具体的報道をしない北海道新聞社

具体的な路線の報道が無い
 北海道新聞社が発行する北海道新聞だが、ネット掲載も含めて北海道の鉄路問題に関して、その内容は皮相的である。何故ならば、記事の中には「8路線」とか「残された5路線」とかの用語で具体的な地域を特定していない。
 ゲス勘だが地域の地方議会に配慮した忖度があのような表現をとらせているのだろう。購読者には具体的地名が無いので「JR北海道旅客鉄道問題」としてしか伝わらない。つまり「JR北海道が悪いんだヨぉ」って報道姿勢だ。実はマスコミがリードしなくてはならないのは「おめーの地域の問題なんだよぉ!」とならないといけないのだが。
 ま、JR北海道が「独自に維持困難な路線」ってのを公表してから既に2年が経過した。その問いは地元市町村に投げられたボールで、そのボールを受けて具体的な対応策を考えるのが地元の責務なのだが、ボールを後逸して、しかも「無かったこと」にしているのが現状だ。何故かと言えば、その一翼が北海道新聞社に起因しているのは、先の記事での表記問題に起因する。
 北海道には179市町村(自治体)が存在するが、北の鉄路問題の当事者は全ての市町村では無い。ま、後述するが一部の市町村の問題では無いのだが、北海道庁が無責任だったので、この2年間に「地元問題」に置き換えられ放置されてきた。その片棒担ぎは北海道新聞社で、あえて特定の路線を書かないで「〇路線」とかの表現で報道している。
 具体的に「バス路線転換」を決定つけられた(これって、不思議で、市町村の発案では無くてJR北海道旅客鉄道の統計から導き出された結果を国が後追い承認している(この路線を北海道新聞は「5区間」としか書かない。下記の一覧で具体的にするが、もっと見える化して、地図にプロットしておく。)))
当事者意識を持たれないように報道する北海道新聞社の姿勢は報道の基本を意図的に政治判断した「何時(いつも)のコト」で済まされないのだが
北海道の鉄路の現状
検討中の北海道の路線
上記の図で黄色で表現されているのが「JR北海道が今後とも採算の向上は見込めない」と表明し、国も「それじゃぁ、支援しないかんね。JR北海道の言ってるようにバス路線に転換してよ」って認めてしまった5路線だ。維持に国が税金を出すと言った8路線は報道されるが、この5路線は捨て去られるのだ。

バトンは5路線に渡された
 上記の5路線の中で夕張線(夕張支線)は、地元夕張市との合意でバス転換が決定されたが他の路線も基本的に「バス転換」で合意する流れになっている。先に書いたように需要の無い鉄路をバスに転換しても、
第一段階 民間バス事業者の参入。
第二段階 その撤退で町営バスに転換
第三段階 スクールバスでしか無くなる
 は、多くの廃線地域で見られる現象。特にオホーツク沿線では東急バスが入札して撤退、沿岸バスが入札して撤退の歴史を積み上げてきた。
 今回の5路線に関連する市町村にも「バス転換じゃねぇ」って投げやりな姿勢が蔓延している。何故ならば「地方自治」が機能してないからだ。そこに住む人々に一番近い地方議会が地方の代弁者では無くて国の出先機関(選挙で選ばれてるんだぜぇ)になって居る現状を如実に物語っているのが単細胞な「バス転換」の容認だろ。
 地域の実情なんてのを調べる気も無いのだ(政治活動費(政活費)貰っているのに生活費になってるんだろう。ヤイ!)、単に国の方針に従う決定機関が「地方自治」の看板をあげているだけで、自ら考える地方自治もへったくれも無いスルーパスが2重行政を祭り上げているだけだ。ま、北海道は、これに加えて北海道開発局ってのがあって、北海道開発局>北海道庁>市町村って3重構造の中にあるのだが、行政府に追従して地方議会も「上から下」の保身で、決して「下から上」つまり住民ファーストの議会を運営していない。さらに言えば地方議会の機能は行政と同じ執行機関だと勘違いされている。立法機関なんだよ。だから、「こうしたい」と言うべき機関なのだが、承認する役所の一部としてしか機能しない。
 何かを独自に企画するのは世間に波風立たせるので穏便に任期を終えたいって特別地方公務員がどんだけ特別に地方を蝕んでいるかに気が付かない。
 私は定年になって一番怖い事が何かが解った「その時には私は居ないからな」って発想だ。別に亡くなる訳では無い。任期がある議員は責任にも任期があって、この範囲の期間に起きる事しか責任を持つ気が無い。だから、北海道新幹線も5路線も「他人事」なんだ。腐った地方議会をあぶり出すトマス試験紙になっているのが5路線の対応だろう。(ワシは関係ないって言ってる地方自治の議員さんよぉ、明日は我が身って危機管理出来てるかぁ。有権者は国会にも地方議会にも国家100年の大計を託しているのに当人たちは任期内しか考えてない定年間近の老害ばっかり!。人の事は言えない? そんなことは無い。私は定年の日にも社内ネットワークのセキュリティ向上のためにルータの設定を変えていた)

