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テレビの初期は映画劇場ばかりだった
もう50年も前の話でまだテレビ放送が白黒だった時代に午後になるとテレビ放送はお休みになった(あ、当時の小樽市での話です)。機械の調整とか言われていたが結局は放送するネタが無かったんだと思う。それを証明するのが大相撲中継で、これはNHKだけでは無く民放全局が午後の「お休み」を返上して放送していた。
その延長なのか午後には映画劇場が設定されて一週間で3話。つまり二日連続で同じ映画が放映されていた。今のツタヤのレンタルDVD(そ言えば、前はレンタルビデオと呼んでいたなぁ。今でも報道番組なんかで「VTR映像があります」って言ってるけど、今日日テープかぁ(笑い))よりも内容が濃かったことをおぼえている。当時のラインナップは玉石混合だったが名作は不思議と記憶に残っている。この放映で出会った記憶に残った映画は「自転車泥棒」、「ラブミーテンダー」、「帰らざる河」、「会議は踊る」だった。また、週末には夜に映画劇場って放送枠があって、こちらでは「ローマの休日」、「太陽がいっぱい」、「ベンハー」(実はノーカット版を見たのは50年後のJCOMだったのだが)なんかが有る。 昭和30年代の映画は映画館で入場料を払って見るもので、テレビで無料で見る事ができるのはエポックメイキングな事だった。今風に言えばイノベーションだった。 そんな時代だったが最初に映画館に足を運んだのは6歳の頃だった。記憶では小学校入学より前だったので今で言う幼稚園の年長さんの頃だったのだろう。小樽の緑町に映画館があって、昼間家族で行くと満席で背の小さい私には映像が見えない。父親が肩車しようとしても周囲が肩車してるのでスクリーンを見る事が出来ない。結局、切符切り(昔は居たなぁ)のお姉さんにクレーム言ってハンコを押してもらい夜の上映に再度来ることにした。 で、暗くなった20時(当時の私には深夜に近い)の上映に母と出かけた。父親と妹は留守番。 で、見たのが木下惠介監督の「喜びも悲しみも幾歳月」。 小樽の日和山灯台(ひよりやまとうだい)が舞台になっているって話だったので、そのシーンを見るまで寝ないぞとシートに座っていたのだけれど、その内容に感動して全然眠くならず最後のテロップロールまで見て帰ってきた。母親が「映画好きなのかねぇ、最後まで起きてたよ」って声を聞きながら寝床に入ったのだけれど。 |