【続】組織論、構成員にこそ責任がある

神輿に乗るバカ、担ぐ小利口
 なんかなぁ、マスコミの報道は「犬が人に噛みついてもニュースにならないけど、人が犬に噛みつくとニュースになる」って単細胞なんだなぁ。その報道姿勢を信じてヒョーロン垂れるシトが居るけど、基本的に「演繹的」な発想の起点の誤りが理解できてない。
 組織は人の集まりで代表者であるトップだけが全ての責任を負う訳では無い。ま、実態としては組織の責任者は組織に責任を負うのは当たり前だが、その構造を考えると祭り上げられて利用されてるって組織も存在する。
 地方自治体が不活性なのが象徴的だろう。地方自治は直接選挙で議会(立法府)と組長(行政府長)の双方を選ぶ。本来の「民意」が一番反映されるはずなのだが、議会議員が組長に立候補したりして、それが当選したりする。立ち位置を素早く変えられる変わり身の早さには驚愕するが、そもそも、人材が居ないってのが基本にあるのだろう。だけど、立ち位置を360度(あ、180度か)変えられるってのは不思議だ。地方議員だった時が仮面なのか、組長になったのが仮面なのか。
 ここ30年ほど札幌市に居住しているので、札幌市の組長をかえりみてみると、市役所の最高の地位が市長って結果が最多だ(ま、今の市長も同じだけど)。つまり、行政府の席が市長って構造がある。ある意味では三権分離立の本質は守られている気もするが。ま、特異な市長として札幌市では上田市長時代もあるのだが、弁護士では行政をコントロールできないって事だろうなぁ。モエレ沼の「海の噴水」の工事を1年間凍結したり、札幌市の利益って観点は無くて、トップに何が出来るかの政策だった。でも、同じく現在の札幌市長も冬季オリンピックとか、訳の解らない「お祭り騒ぎ」にしか思考が行かないのは市長として不適格だろう。「市民ファースト」の市民が解らないのではやはり行政府のトップは行政府から選ぶのは考え物だ。
 行政府と立法府って構造が民主主義の基本なのだが、立法府は地方自治には「いらない」って事を結果論として証明しているのが今の地方自治議会の実態ではないだろうか。
 町民の不満を陳情する地方議会では「立法府」では無くて市役所内の「市民の声を聞く課」で十分なのだから。

構成員が組織の利権を甘受
 その地方議会と昨今の騒ぎを起こしている各種スポーツ団体を対比して考えると同根な個所が多々ある。一番近いのがトップを祭り上げて、何か起こればダンマリって構成員だろう。これは小樽市を例に見比べると良くわかる。
 ここでは「議会と市長の対立」なんてステロタイプな話では無く、双方に蔓延する無責任の象徴だからだ。もとも来たる8/26日に辞任による出直し市長選挙の投票があるので、選挙妨害と思われても主旨にそぐわないので市長側の批判は今回は差し控える。
 何回も市議会で決議されてる「市長辞任勧告」だ。地方議会には市長に対して「不信任」を議決することができる。市長に対する議会の切り札だ。これが着られることも無く議会空転は市長を責任と「市長辞職勧告」を何回も議決する。
 「不信任案」が可決されたら市長は辞職か議会の解散を選択する必要があるが、議会を解散されては自らの既得権益が失われるので不信任は議決しない腰砕けだ。本気で市政を刷新しようって気概を感じないのだ。だから、市長になめられて辞任選挙なんて行動に走らせてしまう。市民(住民)に信を問いたければ自らが撃って出るのが筋だろう。
 で、これと同じなのが昨今のスポーツ団体の不祥事だ。代表に責任を押し付けて構成員はダンマリを決め込む。ま、一部では上位の責任者もダンマリを決め込んでいるのだが。
 組織の構成員は組織にある意味で無限の責任を負う。多くの組織の定款では、組織を壊す(解散させる)権利行使も構成員には可能になって居る先の地方議会の「不信任」と同様である。
 組織を動かすのは代表者では無くて構成員だ。
 その自覚が無くて甘い汁だけ吸っている構成員の責任を問う姿勢が民主主義の一丁目一番地なのだがマスコミは「犬に噛みつく人」にしか着目しない。当たり前の事が行われていない現実を報道するのが「読者の知る権利」の担保だが「読者に教えたくてウズウズしてる」ことしか書かないのは瓦版のトップ屋でしか無い。

