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数の論理で結果は自明なのだが
「強行採決」って用語は民主主義制度に存在しない。多数決を決議の手段としているからだ。数で少数な野党はどう頑張っても法案否決を勝ち取れないのが現実なのだが、何を信じているのか(宗教か!)「廃案」を国会活動の基本にしている。
合理的に考えてそれでは勝てないのは自明だがそれを認めないなら国会を占拠でもしないかぎり無理だろうと思うけれど、何故か「廃案に持ち込む」って宗教に洗脳されているらしい。 市民運動と国会議員の使命は大きく違う。残念ながら市民運動は国民の預託を得たものでは無いので責任は伴わない。ま、主張内容や行動の責任は「自己責任」に帰着する。 一方、国会議員は選挙で立法権を預託された人間で、大きな意味では「国民の生命、財産」に責任を負う。それが預託の基本なのだが、ま、それを知らないで今の民進党に預託する選挙民が居るのはいなめない。 結局の所「立法府」は法律を作る機能を持った組織だ。だから、上程された法律は最後は数の論理(イコール、選挙で国民が選んだ最も預託された議員の多い集団)で議決される。 これを「強行採決」とか言ってマスコミも含めて叫んでるが、この解決方法は民主主義制度の一丁目一番地なのだ。だから、結果の見えている立法府の議論で野党が立ち回らなくてはいけない責務は「廃案」では絶対に実現しないのは明白だ。 民主主義の「決議」は多数決ではあるが「決議」に至るプロセスは言論の尊重である。この後者の手法をまったく放棄して多数決に真っ向から「廃案」で挑むのはドンキホーテを見ているようだ。結論が「予定調和」なのだから哀れさすら感じる。 何時まで「絶対反対」を標榜して最後は多数決で負けるってシナリオを繰り返すのだろうか。野党の代議士を選んだ選挙民が考える「与党への抑止力」って「絶対反対、即廃案」って方法論に満足しているのだろうなぁ。それは、政治に対する責任の放棄なのだが、今のマスコミは与党を攻めるのが野党ってアナクロな戦前の発想(それを作ったのも今のマスコミの前身なのだが)で報道する。 国会は「議論の府」。そのメンバーを選ぶのが国政選挙。「政党」なんてまがいものなのは前に何回も書いたが、基本的に個々の選ばれた代議士が自律して国政に携わる場が国会であることを改めて確認しておこう。 |