北海道新幹線の運命と行方
新幹線の課題
未解決と言うか、検討もされてない課題が山積だ。
その検討課題をまずは羅列しておく。
1)青函トンネルのJR貨物との共有課題
2)東京−札幌の所要時間課題
3)そもそも乗るかぁの課題
4)JR北海道の赤字路線課題
5)在来線(函館本線)の廃止課題
6)料金と維持経費のギャップ
 そもそも「新幹線」って発想は1940年代の「アジア縦貫鉄道網」の発想に端を発する。日露戦争の戦利品として満州鉄道の運営権を得た日本は、この鉄路を広げてシベリア鉄道を含めたアジアの縦貫鉄道とする構想をぶちあげた。
 ま、最近の中国と同じようなことを考えていたのは国の成長の過程での発想の類似性ってことで歴史的に理解できる。
 その基礎となる技術が「弾丸特急」になる。当時は蒸気機関車が主流なので、なんとかして高速で走行(牽引)可能な蒸気機関車を製作する必要があった。
 だが、日本は1945年に敗戦を迎えて、構想はついえてしまう。
 そもそも、大東亜戦争が太平洋戦争に拡大したのは、当時のアメリカの満州鉄道への過度の執着にある(ま、これは私の歴史観なので、個人の判断の範疇)。日本には管理できないだろうから、アメリカに管理権を渡せって方針で数々の施策(ま、いやがらせ)を積み重ねて来る。
 このあたりは五味川純平氏の「戦争と人間」に描かれてるのだが、結局、戦争が勃発するのは「経済」が起点になる。経済が立ち行かないと国民の生命と財産を守れなくなるので政治は最終決断を迫られる。
 話が逸れたが、技術の面で「新幹線」は日本の敗戦(政府の用語用法では「大東亜戦争の敗戦)によってゼロ戦を生み出した航空技術がGHQの方針で研究禁止になった。他に、原子力研究も禁止になるのだが、この流れが、今の日本を形作ったと言ったら皮肉だろうか。

技術の結集が新幹線
 航空技術の技術者は食い扶持を求めて当時の引揚者対策とエネルギー確保の雇用市場に流れる。当時の最大の問題は戦争で失った日本のエネルギーの復興であった。「計画停電」が日常(今の北朝鮮と同じ)だったし、私が小学校入学の頃は電圧が不安定なのでラジヲ(真空管)には手動の変圧器を付けていた。それを、文系以前の母がロランス操作してるのが不思議だった。ま、「窮すれば通じる」ってことかなぁ。
 一方で、当時のエネルギーの根源は「石炭」であり電力を確保するためには多くの石炭火力発電所を必要とした。ダムを作って水力発電を行うのは時間がかかり「長期的展望」、一方、切迫する電力への供給には石炭火力発電所の稼働が必要だった。
 蒸気機関車は九州や北海道の石炭を石炭火力発電所に運ぶツールとして利用された。
 だが、一方では「電力が整備されれば、列車は電力で走る」って発想も生まれて来た。「弾丸鉄道」は電力で実現可能って発想だ。そもそも、電力が石炭から豊富に得られた昭和30年代の発想なのだが、それは正鵠を射ていた。
 東京オリンピック2020(2021)が話題になるが、今の東海道新幹線は東京オリンピック1964年10月10日)の直前に営業運転を開始している。当時は「日本の技術の誇示」でしか無かった、世界が「高速鉄道」に関心を持つのは、それから40年もかかる。
 で、背景を書いてばかりだが、鉄路が持つ機能が「新幹線」に集約されるのかあって命題を論議したい。
 まず「鉄路は住民の足」ってスローガンをマスコミが使うことに違和感がある。
 コミュニケーション・バスでは無いので、鉄路は市民生活の足では無い。そもそも鉄路の特性は「高速、大量、輸送」だ。これは現在のJR貨物が平均編成24両の長蛇の編成で旅客車両よりも多い通過便数を見ても解るだろう。青函トンネルはJR貨物のためにあるって言えるんだなぁ。
 一方の北海道新幹線の札幌延長だが、正直言って意味を感じない。
 私の感覚では「石狩市に新千歳空港並みの空港を作った瞬間、北海道新幹線は没る」と思っている。

鉄路は物流の要
 「物流新幹線」の発想が無いのは、日本の統治構造の問題点だろう。東京の発想で全国をコントロールできるって政策が地方を弱くした。新幹線も同じ。
 私は名古屋の血液センターの仕事をしていたのだけれど、仕事が終わって千葉の血液センターへの移動に名古屋駅の新幹線ホームに居たんだけど、同じ東京方面への乗務を狙ているシトは「自由席混んでるでぇ、次の車両を待つかぁ」とホームを変えていた。
 東海道では人の移動の手段が新幹線なんでしょうね。
 でも、地方では違う。人口が圧倒的に少ないし、人の移動も少ない。しかし、食料自給率180%にもなる北海道では農産品の輸送は大きな市場だ。現在はトラック便が対応してるがトラックって1台に一人の運転手が必要なんだよね。翻ってJR貨物では標準編成の24両(コナンテナは1両当たり3台)を一人で運転している。
 先の青函トンネルでも、一日当たりに通過する旅客便は上下線で26編成、一方、JR貨物は倍の52編成が通過する。実質的に「青函トンネル」は物流トンネルなのだ。その実態を受け止めて方策を考えないと大きな過ちを生む。
 東京の山手線あたりで通勤してると実感がないだろうけど、北海道の鉄路は先に書いたように昭和20年代から石炭を運ぶ路線として国鉄時代から運営されていた。我々が乗る列車(北海道では汽車と言う)には貨客混載といって、客車の後ろに石炭を満載したボギーが連結されているものも多かった。
 あの量の石炭をダンプで運ぶなんて想像も出来ない。でも、それが、今、農産品の輸送でトラックが使われているのだ。本来の物流の機能を鉄路に見出さなくては北海道の新幹線は成功しない。
 「物流新幹線」に舵を切らないと「旅客新幹線」は北海道では成功しない。
 青函トンネルは変形3路線の鉄路だが、JR貨物の車両も牽引はEH800機関車だ。これは、新幹線仕様の標準規の電車だ。牽引する車両が狭軌の車両になる。しかもJR貨物は五稜郭操車場に集まった狭軌の車両を青函トンネルを通すために三セクの「道南いさりび鉄道」に鉄路使用料(三セクなので、JR北海道とは別な積算方法で高めの使用料を支払い)を払っている。
 調べると解るが、JR貨物は昔の身内の国鉄系の鉄路使用料は「買い叩き」してるが、さすがに民営化した鉄路には別の計算式で鉄路使用料を払っている。津軽海峡を越えて青森に入っても同じように民間の鉄路を利用している。
 北海道新幹線のの札幌延長にはJR北海道(北海道旅客鉄道(株))は期待してるようだが、全然間違い。
 60%がトンネルの地下鉄が旅客鉄道として存在出来るはずがない。
早急に「物流新幹線」の構想を実現しないと、JR北海道は昔の夕張に沢山あった炭鉱と同じ運命をたどる。
 高速道路がいくら整備されても、トラックは1台に一人運転手が必要なのだ。貨物を集約して点から点に運ぶ機能が21世紀の鉄路の役割だろう。

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2020/09/18
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