企業風土も時代で栄枯盛衰(武家、公家、野武士)

企業には独特の社風がある
 40年も前からコンピュータ業界に籍を置いていたので、その関係の企業との付き合いは長くなる。仕事関係では会社の系列でNECが多かったのだが、こちらは優等生のエリート社員って感じで付き合っても面白みはほとんどなかった。
 たまに豪傑が居るのだけれど本流は「電電公社担当」で、豪傑は亜流だった。その意味でNECの営業部門が数十億円の裏金を作って営業活動したとか、出来もしないアクティブ・アレー・レーダの開発費を防衛庁(当時)から得たとか、ま、あくまで本流は守って亜流を切る会社の社風が見え隠れしていた。
 コンピュータ関連で言えば当時(40年も前の話)業界の再編成ってのが通産省の馬鹿の一つ覚えで自動車産業もコンピュータ産業も「国際競争力を持つ」って役人の商法から統合されたのだけれど、NECは当時持っていた大型汎用機のACOSを東芝と分かち合いACOS-2はNEC,ACOS-4は東芝、ACOS-6はNECと分かち合った。ちなみに私は当時(昭和50年前半)に計算センターでNEAC2200からACOS-2への移行を担当して(なんせ、古い技術者は新しい汎用機を嫌ってた後にACOS-2のオンラインであるPWSSをマスターした。その後、計算センターを離れても、この技術で10年ほど全国の血液センターのシステム化で食っていくことが出来たのはこの計算センタでの経験で得たものだった。
 もうひとつ得たのは当時はACOS-2でもPWSSは開発途上でオンライン端末はN6300でTOOL-Nで開発した端末プログラムでしか稼働できない時代だったのだが、室蘭の水道局に納入したシステムでオンラインでの収納状況(水道料金の未納状況の把握)システムを構築したことだろう。以後、常にオンラインが私の周辺業務について回る。
 一方、今ではオフコンとも言えないN6300で石狩市(当時は石狩町)の水道局に収納システムも収めた。これは調定(水道料金の計算)したデータをフロッピーにして現場のN6300(当時は破格の4フロッピードライブの機器だった)にデータ渡しをするもので、オンラインが高価だった時代の産物だった。毎月8インチのフロッピーを納品してたのだから。

三菱の課長の接待の時
 本来、技術職なんだから会社の仕組みとしては営業部門とは一線を画しているはずなんだけれど、営業部からの要請で時間が空けば(結構開くんだけど)付き合い営業することが多かった。営業の部長に気に入られたこともあるのだけれど、本来業務じゃねえだろうって場面で出会ったのが三菱のコンピュータ部門の課長一行だった。
 当時の三菱は社内システムはIBMで構築されていて、何で会いに来たのかなって感じだったのだけれど、そこは20代そこそこそこのペーペーですから営業に同伴しました。ま、接待と言うのか情報交換をしてたのですが、私が「三菱のメインフレームはIBMですよね」って発言が妙に気に障ったらしく営業の部長に「あいつは何だ」とクレームが入ったそうです(私は退職後に知りました)。当時は直接では無かったですが、営業の上司から「三菱の課長さんと口を訊くときは慎重にするように」って今までにない注意を受けました。後年、医療現場の仕事をした時にスッキカリ忘れていたら「お前は、三菱の課長さんになんて口の利き方をするんだ!」と飲んでる現場で怒られたことがあります。受け狙いのジョークだと思ったら私はまったく三菱の文化を知らない田舎者ってことだったらしいです。
 もっと凄いのは「会食は係長と一緒の場では困るんですよね」って話。おっと、極秘の話をするのかと思ったら「接待の待遇」に対するクレームなんです。なんでかなぁ、と思いましたがま当時はペーペーですからそんなんかなぁと思いました。まして、私の責務範疇じゃないのだ、無視してました。ま、三菱の人との付き合いは配慮が必要なんだなぁってくらいの感想です。
 で、同じ組み合わせでまた会社に来たのですよね。もちろん私は接待からは外されていたのですが後から聞くと「時間を違えて、課長と係長を同じ店で接待したろがぁ」ってクレームが来たそうです。
 なんだかなぁ、三菱って組織は課長と係長は別次元って組織らしいです。
 三菱は「武家」なんです。仕事の濃淡じゃなくて相手の上下関係に配慮しない奴は切り捨てられる世界なんですね。
 で、当時の三菱のコンピュータはメルコムで、消えて久しいです。通産省(当時)の役人が商売に手を出す以前に市場経済ってのが発揮されたんだろうなと思いますね。

