岩盤規制への挑戦は行政の既得権益への挑戦

既得権益を行政が許認可権で維持
 そもそも「既得権益」は何処に存在するのか。それは民間団体には存在しない。何故ならば、民間には相手を規制する制度が無いから。何かを始めようとする行為が違法でない限り民間団体がそれを阻止する活動は出来ない。唯一、銀行を利用して資金の供給を断つことくらいしか阻止する対抗措置は無い。
 ところが「許認可」のジャンルになると行政の匙加減の範疇になる。何故、認めないのかは行政の作文により理論武装される。これを不当と司法の場に訴えることは可能だが、今まで事例が無い。何故なら、許認可権は行政の専権事項で司法が踏み込む余地が無いと解釈されているからだ。極端な例が原発の再稼働阻止裁判だろう。原発を稼働させるかどうかは行政の裁量権で司法が可否を判断する対象では無いってのが司法の基本スタンスだ。
 そもそも行政の許認可権には誰も踏み込めないと考えられてきた。それが「岩盤」であり、ある意味で国民の意思と解釈される。それが、規制緩和を阻害してきた「岩盤」の実態だろう。
 そこに岩盤破壊の風穴を開けるには、ある意味で敵は行政である。その行政と戦って許認可の壁を打ち破るのが「規制緩和」だ。だから、許認可権を既得権益としている行政と真っ向から対立する。
 立法府から見れば法律で規制された「岩盤」は法改正によって風穴を開ける事ができるが、行政が持つ許認可権は法律で改正することが難しい。しかも、日本は議院内閣制度なので立法府のトップが行政府のトップを兼ねるので行政府の「許認可権」は立法府と表裏一体で改革を通常の手法で行うには制度上の壁が存在する。ある意味で立法府の長である総理大臣が行政府の長として相反する課題に対応しなければならないのが「岩盤規制の打破」って命題だろう。
 そもそも、立法府の長であり、行政府の長でもある総理大臣の意向が国政に反映されないのであれば統治機構の欠陥である。現実には日本の統治機構には地方自治も含めて欠陥があるのだが、これを正そうって既存の統治機構は維新の会を除いて皆無である。ま、このあたりは次の話しとして書くが、基本的に「岩盤規制の打破」なんてのは行政府の長では言えないし実行できない命題で、それにあえて挑戦すると様々な軋轢が生まれるってのが今回の問題の根底にあるのだろう。

業界と行政の癒着こそが岩盤
 先に「民間は他の行動を規制できない」と書いたが、政治(立法府)の世界には当選(集票)を目的に支持団体が存在する。この団体の構成員が選挙で票を投じることにより国会議員に選ばれる(当選)って仕組みだ。
 一般的には「利益団体」とか「支持団体」とか表現されるが、国民の代表である代議員を特定の団体の集票により当選させるって手法だ。この手法は現在の選挙制度にあては存在可能な方法論で、特定の団体が特定の候補者を代議員に当選させる仕組みは合法であり、実際に運営されてる。
 つまり、本来は「国民の代表として立法府を構成する」代議士が、実は特定の団体の利益誘導のために代議士になり立法に関与することが可能なのが今の選挙制度だ。ここであえて「選挙制度」と言うが、選挙により代議士を選ぶ方法は山ほどあるが、現在の制度は多くの欠陥を内包していると考えている。その内容は多岐に渡るが、一番の問題は支持組織により当選した代議士(もはや、国民の代表とは言えない)が支持組織のために立法府で行動することだろう。ところが、その代議士は野党の場合が多いので、結果として支持団体へのメッセージは「与党撲滅」って本来の民主主義制度で選ばれた多数を否定する行為に陥る。国民の代表にあるまじき国会議員活動としては背信行為だろう。
 それが少数派の野党だたらまだ国民の不幸は少ないが、与党だったら国政は支持団体に牛耳られた特定利益集団の私物となってしまう。
 それが、岩盤規制だ。代議士を選ぶ過程で特定の団体が支持(集票)を約束し、その特定の団体の利益を最大限にするために当選した代議士が活躍する。それも、立法府の代議士にも拘わらず行政府に介入する。それが癒着であり「岩盤規制」を構築する原動力なのだ。
 行政が持つ「許認可権」は立法府には手が出せないのが建前である。しかし、実際には「許認可権の裁量」を操作した政治家は枚挙にいとまがない。

岩盤規制打破は社会構造のちゃぶ台返し
 それで巧く行って制度に風穴をあけるのは容易ではない。しかも国の許認可は立法府が関与できない行政府の専権事項になっている。だからこそ「岩盤」なのだが、これを打ち破るには本質的には「統治機構の改革」が必要だと考える。
 日本の統治制度は三権分立で「司法、立法、行政」は互いに睨み合いながら政策を推進するって建前があるが、昨今、この三権分立が「癒着」してないだろうか。
 ま「癒着」って言葉からイメージする事象は個々人バラバラだとは思うが、私の感覚では、そもそも三者は癒着から一番遠い存在でなければならない。それが憲法が命じている三権分離だと思う。
 しかるに「岩盤規制打破」を立法府が国政にした時に一番影響が大きかったのは日本社会では無くて官僚社会だったのだ。「いざとなったら法律で岩盤を崩壊させるぞ」って姿勢が見えた時に三権分立と言いながら立法府は国民から選挙で選ばれた組織なので官僚組織より上位になる。ま、それに気が付いて民進党が「構造改革廃止法案」なんてのを叫んでいるのだろうが。
 社会構造はある種のバランスで成り立っている。それを左右するのが公官庁の許認可制度では無いのだが、それによって既得権を得ている政治家を筆頭に多くの利益団体が存在する。結局が、日本を閉鎖社会にしてしまっているのだが。
 完全自由化も資本力のある団体の横暴を許すので問題があるが、かと言ってガチガチの規制では新たなイノベーションは生まれない。そこで大切なのは規制の見直しを定期的に行うことだ。最も象徴的なのが憲法9条だろう。時代の変遷とともに条文の成否を見直してこなかった象徴だ。だから、今の国際情勢では2項にある「前項の目的を達するため」の情勢に無いって判断が可能になる。つまり「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」状態に今の国際情勢は無いってことだ。
 ま、憲法に限らず官僚は「前例主義」なので、我々の少し前の世代は修学旅行に米を供出する必要があった。米飯通帳なんても形骸化して残されていた。
 少し社会制度をちゃぶ台返ししてはどうだろうか。その影響を的確に把握する手法が確立されていれば日本の弊社社会を打破する原動力になるかもしれない。
 その時にマスコミは伝えるべきことは何かに気が付くだろう。実は岩盤規制で一番守られているのはマスコミなのだ。記者クラブ制度を筆頭に「廉価な記事を得る既得権益」が国民の判断を誤らせているのだから。
 「共謀罪」なんて法律は国会に上程されていないにも関わららず表記するのは「ファイクニュース」だろうがぁ!

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2017/06/17
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