無能なトップこそがテロリスト化する
 テトリストを「恐怖による統治を目指すもの」と前にも書いているが、いざ、組織のトップに祭り上げられると人徳も品格も能力も無いトップに限ってテロリズムに走る。恐怖による統治である。直接的に傷害事件を起こすわけでは無いが、目に見えない暴力を駆使して組織のトップのしがみ付くものだ。
 田中(日大)、山根(日本ボクシング連盟)の新アンガールズがその例になるが、もう一つ、日本相撲協会の八角理事長もこの範疇になる。貴ノ花の奇妙な行動は対テロリスト戦略で、正規軍が行う正当な戦い(変な表現だが)では戦えない土俵で対テロリスト戦略を展開したものだと考えると理解できる面があるだろう。もっとも、身内から暴力沙汰が出たので弟子を庇うために「撃ち方やめぇぃ」になったのは戦略、戦術以前に戦いの「時の運」に見放された結果だが。
 一連のモリカケ騒動の籠池氏も同根だろう。虎の威を借りるキツネでしか選択肢が無かったのだろう。
 多くの組織には前述の「甘い汁を吸う構成員」と「テロリスト化したトップ」で構成されている。
 話は逸れるが、組織の形態は多種多様だが商法が2006年に改定になって今までの有限会社、合資会社が作れなくなった代わりに合同会社が定義された。正確には会社組織は旧来の株式会社と持ち株会社(合同会社を含む)に分けられる。
 株式会社は組織図で目にするように組織構造は明確で、資本と経営は分離され最高議決機関は株主総会であり、その株主総会に経営状況を担保するのが監査(監査法人)って構造である。合同会社には定款により規定できるので、必ずしも資本と経営が分離されてる訳では無い。実は前の会社が何時までも上場する気が無いなら合同会社にしようと調べたのだが、その多様な形態(定款の自由度が高い)に電気工学科の出身では手に負えないてギブアップしたのだが(笑い)、外資系日本法人にこの例が多い。筆頭はウォールマート傘下の西友だろう。正式名称は「合同会社 西友」である。
 この手法を各種団体にまで拡張して国民の目の届く団体(実は「定款」の開示義務は無いので、開示している団体のみ対象にする)にして、税金による補助の是非も解りやすくしたらどうかと最近考えている。
 西友については、個々の地方西友から全国統一に、そしてウォールマート傘下にって経緯があるが、北海道では余市で大川さんが立ち上げた北海道西友はセコマと同じく、そしてニトリと同じ北海道発の事業なのだが、その詳細は機会があれば書いてみようと思う。
 つまり、各種団体(任意団体も含む)が国の補助を受ける条件として合名会社の形式を義務付けるのだ。株主も公開されずクローズドな面もあるが、過去の有限会社に近く、有限で責任を負う社員(法律用語で、一般の従業員の意味では無く、出資者&労働者)が登記簿で明示されるのである意味解りやすい。
 略称は(LLC)(LCCでは無い)が、合同会社 西友は(GK.)を用いている。
 更に非営利団体の路もある。
 不透明な任意団体を統一標準化するためにも、地方議会ですらLLCを目指すべきだろう。自ら定款を作ろうとすれば、自ずと使命は何かが見えて来る。それも「国がなんとかしてくれる」では、構成員の責任すら無いだろう。目的を同じくしない人の集まりが議会であり、それゆえに何もかも無責任に陥るのだ。
 「できる事」と「あるべき事」にはギャップがある。それは、前者が「戦略」であり、後者が「方針」であると書いた。
 昔、田中角栄氏に「政治って何ですか?」と聞いた記者が居た。田中角栄氏は「政治ってのはなぁ、後になって、あの時、決め手おいてよかったなぁって振り帰えられる行動だ」と答えたという。
 政治は行動(リアイズム)であってイデオロギーでは無い、同様に組織は目的を持った行動(リアリズム)であってイデオロギーでもテロリズムでも、ましてや、甘い汁を与えるものでは無い。
 この観点から組織を見直すのが「統治制度の改革」なのだが、既得の組織には受け入れがたいようだ。

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2018/08/21
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