支持率1%が再編成しても支持率は1%

統計における誤差率
 とあるテレビ番組があったとしよう。一方は「クイズ10人に聞きました」、一方は「クイズ100人に聞きました」。
 正解はどっちと聞かれた時に何となく後者の「クイズ100人に聞きました」のほうが事実に近いと「直感的に」感じてしまう。実は理論的にも正しくて統計には集計した数値に必ず「誤差」が含まれている。簡単に説明すると統計は対象とする全数の調査が時間的、経費的な理由で出来ないのでサンプル調査となる。つまり、先のクイズはサンプル数が10人か100人かの違いなのだ。
 で、全体像である、例えば国民の意向に対してサンプル数が多いほど真実に近づくと思うのは感覚的にも解る。実際に統計学では調査した対象を「サンプル数」、本来の調査対象の全数を「母数」と定義して、この比率から「±の誤差率」を計算により求める事ができる。
 昨今、行われているマスコミによる世論調査では必ずサンプル数を表記するが、これは1000から2000の間になっている。経済的に打倒な数量として基準化されている。一方、世論調査の「母数」は国民の数と見るか有権者の数と見るが議論があるが、国民の数を母数とすると先の「±の誤差率」はサンプル数が1000から2000の間では5%程度と計算される。
 つまり、政党支持率が5%未満は誤差の範囲になる。
 これに恣意的解釈を加えて、「選挙での有権者数は全国民数では無く60%程度だ」、「選挙での投票率は60%程度だ」を加味して、初めて誤差率がその半分の2.5%程度と推論する合理性が説明される。
 にしても、現在の希望の党の支持率は、最大限に猶予した誤差率を下回って、ま、気まぐれ回答の範疇を脱しえない。

検討に値しない国会勢力
 国会議員ってのは妙な商売で、衆議院の場合国会が解散するまでは国会議員の地位が保証される。ゲスな言い方をすれば歳費が国から支給され続ける。賞与もその働き加減によらず定率で支給される。
 一般的な、特に営業職にあるサラリーマンから見たら目標(ノルマ)が無い勝手気ままな活動が保証された特別国家公務員が国会議員とも言える。
 ちなみに同じ国家公務員である自衛隊員は命を賭する使命を求められる。その違いを上から目線で「文民統制(シビリアンコントロール)」と呼ぶのには違和感がある。何故なら、現在の国会は現場で命を賭している自衛隊員に対して安全地帯で指揮命令をする昔の旧日本軍の大本営と同じ構造を受け継いでいるから。
 日本が大東亜戦争の敗戦で国家をリセットしてから経済は大きく成長した。軍需産業の製造技術を継続して民生産業への脱皮が出来たからだ。いまだにそれが出来ていない三菱、東芝、日立が好例だが、民生産業で勝負出来ないのは大東亜戦争当時の経済構造に依存しているからだ。特に三菱に至っては坂本龍馬暗殺により「いろは丸事件」の賠償金を元手に藩札を買い漁った政商である岩崎弥太郎を否定しない企業文化が「武家社会の三菱」として連綿と続いている。詳しくは企業風土も時代で栄枯盛衰(武家、公家、野武士)に書いてある。
 話が逸れた。
 今の日本の国会で野党は存在しない。与党とそれを取り巻く与党以外の烏合の衆しか居ない。
 私たちは政治家に国家の行く末を託しているのだが、実際は安泰の与党勢力と与党勢力を政局で攻める野党勢力の2極の構造で国民や国家は蚊帳の外に置かれている。国会が国民の請託を受けた「代議士」によって運営される構造が崩壊しているのだ。

愛国心の是非から議論
 国会議員として選挙に挑む者に「反日」が有って良いはずがない。この場合「反日」とは日本国を愛する愛国心の無い発想のことだ。戦後の日本の教育は「国家は悪い事をする存在。だから、大東亜戦争が起きた」って歴史観に支えられている。反国家主義が正しい国民のありかたとされ、国家の批判が進歩的思想と位置付けられていた。
 ま、大東亜戦争の反省から導き出される思想としては「あり」なのだが、それを70年も引きずっていては国家の方向を見誤る。
 そもそも「国家が悪い事をする」のを防止するために国家の運営に国民の意向を反映させる選挙制度による民主主義を導入(ま、「押し付けられた」って意見には同意するが)しているにも関わらず、いまだに「国家は悪い事をする」って発想の政治団体からの立候補者が国会議員に当選する。昭和20年代から脱却できていない思想の国会議員が国会に押し込まれている。それが「反日」国会議員だ。
 共産党は「世界同時共産革命」を信じる宗教的集団で発想は解りやすいが、その他の野党に分類される政党は発想が不思議な集団だ。
 突き詰めていくと先に書いたように与党への対抗だけが目的で「国家は悪い事をする」の発想から始まって国家否定の無政府主義かぁと思わせる発言が散見される。
 あ、朝日新聞の論調では無いが「ちょっと待って欲しい」。
 国家を運営する元である国会議員(現在の日本の選挙制度による代議士)に愛国心が無くて成り立つのだろうか。
 国を運営するには、まず、愛国心がスタートラインだろう。そのフィールドで国家のあるべき姿を語るのが国会であり立法府であるべきだ。しかし、今のいわゆる「野党」は与党と対峙する政局を求めすぎて国家をないがしろにしている。
 極端な狂言をすれば「反日野党」になっている。
 それが国民の支持率の低下になっている。ま、支持率が統計上の誤差範囲に含まれるってのは存在価値が否定されているってことだ。
 どんな再編成の策を行おうが「玉が悪い」(構成員が国民の代表たる品格が無い)のだから支持率は好転しない。
 次回の選挙で落選しないための行動なのはミエミエだ。だから、口から出るのは選挙対策で国家論では無い。
 与党を批判する国家感無き野党の時代は終わったのだが、気が付いていない国会議員と有権者が未だに昭和20年代のGHQによる日本改革を「進歩的」と考えているのだ。実際は他力本願の無政府主義だったのだが、当時の共産主義の教条によって教育を支配した結果、日本の「国民性」を洗脳した。その結果が今の国会の野党の構成員に現れてるのは「成果」であろう。
 ただ、国民は時代の変化に敏感である。いまさら国家否定の代議士を国会に送り込むのは共産党支持者だけで、政局目的の国会議員は支持しないって結果が「誤差範囲」の支持率に現れているのだろう。

button  立法府の崩壊は野党の性根が腐ってるから
button  与党根性の自民党、野党根性の民主党


2018/01/29
Mint