北海道の鉄路>特定8路線の話し合いが進まない

北海道の特定8路線の状況
 文字で書かれると理解が進まない。当事者意識を醸し出さないのは報道の手法に問題があるだろう。具体的に北海道新聞社を指しているのだが。
 北海道の鉄路は点と点を結ぶのでは無く、その間も含めて2次元的な面展開で沿線地域にも恩恵をもたらしている。それが公共交通の使命と言えばそれまでだが、多くの北の鉄路は基本的に石炭の輸送を目的に整備され、旅客輸送は副次的な機能だったのが現実だ。
 そこが東京に居ては解らない事柄なのだが、役人の無謬性から歴史的使命とかは先輩の活動なので否定できないし、ま「面倒な事柄が回ってきたなぁ」くらいの感覚だろう。
 その東京感覚が北海道の鉄路が敷設されている市町村にも蔓延してるのが現状だ。更に事が複雑になるのは特定8路線に対して国は地元負担を含めて補助するって玉虫色の対応を表明している。国が地方自治体を金で縛っているのは「地方交付税」で顕著だが、実情を知らないで対応する地方自治体が多い。地方交付金を貰っていない東京都とかが言いたい放題の知事を生めるが、他の地方自治体は国に隷属する行政機関で、それを容認する地方議会の非効率な「三権分立の反故」が続いている。
 だから、私は「統治機構の改革」を求めているのだが、既得権益なのかまったく語られない。組織制度が金属疲労しているのは政治だけでは無くて、昨今の「体育会系団体」の騒動は団体の統治機構の「金属疲労」だろう。それの延長線にJR北海道(株)の北海道の鉄路の存続問題がある。
 「石炭を運ばなくなったのだから廃止」てのは単純すぎるのだが、鉄路の輸送能力って視点がまったく欠如していると感じる。石炭がエネルギー政策の転換で石油の輸入に傾斜した結果、北の鉄路が運ぶ石炭の量は減少した。
 最初から物流(石炭)だった北の鉄路は旅客鉄道の範疇からは異質だったのだが、日本全国では鉄路は東海道新幹線に代表されるように「人を運ぶもの」って感覚が蔓延した。その影響を大きく受けたのがJR九州(炭田の物流)とJR北海道(同じく炭田の物流)なのは明確だろう。
 地元との交渉が北海道の鉄路8路線の今後の検討課題だが、自治体がこれに逆らったら何かを得られるって感覚に手を焼いているのではないかなぁと同情を禁じ得ない昨今の「JR北海道の地域との話し合い」かなぁ。
 まず、8路線とは何処かを図示しておく。

該当する市町村で議論になってる?
 正直言って「どうでも良い」ってのが地方自治体の対応だろう。「無くなっても構わない」って意見を前面に出すのでは組長は選挙で勝てないので「存続死守」なんて言ってるけど、そんな態度に政治のリアリズムは感じないなぁ。
 基本的に自らの市町村でJR利用が低いのは何故かと考える事が必要だろう。高校生の通学以外に需要が無いのは何故かって言えば、それはスクールバスを出さない自治体の無責任に起因するのだ。
 例示すると、共和町では分散していた義務教育の現場を集中させるために全町を網羅するスクールバス網を整備した。各地の小中学校を集約することで児童生徒の利便性を高めようって取り組みだ。視察に行けば解るが、大型バスが学校の敷地に駐車している景観は「共和町の選択」を肌で感じる風景だ。
 実は交通体系ってのは多様なニーズへの対応で、昔に調査業務で通産省(当時)の委託調査事業を行ったのだが、人が移動する要因って多様なんだが、移動を提供する機能が単純過ぎるてのが調査結果だった。
 実際に乗降客に話を聞いて調査したのだが、「通学」「通院」「手続き」が多くて予想してた「買い物」とか「交流」なんてのに公共交通機関を使うのは少ない。二日目に作戦を変えて「買い物に使わないのは何故なんですか」と聞いたら「手に入るものを食べるでいいべ、なんで、若いものみたいに出かけて行って食う必要があるんだぁ」と言われました。
「駅前に食堂なんてのが有ると、行きますか」と聞いたら答えは「出かけて食うってのは勘違いだぞ!、食うに困らないんだかから出かける必要もないっしょ」でした
 結局、高齢化社会は移動しない社会なんだなぁと理解した次第です。
 その中で北海道の鉄路って課題です。
 正直言って地元市町村は当事者意識が無くて「国がなんとかしてくれる」姿勢ですね。ま、市町村の「利益」にならないのが鉄路って感覚ですから。
 じゃぁ、利権闘争辞めれよなぁって感じます。何が「みっともない」かと言うと鉄路を放棄するんだからバーターで何かくれって精神なんだなぁ。
 自治体の住民が選挙で選んだ代表が課題解決にノータッチなのでは「地方自治」は既に壊れてる証左でしょうね。
 誰とは特定しないけど、札幌市の市会議員がポスターに「市政相談窓口」と書いている。違うだろうがぁ!お前は「市民の声を聞く課」の行政府かぁ!良く当選できたなぁ(ま、当選させた有権者にも責任はあるぞ!)

変化を嫌う革新
 変な話だが日本では野党がリベラルに分類される。自分自身でも言ってるのだから間違いではないだろう。「リベラル」は「革新」であり、現勢力の既得権益に切り込むって意味で使ってるのだろうが、基本はリベラルは自由主義である。革新かどうかは問わない。
 北海道が社会党の総本山だった歴史は炭鉱と国鉄にあるのは事実だが、これを支持した有権者も多数居た。その背景を考えると中央(東京)から遠く、自らの利権は地域立脚で構築してきたのだが、それを中央(東京)に剥奪されたくないって流れがある。
 中央(東京)から地理的に遠い北海道と沖縄に共通する「地元利権に手を出すな」の発想である。実は北海道の鉄路問題も大きく俯瞰すると構造がこれと同じである。些末な言い方をすれば「駅前食堂」は駅前でなくなると困るのだ。本当は看板が代わっても良質な食事の提供が出来れば「リベラル」なのだが。
 昨今、道路行政のヒット作と言われる「道の駅」だが、北海道で数十年前に始まった時はJRの廃線で無くなった「駅前」の「駅」の再構築だった。ま、岩内町の道の駅を訪れると解ると思う。今は無いと思うが、近くに「駅前食堂」って店があって、ここの娘はミス岩内になったほどの美人なので役場の仕事のついでに食べに行ったことがある。本当に「なんでぇ岩内町にぃ」ってくらい美人だった(苦笑)
 人間は変化を嫌うのだが、それは現在の生活が続けられる環境を求めているから。市町村のアンケートで「70%もの人が住み続けたいって言ってる都市が札幌なんですよ」って、昔の札幌国際プラザの理事長(女性)が言ったので「ちゃうやろぉ」と大喧嘩したのが懐かしい。
 国が補助してでも残したいのは、経済の原則では無くて国防の原則から発してるのだ。それを「自分の財布に手を出すな」と言うなら、本来の地方自治の領域を逸脱するが沖縄のような「嫌がらせ戦い」をすれば良い。もっとも地元にはそんな組織力は無いだろう。
 変化を嫌って「今まで通り」にしたい闘争は無益でリベラルでは無く、たぶん(当事者住民では無いので)住民の支持も受けられないだろう。にも拘わらず反対闘争を容認するのが役所の姿勢なのだ。
 「かつて有った駅の記念碑」が地域に求められてる「落としどころ」なんだがなぁ。該当する市町村は下記の通り。地域に住む人は「居住責任」を発揮してもらいたい。

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2018/09/14
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