働きたいって言った時に親父からバトンタッチした社長なんですが、会社続けようと思いました」と涙声で(当時は既に自分が講演するのは控えて部下に任せていた)言った時に、経営者の誇りかくあるべしと思った。
 捨てるのか守るのか、まず、そこが議論の出発点だ。

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2016/12/16
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