日大アメフト部への囲い罠が何故成功したか

事前に作られたシナリオ
 あえて「ゲス勘」だと表明しておくが、今回の「日大アメフト事件」は壮大な世論を巻き込んだシナリオが事前に準備され、それをPDCAよろしく相手の出方に合せて修正しながら基本方針を押し通す戦略に長けた対応を行った「知恵袋」が存在するのだろう。それに対して日大は後追いで参戦して返り討ちにあっているってのが現状だろう。
 危機管理のイロハは雪印乳業の食中毒事件の時の社長がエレベータの前で「こっちは寝てないんだよ!」と叫んだ例に解るように、一度「ご節ごもっとも」と認めた段階でひたすら低姿勢で難局を乗り切るってのが基本だろう。必要以上にツッコミを入れて来るマスコミに言い返したい事柄は多いだろうが、所詮世論操作するマスコミの向こうに市民(ま、消費者かな)が居るのだから、マスコミを逆手に取るほどの「戦略(何が有る、何が無い)」を立てるのが必要で対立しては駄目だろう。
 今回の「日大アメフト紛争」(1968年頃の日大紛争は日大闘争と表現が様々だが、ここは「紛争」で良いだろう)は「試合での違法なタックルで起きているんじゃない!、日大のアメフト部で起きてる」とまぁ、織田裕二バリに叫びたいのだが、その日大アメフト部の脆弱性を計算して描いた「シナリオ」の存在を意識せざるを得ない。
 発端は宮川選手の記者会見である。時系に追うと、この時点で被害者家族(当人含む)と、加害者家族(同様に当人含む)の会談があってから被害者の父親は宮川選手の擁護派に回る。もちろん、息子を不当な暴力で傷つけられた当事者の父親として怒りを持って居ただろう。だが、宮川選手に会って、謝罪を受けてた段階で(最初は第三者が同席しない場)問題の本質と戦うべき「相手」が明確になったのだろう。
 息子をケガさせたのは宮川選手だが、その背景を考えると個人の問題から組織の問題に起因すると考えたのだろう。その判断は正しいのだが、一般人ではそこから前に進んで「個人と組織の戦い」に持っていくのは難しい。結局、個人は組織の論理で抹殺されるのが常だから。
 そこで、作戦の組み立てが行われたのだと思う。日大を攻めるにはどんな段取りを構築すれば良いのかのシナリオ作りである。

危機管理の鉄則は先手必勝
 この問題が大きく動いたのは宮川選手が行った記者会見だが、その舞台は日本記者クラブである。ここの場を設定できたのは誰の力なのだろうか。
 一般人が日本記者クラブで会見を行うってのが自由に出来るのだが、記者クラブが認めるには話題性が必要で、実は、この会見には多くの仕込みが見え隠れする。
 まず、宮川選手が上申書を書き留めて、これに準じて記者会見に臨んでいる点がある。場当たり的では無くて主義主張を予め整理して文章にまとめ上げるって方法は個人の判断では無くて外部のサジェスチョンによるものだろう。その方式で宮川選手は落ち着いて会見に対応できた。
 ある意味で日本記者クラブって舞台が用意され、そこで会見を行える場を得られたのは何故かって事に着目したい。場を提供した側の日本記者クラブは何から示唆されて会見の場を提供したのだろうか。
 日大もあわてて監督とコーチの会見を行うのだが、そこには事前に練られた論調が無い。ま、イエスマンに囲まれたトップが陥ることが多い「空気を読めない」典型なのだが、それを自らの問題と考えないで会見を開くものだから、ツッコミ所を露呈したマイナスの危機管理対応になってしまう。
 リソースを個人が入手可能なネットの時代で、マスコミがいかに編集しようとエビデンスは一つ。それは現場で語る言葉だ。その意味でマスコミ対策すれば事態は終息するって日大の発想は基本的に時代を読めてないので、後手に見える。いや、後手に「追い込まれてる」感がする。
 今の時代に危機管理に「マスコミ対策」なんて無意味な行動なのだが、昭和の文化が日本大学には残っているようだ。
 ま、余談だが1968年の日大紛争(日大闘争)も全国区に飛び火したのは日大の初動対応の拙さに起因してると思う。
 結局、当時の学生は「日大たる構造」が招いた事件への改革を求めたのだが、結局は不十分で大学の自治とは何かって大問題の導火線になった。

日大も消えていく大学になるのか
 先に書いた1968年に起きた「日大紛争」(あえて、ここでは「紛争」と書くが当事者は「闘争」と表記したいことに忖度して「闘争」と書き始めたいと思う)。
 教育産業とあえて「産業」の文字を使うが、極めてあいまいな存在である。一般的に事業を行えばクレーム対策も必要で、ま、携帯電話の技術サポートしてた人間がソフトウェア開発の会社の面接で「通信系の技術サポートしてました」と言う時代だから、スキルを事前に得る教育とOJTでスキルを得る社会とが相乗効果を発揮すれば良いのだろうが、実態は「教育産業」の商いが教育に浸透している。
 日本には儒教の思想が根付いているので「教育は金になる」って発想で高度な教育を子供たちに受けさせるが、一方では「教育は金になる」って産業も育っているのが現状だ。もう一歩引いて見てみると「学習塾」なんてのもこの意味での「教育は金になる」範疇の産業だろう。
 私学の問題は別に話そうと思うけど、日大ってのは先に書いたような1968年の日大闘争の歴史を持っている。そもそも教育産業はどうあるべきかの戦略見直しが無くて、代々木系(共産党)の介入からゴタゴタしたのが火種になった。
 その時代を知っている人が日大を攻める戦略立案に1968年の日大紛争(闘争)を参考にしているとしか思えない。
 結果として全国に展開(飛び火)された学生運動は導火線は日本大学だったてのが今の歴史観だろう。
 1968年からの日大紛争の不発は(か、どうかは議論の余地があるが)、基本的に大学組織の不条理を国家の不条理に展開した代々木系の戦略の間違いに起因すると思うが、そもそも代々木系は「国家転覆」のネタに飛びつく思想集団で、今回は教職員組合の後ろ盾をしているようだが、成功してるとは言い難い。
 古い話だが、かんべむさし氏の著書に「公共考察機構」てのがある。マスコミが作った「世論」が公共の世論になるって危うさを書いている。
 ま、日大は世論を味方にするために何をしなければいけないかの学習能力が無いようだ。一方、攻める側には周到な世論操作(ま、的確な情報発信でマスコミの報道をコントロールする)には長けている訳で、シナリオライターの腕の凄さを感じる。
とまぁ、ゲスの勘ぐりなんですが、被害者の父親が大阪市の市会議員って当たりから、ゲス勘は橋下徹氏を「勘ぐる」のですね(笑い)

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2018/06/24
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