国会論議で国税をドブに捨てる主犯は野党

保身の野党は何も出来ない
 野党って存在が国民の「代議員」として何を担うかは明確で、ある意味、意味不明だけれども旧社会党の党首であった土居たか子氏の「駄目なものは駄目」って一言は国民が野党に託した意思表示の結果だった。
 二大政党制を目指した選挙制度改革の結果、民主党政権が樹立されたが行政のトップとしては能力不足で、本来の国民のための国政とは程遠いものになってしまった。そもそも「議員内閣制度」下での政権交代は難しいってのが露呈したのだろう。
 本来の「国政」って用語を定義しておこう。これは私の考える自分の「立ち位置」で「辞典には書いてないぞ」とか言われても困る。
 国政は国益とイコールな「行動」。だけどストレートに国益を表現しないって演出も大事だ。「私は国益のために日々活動している」って文言はTPOで言っても良い場面と、あえて言わない場面を含むって表現手法がある。
 正直言って民進党に構成員(あ、ヤクザみたいな表現だが)を担っているものを感じない。もっとも与党である自民党や公明党にも「何も出来ない、お気楽政治家」は居るのだけれど、昔は「陣笠議員」と揶揄したが、今の「マスコミ」(私はマスゴミとは書きたくないのでカッコ付けます)でも陣笠議員の近衛兵みたいのが居るのが現実だ。
 「野党がだらしないから与党もだらしなくなる」ってのが今の日本の立法府の機能不全だろう。このままでは立法府なんて「イラナイ」となってしまう。そもそも国家統治の本質は、国民が代議員を選んで国の運営を立法を通して任せる制度だ。それを「代議員代表制度」って言うのだが、「こんなバカが何故当選する」って事態も生じている。
 では、代議員制度を支える選挙制度に欠陥があるのか。実は一つ欠陥がある。選挙の戦力である「地盤、看板、かばん」である。二世議員が多く搬出されているが、これは特に得難い「地盤」を世襲によって得ているからだ。
 それが与党なら「枯れ木も山の賑わい」で表から隠れるのだが、野党にも「地盤」を受け継いだ議員が増えている。そこは代議員制度の根本的な欠陥なのだが、支持層の「世襲」は民主主義の未完成な部分だ。前任者が引退すると後継者を指名するのは公職選挙法違反だろう。有権者に白紙で考えて投票して代議員を選んでもらいたいってのが「まとも」な代議員制度なのだが自らの「カバン」をバトンタッチして影響力を残したいのだろう。

かつて政権政党だった未練
 野党も与党も政権を目指す国会議員の集団なのだろうか。花畑に遊んで国会議員の地位を謳歌していたら「政権を担え」と言われて右往左往したのが先の民主党政権じゃないだろうか。そもそも、国政を担う気概なんかなかったのに、国民が「勝手に」選んだので政権を作らなければいけなかった平和ボケ野党の顛末が民主党政権だったのではないだろうか。多くの発言にそれを垣間見ることができる。「総理大臣って自衛隊の統率者なんだなぁ」(菅直人)ってのは典型だろう。
 国民から選ばれて国政の一翼を担う責務の用意が無いってことは野党にしてくれって選挙で戦っていたってことだ。公約もなにも実現する責任を担っていないって放言で、とにかく「まとも」と思わせて選挙で当選すれば目的達成だったのだ。
 が、自身が驚くような「政権政党」になってしまった。
 何をして良いのか右往左往してるうちに解決を迫られる事態が山積されていることに気が付く。沖縄の普天間問題しかり、諫早の干拓問題しかり。その対応に四苦八苦している時に東日本大震災である。「責任押し付けられてはたまんないなぁ」ってのが当時の民主党政権の偽らざる本音だろう。
 そもそも、政治は結果責任で、責任を果たすのが責務なのだが、野党根性は起きた事態を批判することは出来ても、決断する能力は体質として無かった。だから、右往左往だったのだが、そもそも右往左往は中心があって右か左かなのだが、当時の民主党政権は中心が無いので迷走しか選択肢が無かった。
 その反省を踏まえて、新たに政権政党を目指すのなら解るが、東大安田講堂事件以来、革マルを中心にした民主党の支持層は事態の総括を放棄している。PDCAが無いのだ。それはとりもなおさず「教条主義」だから。つまり、自らを見直し変えていく能力を放棄しているのだ。
 さから、先の政権政党だった時の反省も無い。ひたすら「政権奪取」を叫ぶが反省や見直しは置き去りにされている。

存在感を担う重鎮が無活動で放置
 民主党(民進党)の代表が蓮舫氏で良いとした時点で民進党はアンコントロールになった。ある意味で斬新な党代表の選出ではあったが、その背景には多くの当選回数を重ねた議員の「あきらめ」があった。
 もう、どうしようも無い政党で誰が党首になっても無意味だから放置プレーに徹したのだ。それは民主党の下地に社会党、社民党などの「過去の人」が未だに残っていたのも問題がある。
 百花総論になるのは左翼の「いつか来た道」で、その代表は1970年代の学生運動に見える。全学連が学園の民主化を叫んで蜂起した時に共産党がすりよってきて民青が組織される。その共産党主導の運動を排除すべく全共闘が組織された。それがさらに中核、革マル、ブンドと分派していくのだが結局、組織をまとめ上げて一つの運動に出来なかったのは、その責務を担う人材の欠如であった。
 革マルはあくまで組織の温存が主眼で、そのためには与党とでも提携するって方針で、その是非はともかく、中核には無い思想だった。でも、革マルが組織を温存できたのは組織を重視したリーダの存在が大きい(以後、名前は書かないのでgoogleで検索してください)。
 今の民進党に組織を担う奴が居るのか。
 結局、野党が野党として担う責務は与党の監視役なのだが、そのためには多くの法案に是非を述べなくてはならない。実は蓮舫代表を選ばなかった(投票しなかった)民進党の議員には一生懸命活躍してる「野党としての」議員が多い。原口氏なんかはその代表だろう。
 与党になるのか野党なのかは別にして、健全な国会運営を出来るように「日本の洗濯」が必要だろう。今こそ衆議院を解散して総選挙を行い対立構造の一新を図るべきだろう。それが、国民主権の担保だと安倍晋三総理大臣も公表すべきだろう。

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2017/04/20
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