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実は沖縄の米軍基地は蓋だった
歴史の流れを踏まえて現在を考える事が大切なのだが、人間は体験からしか学ばない。体験は生存権に結びつくので、それも有りなのだが、個人の体験から集団の方針を決めるには問題がある。
体験は「個人的なもの」に分類され、必ずしも無視はできないが「一例」でしか無い。では、全体はどうだったのかと把握するためには多くの「体験」の集大成みたいなものが必要になる。 私がこのHPを始めた頃に「日本の歴史観の確立」と書いたら「歴史観は個人のもので集団が歴史観を持つのは洗脳された時だ」とのお叱りを受けた。大変参考になった。何故ならば、人間が持つ価値観はそのひとがどのような「立ち位置」に居るかで色眼鏡で見なければならないって本質的な事に気が付いていなかったことを指摘されたのだった。 ネット時代が始まったのは1985年のNTTの民営化以降だろうか。アメリカで実験的に始まった市民運動のパソコン通信、そして1995年に民間開放を「実験的に」行ったインターネットと言うかアーパネットの仕組み。その中で「自己主張」を振りまく人は多い。私もそのジャンルに区分けされるのかもしれないが、基本的に情報は「発信してナンボ」ってスタンスから「情報は受け止めてもらってナンボ」って立ち位置に1990年頃から私自身が変わっている。 発言の自由は日本国憲法で保障された「表現の自由」(ここには若干の疑義があって、出版の自由、を日本語化する時に「表現」としたフシがある)であるが、「聞かない自由」は憲法以前に社会の常識として存在するだろう。つまり、「伝わらない発言はゴミ」ってことだ。これがネットでも通用する当たり前の事って知ったのは、実は結構ネットにはまった後の事だった。(たぶん、PC-VANで「悪魔と魔女」旋風の頃だったと思う) で、沖縄の米軍基地の話だが、昨今、沖縄が犠牲になっている」なんて発言も多く目にする(最近はネット社会なんで「耳にする」ってのは死語かも)。 1945年に日本が連合国に対して降伏(ポツダム宣言受諾)した後の日本統治には様々なアイデアがあった。一般的には「戦時占領政策」を行って、やがて独自政権樹立に進むのだが、当時のアメリカは今ほど日本国民を信用していなかった。 だから、日本の「再度の南方出陣」を押さえるために、日本列島の南下の蓋として沖縄を地勢的に選んで防衛線を構築した。 つまり、今の沖縄の米軍基地は日本の南下を押さえるための戦線として構築されたのだった(70年も前の話だが) |