マーケットを理解できない国策
ある意味で正しいのは「民間が出来ないことは国が」って考え方(実は小泉純一郎総理(当時)は「民間が出来る事は民間に」と言ったのだが)があっても良い。基礎研究への助成は全国の国立大学が独立行政法人に変更された時に「国の責務は何か」と議論しておくべき項目だった。
結局、全国の国立大学はスポンサー探しを始めて短期的に成果をフィードバックできる研究を行い、売り込むことになった。その結果、研究の種である基礎研究はないがしろにされてしまった。種をないがしろにして短期的な枝葉を求めると、やがて研究の種は涸渇する。ま、今後の日本の科学技術は10年を待たずに衰退するだろう。
「民間でやれることは民間で」は解る。しかし「国がやらなければならないこと」には目が向けられていない。ま、典型は「2番じゃ、駄目なんですか」って科学無知な発言に象徴されているのだが。
同じく、鉄道事業に関しても表面に出て来るのは「JR北海道旅客鉄道」つまり、旅客である。旅するシトが鉄道を利用するのは昭和時代の「遠くへ行きたい」あたりで終わりだろう。日本で鉄道を「旅の道具」にしてる割合はどれくらいだろうか。正確な統計が無いのだが、鉄道で旅する利用者は全体の10%以下だろう(人数換算)。それも、そもも外国人観光客が利用する鉄道はJPAN RAIL PASSが主流なので発売駅でしか売り上げが積算されない。新千歳空港駅でJPAN RAIL PASSを購入する外国人は少数だろう。それは、北海道新幹線延長の最初の便である新青森から新函館までの新幹線の乗車客の50%以上が外国人だったことで解る。
昭和の時代から憲法に書かれている「国土の均衡な発展」は中央(何が中央かの議論は後述するが)とのパイプだと思われてきた。田中角栄総理(当時)の日本列島改造論も結局は国土の均衡では無くて国家の中央集権に収斂した。何故なら、政治家の「方針」を「制度設計」する官僚が東京在住の経験しか無いからだ。
日々、新幹線が行きかう東京でJR北海道旅客鉄道の問題を考えている輩には、新幹線を利用して東京まで人を運べば経営が好転するって発想しか出来ない。まさに、ドイツの宰相であるビスマルクが述べた「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」の典型である。
4分短縮しようがしまいが、鉄路で乗客を東京へ運ぶなんてマーケットは北海道には存在しないのだ。既にLCCがその機能に着目し就航している。東京への出張に新羽田空港ではなくて成田空港から鉄路に乗り換えるってのが当たり前になって居るのだから。
存在しないマーケットに投資するのは先に書いた「民間に出来ない事は国が」って方針を誤った部分を株式会社であるJR北海道旅客鉄道に強いているのだが、それを受け入れるJR北海道旅客鉄道もこれまた問題が大きい。
経営のターゲットはマーケットなのだが、ヒラメじゃないがマーケットよりも国の動向(補助金の入手)にばかり目が行っているJR北海道旅客鉄道をこのまま容認していては原発行政と同じ運命をたどるだろう。
何回も言ってるが鉄路の物流論議が無い
鉄路の優位性って何だろうか。「高速大量輸送」と言われている。ではこの標語から見える弱点は何だろうか。「低速少量輸送」だ。これが鉄路には苦手だ。
では現在のJR北海道旅客鉄道が保持する鉄路を利用して、その有意性を生かし、欠点をカバーした経営を行っているかと言うと、どうも焦点がボケている。現在の北海道の鉄路は物流による「高速(かどうかは、議論があるが)、大量輸送」がJR貨物に置き換えられている。
そもそも広域な物流を担うJR貨物をJR北海道旅客鉄道から分離して全国区の別会社にする「政治的な判断」によりJR貨物の廉価な鉄路使用料にしているのはいかがなものかと思う。北海道は食料自給率がフランス並みの180%なんだが、これは農産品の域外(青函トンネルを利用したJR貨物の輸送)への輸送が必須ってことだ。北海道民が全国に比して180%の食料を食って肥満しているのではない。
残念ながら「旅客鉄道」と定義されて、物流には口出すなって現状がJR北海道旅客鉄道の経営をアンバランスにしている。前にも書いたが、アラスカ鉄道は物流が基本で旅客輸送は副次的なものとして経営されている。そもそも北海道の鉄路は当時は石炭を運ぶのが主で、その合間に旅客を運んでいた。それが、新幹線によって旅客輸送で成り立つ会社には成長出来ないのは自明だろう。
農産物のトラック輸送+フェリー輸送のコストと同等のJR貨物の北海道の鉄路利用料金収入が確保されているだろうか。実は、この部分に着目するジャーナリストは少ない。JR貨物維持の国策を作る利権団体から睨まれないように「忖度」しているからだ。北海道の鉄路は物流で経営が成り立つ。それを阻害しているのが現在の国策民営路線だ。
そもそも、トラック輸送とフェリーによる輸送に潜むリスク。つまり、交通事故とかの社会的負担は全然考慮されてない。単なる交通事故に分類されるが、トラック輸送は前に書いた鉄路の苦手としている「少量低速輸送」を北海道では本当に補完しているのだろうか。実は「長距離輸送」ってファクターが物流には必要なのだが、ここには着目されていない。
では、そのような背景の中でJR北海道旅客鉄道には「なすすべがない」のか。実はこの会社のマーケティング下手には恐れ入る。民営化された当初に「観光列車」てのを手掛けた。今は忘れ去られているが「トマム号」とかだ。
そもそもインフラである鉄路が水商売の観光に手を染めたのが武士の商法。函館近郊の大沼にホテルを構えたり、札幌駅でJRタワー開発したりは鉄路の営業とは次元が違っていて、ま、帯広で駅前ホテルを経営したのも失敗に終わっている。
本来、事業の多角化は否定しないが、本丸が火の車なのに多角化で乗り切る経営は本末転倒だ。ホテル宿泊客が鉄路の利益を負担するのはおかしい。
JR北海道旅客鉄道が収益を何をもって得るか。その視点は「通勤」である。企業が通勤手当を負担する固定客なのだ。今の札幌近郊の路線が「旅客収入」で利益を上げているのは水商売の観光客では無い、通勤路線にJRを利用するマーケットなのだ。
だから、物流からの「寺銭」と「通勤」による旅客収入がJR北海道旅客鉄道のマーケットなのだ。それを強力に推し進める経営者が今のJR北海道旅客鉄道に必要なのだ。JR東日本旅客鉄道からの落下傘には出来ない経営戦略だ。