東芝はTOSBACにこだわっていた
 先に汎用コンピュータのACOSの話を書いたが、実はACOS-2とACOS-4は同じ名前なんだがOSの開発思想が全然別物だった。私はACOS-2が好きだったのだが、これは前身はオリベッティが開発したOSだった。オリベッティってタイプライター作っている会社かぁって思う人が多いと思うけど、当時は汎用機のOSも作っていた。ちなみに、現在ガソリン・スタンドの給油機で有名な「タツノ」だが20年ほど前は給油機とPOSのOSにオリベッティを使っていて、これを「ルクソール」として販売していた。
 さすがにガソリンPOSの頃は管理職で現場に手を出していないがオリベティの開発思想は私には解り易かった。その延長線上のNECが開発したLEVEL-2A(1200bps)、LEVEL-2B(2400bps)のオンラインのプロトコルも理解が容易だった。
 しかし、東芝が手掛けたACOS-4は、およそ汎用機の延長線上のOSでオンラインもIBMのバンキングに取って変わろうとしたのかエラクごついもので中々馴染めなかった。。
 当時の東芝にも亜流ではあったけどコンピュータ部門があったのだが、NECとの合併で汎用コンピュータは行き先が無くなった。その時に活路を見出したのが電力会社の送電系のミニコンである。実は日本国内ではIBM信仰が強くてミニコンの需要が巧く行かずVAXとかに世界市場は奪われていた。そこで通産省(また、役人の商売が出てきますが)がミニコンの市場開拓のためにΣ計画(シグマ計画)なるものを打ち上げて札幌にエレクトロニクスセンター(以下エレセン)を作ったのが当時の流れ。
 東芝はそれに「お付き合い」しながら本来の電力ネットワークで商圏を拡大していく。当時のエレクトロニクスセンター設立の関係者に失礼があるので具体的な企業名を揚げて書かないが、東芝の営業と話した時に「あれは、郵政省(当時)と通産省(当時)の夢物語でしょう。そんな中で重工文化でソフトウェアなんかおまけって会社が本気になれないでしょう」と言われた。
 実は東芝の札幌支店から協賛金も含めてエレセン構想にどう対処するか本社にお伺いを立てた時に返答は「良きに計らえ」だったのだ(当時の支店長から聞いた話)
 あの頃は東芝のPC部門がペンタゴンにダイナブックを5万台納入する交渉が進んでいて、結局、オーストラリアの信金のシステムをIBMの互換ってことで富士通と一緒にパクッテ納めたことで取り消しになるのだが、ま、そのへんも「良きに計らえ」なのだった。
 現場が2001年宇宙の旅でキューブリックが描いた端末「ダイナブック」(これをジョブスが描いたと言うのには私は賛同しない)の名称を世界標準の商標にしようとした時も上の判断は「良きに計らえ」だったと言う。つまり波風立てない公家が東芝の文化なんだろう。

日立はすげぇなぁ
 これ、会計基準に違反するので、時効になった事だけ書きますが、地元の札幌市では日立の大きなマーケットは交通局。それも地下鉄。市民への説明責任があやふやなうちに大谷地にある交通局の建物は空き家一歩手前、昼間だけ営業している弁当屋は解るのだけれど、週2日だけ営業している床屋は何故残っている? 身嗜みは勤務時間として認められているからか。そこに「市営」の矛盾がある。これを読んだ人は一回「地下鉄、大谷地駅」で降りて地下の案内に従って「交通局」を訪ねてほしい。どんだけ札幌市民の血税を食って最後はこのゴーストタウンか!と知る貴重な「札幌遺産だ(笑い)」
 実は日立製作所との仕事の付き合いは少ないのだけれど、関連会社の契約書の多くは日立製作所との契約で関連会社との契約書になっていない。数年前に「架空取引」をして欲しいと頼まれた案件があったのだけれど、これも契約書は日立製作所だった。
 私が経験したのはまさに札幌市の地下鉄事業でのシステム開発だった。先の大谷地に日立のオフコンがあって、これでシステム開発を行っていた。そもそも日立がオフコンと思う人が多いかもしれないけど、林業を中心に製造業では日立はかなりのシェアを持っている。ただ、この交通局の仕事をして、なんか違うなと感じたのは仕様の詰めが甘い事。仕様を元に見積もりするのだが、その仕様が作業を進めると変化してくる。実は私が管理職として担当したのが地下鉄の広告掲載の管理システム。広告掲載の利用料金の基準はあるのだけれど、空きが出ないように割り込みを許すって仕組み。
 一般的な広告掲載には当然有る仕組みなんだけど、当時の担当者は「許すまじ」(なんで?)って感じでシステム化から外していた。
 本番運用を迎えて割を食ったのは当社。「こんな機能は常識だろうがぁ」と打ち合わせにも出てこない課長がまくしたてる。
 で、システムを改修することになったのだが、その経費はどうするんだと日立製作所に詰め寄ると、一般的には「契約条項を順守してください」ま、瑕疵条項を言ってくるのだが、営業は「何とかします」との返答。
 で、当社の届いたのは「コピー機100台レンタル」の契約書。
 「え!なんでぇ!」と言ったら「金に色はありません。これで勘弁してください」って返答。
 奴らはやっぱり「野武士」だなぁとある意味恐ろしく思った瞬間だった。NECにも東芝にも三菱にも「野武士」が居ない悲劇ってあるよなぁ。

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2017/08/25
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