ヒッチハイクこそ「旅」
 大学生の頃に自ら移動手段を持てなかった1年生の時にはヒッチハイクって手段を使って初めて住む道東を旅した。その後、バイクの免許を取得してかなりの地域を走ったが、最終的に面展開でその地域を走ったのは35歳を過ぎてからの自転車の旅だった。
 実はアルバイトで2年連続で北見-網走マラソンを担ったことがある、ま、担ったというより大学に募集が来たからだけど。これNHK北見のバイト募集なんだけど交通費は無しなんだよねぇ(おい!)
 2年目だったかなぁ、網走の呼人の計測ポイント担当だったので結構、北見市の寮まで距離があったので通行している車にヒッチハイックをお願いして戻ったのだが、国道を走る車の座席の空きって注目すべきじゃないかぁ。
 公共交通に替わるのが同じ公共交通だって発想は貧しいと思う。地域には新たな交通網を構築すべきで、それを阻害する規制は改革すべきだろう。その規制は「立法」である。つまり、今まで書いてきたようにJR北海道が無くなる5路線は単純に「バス転換」をしては駄目なんだ。国との取引のネタして「〇〇町方式」を手に入れるチャンスだと思わなければ地方議会は名誉職の巣窟で現状追従の承認機関(ま、ほとんどがそうだけど)と揶揄される。ま、投票率に低さが住民の無関心の指標なんだが。
 私は「旅する漂流人」ステッカー制度を考える。
 免許取得して3年間(一部は5年間)無事故無違反な実働運転手にはステッカーを発行するのだ。で、自らの移動手段を持たない人は道でステッカーを付けた車に手を上げれば停まって乗せてくれる。目的の場所まで行かないかもしれないが(ま、たぶん、送ってくれると思う)バトンタッチで次の「旅する漂流人」に繋ぐ。
 そんな仕組みを条例化できないなら地方議会は「イラネ」だなぁ。
 自律するってことは、マネすることではないんだよね。自らの発案が出来ないと生存競争的には「死ぬ」のだけど、何故か人間は「構造」の中で死を逃れてる奴が多い。
 廃止路線で「旅する漂流人」ステッカーを張った自家用車が地域内だけじゃなくて地域外(出張の多い営業マンとか)にも広まるムーブメントを起こすのが立法府である地方議会の使命では無いのか。それが「〇〇町方式」として全国区を狙えるのだから。
 広大な北海道には広大な発想が必要だ。
 実現した路線には「お前を迎えに賭けていくからぁ(C)チェッカーズ「涙のリクエスト」)」、そして出発式には松山千春の「大空と大地の中で」を歌うから「交通費込み」で呼んでくれ(笑い)。

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2018/08/03
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