知事が議会会派の代表は民主主義否定

東京都の地方自治は崩壊する
 国政における「政党」は憲法にも明記されてない定義のあやふやな集団である。勝手に自ら「政党助成金制度」なんて法律を作っているが、さて「政党」とは何かについては定義を避けている。主義主張に関係なく5人以上の国会議員が手を組めば「政党助成金」を得られる構造になった法律だ(それ以外に細かな要件があって、これをクリアしても「政党助成金」は得られるが)。
 とどのつまり「政党」とは選挙制度に対抗した被選挙人(立候補者)の協同組合なのだろう。それを「政党」と称するから「政策」が必要になるが、実は民進党を筆頭に政党に「政策」なんか無くても良いと考えているのだ。
 その国政における「政党」を模したのが地方自治における「会派」である。名称が国政の「政党名」とカブルのは、この「会派」の中からいずれは国政へって踏台だったり国政の支援を受けたかったりだろうが、基本は「政党」の下部組織の構造である。
 国政は議院内閣制で国会議員の多数の支持を(決して、最大与党とは定義されない)得た代表が内閣総理大臣となり行政府のトップとなる。一方地方自治では住民が直接投票によって知事なり市長村長(いわゆる組長)を選ぶ。地方議会は別途地方議会選挙で議員を選ぶ。
 司法、立法、行政の三権を、三権分離にしている現行の統治制度は互いの組織が「にらみ合う」ことによるバランスを惹起している。様々な考え方がそれぞれで決定権を持ち互いに牽制するって仕組みだ。現に原発再稼働については行政府である日本国政府と司法の場が互いに違う見解を表明し国民の議論を惹起している。
 かなり前に今は民進党に居る逢坂誠二氏が「東京みたいな中央には地方の地方自治が解るはずもない」とブログで書いていたことがあるのだが「東京も統治機構は地方自治だ」とコメントしたら無視された。ニセコ町で係長してる頃からの付き合いだが、どうも、あの世代は「国家権力は悪で、それと戦うのが正義だ」って学生運動時代のトラウマを国会まで引きずっているようだ。
 その東京都だが議員選挙を控えて「都民ファーストの会」なる会派が旗揚げされているのだが、この代表に小池百合子東京都知事が就任する方向で話が進んでいる。

知事は有権者を見てない
 「同じようなパターンが前に有ったなぁ」と思う人も居るかもしれないが、橋下徹氏が大阪府知事、大阪市長時代に会派設立そして政党設立に動いたのは具体的な「大阪都構想」実現に向けての手段であった。その結果「維新の会」が国政で議席を得ているのは橋下徹氏の手を離れて国民の支持を得たからだ。
 一方、小池百合子東京都知事は東京の議会を自らの政策(?)に賛同する者で構成しようとする民主主義を否定したある種の「合法的選挙対策会派」だ。ま、国政の真似事と言えばそれまでだが。
 互いに「睨みあう」行政府と立法府の相互関係を一つにするってのは翼賛会であり住民不在の統治制度を生み出すのは大東亜戦争の構造として我々は学んでいたはずだ。
 「民主主義は手間暇かかる」と述べたのは亡くなった三宅裕司氏の持論だが手間暇かけないで政策を実現するために大勢翼賛会になるのは得策では無いのは我々は経験から学んでいる。
0  そもそも、何をしたいのかの政策が提示されていない。兎に角、数を集めるってイメージ戦略に意外と都民は気づいていて「都民ファーストの会」は世論調査では自民党(会派)に支持率で負けている。自民党会派のドンである内田氏が引退表明していても、小池都知事と自民党は対決姿勢を強化している。その最たるものが豊洲移転延期による東京都の財政負担の増大への批判である。一刻も早く豊洲へ移転するしか無いのだが、これを政治マターにしてパフォーマンスする小池都知事の企図は見透かされたようだ。
 政治の世界では是非が最大の争点になる。ある意味二者選択になるのだが、都民が選択する対象は現在は「豊洲」だけだ。本質的な話をすれば「豊洲」は場でしかない。その場を築地から移転して利用することの可否((と言うか「合理性」)は政策で言えば「行政の実施」である。行政は都議会の承認が無くては行動できない仕組みだが逆にその「お膳立て」をするのも行政の悪しき行動だ。
 三権分立の視点から見れば立法府は行政府に依存しているって事だ。唯一、行政府に依存しないのは行政府を誘導する「利権」が立法府(これも、変な機能だが)にあるってことだろう。
 知事は直接選挙で選ばれる有権者の代表だ。同じく地方議会議員も直接選ばれる。その機能が知事が地方議会の会派代表で失われる。それが、民主主義の仕組みの否定につながっていることを小池百合子東京都知事は理解できていないようだ。

戦う力は限界に達する
 戦いは短期勝利が一番望ましい。何故なら戦略は方針に添って物事の流れを変えるのだから流れが強いのが望まれる。解決策の先送りでは流れの勢いを失い、本来の流れを澱ませてしまう。
 戦いを長期化させるのは負ける側の戦法で、本来、勝利を得たければ短期決着が基本になる。
 現在の国際情勢で北朝鮮が選択したのが「長期化させる」って戦術が明確に勝利しているように、先送りは敵の殲滅に決して有利に働かない。そもそも小池百合子東京都知事の戦略は、いや、その前にある方針は「東京をドン支配から解放する」ってことだったはずだ。その方針を受けて進めた戦略はかなりの成果を上げた。ただ、戦術は矛と盾で相手の撃って来る弾は防衛しつつ攻めなくては勝利は無い。実際、自らも自民党に所属していたが安倍人気との相乗効果は短期的に冷めてしまった。そこで「都民ファースト」って会派の擁立だが、これも烏合の衆が参画して選挙対策集団に陥っている。
 そもそも、誰かの人気の風を利用して選挙で当選しようなんて輩に信念は無くて、政治屋稼業の「当選営業戦略」でしかない。これが、今までの日本では許されてきた。何故なら経済が右肩上がりだったからだ。政党や会派によって当選するって方程式が選挙の王道だったので被選挙人(立候補者)は支持層を醸し自らの政策をないがしろにしても当選できた。その時代は昭和時代のように連綿として受け継がれてる。何故かと言えば有権者の意識がもやは政治なんかどうにもならん制度だと認識しているからだ。
 今の統治制度では何も変わらない。その制度を改革することが必要だと考えている少数ながら国民主権を意識する人々は小池百合子東京都知事にその実現を託したが、知事就任から半年を経て、その力が無い事を自ら露呈してしまった。
 短期決戦と長期熟考を比べれば政治の世界では前者が最大の効果なのだが、そこのボタンを掛け違えては政治では無くて「委員会」になる。
 そこに「小池人気で当選」なんてすり寄った候補者を受け入れては悪い意味の「数の論理」だ。たぶん、すり寄り議員は軒並み落選の憂き目に会うだろう(それは東京都民が決める事だが)。なんせ、自ら政策を掲げて戦う姿勢が無いのだから。
 「都民ファースト」は良くて自民党会派の次「都民セカンド」だろう。下手すると「3番、サード、都民ファースト」ってギャグにもなりかねない。

button  民主主義の最適サイズを考察する
button  「究極の悲劇は喜劇」で終わった東京都知事選挙



2017/06/03
Mint