無責任なヒョーロンの路線分類
さらに突っ込んで
この資料がある。
こんな作文なら私が去年の12月に書いている。
北海道の鉄道網は国策で決定されるだ。違いは石北線の扱いである。私は石北線は昔の路線で峠越を、大きく迂回した線路敷設を行っている。常紋トンネルは古くて維持困難だし、時間短縮のためには新たな鉄路を作らなくては困難だろうから廃止と述べているのだが、今回のRail-Net(WT)では「存続の価値あり」となっている。現場見たのかぁ!。常紋トンネルを維持する経費を考えると石北線を維持するためには新しい鉄路を敷設する必要がある。しかも、将来可能であれば電化路線にする前提で。
「国がなんとかしてくれる」ってリポートを作るための北海道庁のアリバイ工作がRail-Net(WT)なんだろう。「こうなったら皆、ハッピー」って意見表明だ。
実は「委員会」とか称せられる行政の政策決定の方針の参考意見に外部機関を使うのは役人の判断には間違いが無いってアリバイ工作の面が大きい。結局、役人は無謬性で守られるって発想だ。
守る路線と切る路線。そんなことは想定内だろう。にも拘わらず表明したのは「守る路線は国でやってくれ、切る路線は市町村の仕事で北海道庁が取りまとめの仕事にしてもええでぇ(廃止に同意を得やすいから)」って役人根性がミエミエの報告だ。
ま、それでもいいさ!って北海道庁に期待しない感情もあると思うが、結局、地方振興局とか北海道庁の機能を縮小して無責任体質にした元凶は誰なのか。
私は知事では無くて道庁職員だと考える。
日本の政策決定とか議会決議とかは結局は事務方の作文で決定される。消費税を上げるのかどうかが事務方の作文に政治家が右往左往されるのは既成の事実だ。
で、委員会でも委員長に祭り上げられるシトは結局は事務方の作文の承認を求められている。だから「出来レース」なのだ。
誰が責任もって「わしの(Rail-Net(WT))の意見を実施したらええんやぁ!」は報告書には書かれていない。つまり、責任放棄を「理路整然」と表明するアリバイ工作なのだ。
統治機能不全が役人の迷い
役人や官僚は国家の手先のショッカーのような悪であるなんて感覚は私には無い。むしろ、その才能を生かせない統治機構に問題が有ると思う。昔の映画で知る人は少ないと思うけど、織田裕二主演の「県庁の星」ってのがある。このラストシーンで知事の酒井和歌子が企画書をゴミ箱に投げ捨てるシーンがある。「何故?鋭意検討するって議会で答弁したから企画書を纏めたのに」と織田裕二は思うのだが、知事である酒井和歌子は「あんた、何年役人やってるの。鋭意検討って何もしないってことでしょう」。つまり「ベンチがアホやから野球できへん」と言った江本孟紀氏と同じ状況の織田裕二は追い込まれるのだ。
統治機構のトップに責任があるかと言えば、それは特別公務員にちと酷だろう。民間で言えば「社風」だろう。役所は人事異動が頻繁にある。そこで専門家は育たない。「県庁の星」のような専門家は入庁数年で役所の統治機構に吸収され「大人しい役人」になってしまう。
で、Rail-Net(WT)担当なんてなる頃には役人根性が染み付いた「立派な」公務員になっている。その行動は「組織の論理」最優先になる。だから映画の「県庁の星」は異質で着目されるのだろう。
Rail-Net(WT)の話はそんなところだ。「役人による、役人のための、無責任な結論」ってことだ、各市町村の組長は、私の先に書いた昨年のリポートを参照してもらいたい。
で、私も定年になったので守秘義務も無効になるケースが多々あるので、余談を書いておこうと思う。
1988年頃だったが北海道庁に「NF212構想」ってのがあった、ま、当時の横路知事による新長期計画の始まりなのだが、当時は北海道開発局の仕事を請け負っていたので「北海道庁が計画作っても、それを具現化するのは我々だろうがぁ」って北海道開発局の幹部が多かった。ただ、政治的はバランスには精通してるのだろうけど個々の構想にはコメントできる知見は無かった。
で、当時はSE稼業だったので役所の委員会なるものとはコネクション何も持っていないのだが、その「NF212構想委員会」のメンバーに「ちょっと来てくれ、一緒に話を聞こう」と言われて事務所に行くと委員会の「事務方」が居て「こうするのが委員会報告の趣旨なんですが」って会話をしていた。
「ちょっと、専門家に来てもらているから、これどう思う」と振られたが、私は若干32歳。名刺交換した相手は北海道庁の課長と係長。
でも言いたいことは言うタイプ(それで、どんだけ損したか)こんなんのは間違っている、ネットワークに地域拠点なんかあり得ない。世界のどっかに一か所あれば良い。それがネットワークです。北海道庁と地方自治のピラミッドをトレースした情報政策って何の価値も生まない愚策です。報告書を書き換えなさい。と言ったのです。ま、それを自分で言わないで私に言わせた委員会メンバーのほうが数枚上手だったってことだが。
で、報告書は訂正されずに公表されたのです。「北海道NF-212構想」と立派な表紙を付けて(ここ、笑うところです)。
で、それから10年後に北海道庁の仕事をすることになったのですが、その担当者が何故か事業発注者に居たんですよ。「あの時の意見はきつかったなぁ」と言われて「でも、結果見たら明らかでしょうNF-212構想なんか霧散している」と言った「ま、そのとおりです。だけど、役所には役所の作文技術がありますから」と言われました。
それから私は「公僕は自己チュウ」って意見を変えません。
Rail-Net(WT)なんて誰でも気づく結論をなぞっているだけの役人本位の組織でししょうね。
本当に北海道の鉄路をどうするかは、誰も責任負わない。
そんなら「死んだらええのに(c)ダウンタウン浜田)」
学生時代は写真部と言えど白黒しか扱えない時代で、それでも鉄道写真を撮りたくて冬の常紋トンネルで寒さに震えながら写真を撮ったことがあります。本来乗降出来ない駅で車掌さんが「降りて撮影するなら、次の列車に拾ってくれ言っておきます」って行為を当時大学生(22歳)の私はお返し出来る時代になったのかと思う。
鉄路の1本(石北線)も守れなくて、国民を守れるのかぁ>政治家よぉ!
役人に任せておくとこのザマだ。政治家が出る格好の場面だろう。「貧乏くじを引きたくない」ってなら、こちとら、馬鹿には投票はしないかんな!(ドン!(机を叩く音))