システム統合は非効率を招く
デジタル化の流れは、経験の蓄積を普遍化した。文系の職場でも仕事の流れが統一されて、最近は「この画面に必要な事項を打ち込むのが仕事」となっている。実際にシステム設計に携わると、この処理の起点はここからの情報入力だと解っているのだが、実際に画面に向かうオペレータには「仕事の全体の流れと、担われた仕事」の区別が付かなくなっている、だから「この仕事はテンポラリー・センターにやってもらおう」となって、役所の仕事が仕組みと責任を離れてしまう。
仕事とは何か、それは指令を受けて責任を全うすることなのだが、画面に向かってデータを入力するって行為が単純化されすぎて「責任」が意識されなくなる。ま、このあたりはマルクスの資本論にも出て来るのだけれど、今の時代には「情報資本論」って考え方があっても良いと思う。情報を入力する、つまり作るって行為が以後のコンピュータ処理の起点になって、やがて大きな(多くのオペレータは気が付かない)結果を生むって仕組みが入り口であるオペレータには認識されていない。
ネットが普及したので、オペレータは情報化社会でのデータ登録の労働者だ、で、情報化社会の資本家は別な所に居て、集めた情報、自ら集めた情報から新資本経済、新情報経済を構築していく。
話が逸れた。
日本国政府がデジタル庁ってのを作るのに必要な感覚は市町村独自のコンピュータ・システムの統合では無い。
そもそも、市町村業務って26業務に分類されているが、そのそれぞれのシステムにはマスターとなる台帳が存在する。それぞれのシステムの用途に応じて整備されている。
例えば、固定資産税のシステムの台帳は地目(ちもく)になる。その土地を所有している人間に「固定資産税」を徴収するのだが、実際は「支払われていれば問題無し」って制度になっている。実際には登記上の所有者が死亡していていても(ま、こちらは住民記録の「台帳」で解るのだが)送りつける「固定資産税納付書」に固定資産税が振り込まれると「可」なのだ。
だから、コンピュータのシステムは未納者に督促状を送るって仕組みになっている。実は何代も前の登記簿の登録者が既に没していても「固定資産税」が誰かから振り込まれれば「可」となる仕組みだ。最後の「可」が消えた時にあわてて「なんでやねん」となる情報処理と言うか役所の構造がある。
特に「固定資産税」は地方税なので、解ってるはずなんだが。
市町村のシステムは独自導入も含めて終了してるだろう。今からコンピュータ化なんて自治体の話は聞かない。しかも「業者入れ替え」って、各種マスターの変換(特に住民記録)から無理だろう。
地方自治体の業務は「基本26業務」に分類される。その26業務のコンピュータ化で重要なのは、個々の業務の「台帳」がある。ま、システム的には「マスター・ファイル」と呼んでも良いだろう。この「台帳」に紐づけされてシステムが情報処理を行う。が、この「台帳」は共通して市町村業務にも拘わらず個別に用意される。何故ならば業務の目的を達するには個別の整備を「法的に」義務付けられているからだ。
例えば水道の利用料請求(賦課)には利用者台帳があるが、これは同じ自治体なので住民記録台帳が使えるかと言うと、法人情報が住民記録台帳には無いので使えない。また、住民記録に登録されてない個人でも水道の利用が可能で、これに利用料請求(賦課)しなければならない。
目指すは「情報系」の整備
15年程前に、バブル崩壊後の銀行では、今までの「勘定系」(金の出し入れ)のシステムに加えて、生き残りは「情報系」(融資の可否を判定する企業、個人の情報管理)の整備とシステム構築を進めていた。
成功した例は少ないのだが、多くは銀行の決済方法の電子化として実現している。昨今のTVドラマの「半沢直樹」だが、池井戸潤氏の原作には銀行の当時の決済方法の電子化の様子が書かれている。ここまでが銀行の「情報系」の限界だった。
実はリテールの情報化には自社の情報では足りずに外部のデータを参照する必要があるのだが、これに長けていたのが当時のサラ金で、結局、銀行は個人へのリテールは自社のシステムでは無理で社外のサラ金と手を組むことになったのは現在のTVのCMを見ても解るだろう。
一方、法人への与信は有料の外部機関の情報を利用することとなる。
で、話をデジタル庁に戻すが、現在の地方自治体の業務に口を挟むのは止めた方が良い。何故なら、地方自治体は規模の大小がダイナミックで私の住む北海道でも札幌市(人口170万人)の地方自治のありかたと、神恵内村(人口830人)の地方自治のありかたは、規模により方針が大きく異なる。まして、システム化については投資対効果に大きな差が出る。
昔、地方自治体のシステム化のコンサルを頼まれた時に、パッケージの導入にオプションが無いのが問題になった。自治体側から「このシステムは要らないから安くしてくれ」との要望に提供する側が「はぶいても安く出来ません」との返答だった。それは「印鑑証明システム」で基本パッケージに入っているのだけれど、その自治体では数日に1件程度の業務で自動化(システム化)は意味が無かった。で、もめて何とか導入したら、町長選挙があって「選挙人名簿」を住民台帳から抽出する(ま、この抽出ファイル作りって作業はシステム的に間違っているのだけれど)選挙人名簿ファイルがディスク容量不足でパンクして手作業を迫られた(ま、立候補者が一人だったので、選挙人名簿は不要になったけど)。
個々の地方自治体の事象にデジタル庁が口を出すと「姑の苦言」になる。まずは、国の機関のデジタル化を考えるべきだろう。しかも既存のシステムに切り込むと討ち死にする。そこは経産省の業界育成の領域だから。
既存の問題点を改善するのも行革だが、もっと本質的な領域で配慮が及んでいない部分を考慮する必要があるだろう。
それは、
セキュリティだ。
公官庁のネットワークで電子メールを筆頭にインターネットの利用は脆弱だ。見本が公官庁では無いがNTT方式の電子メールだ。添付ファイルのパスワードを別便で送って来る。これがセキュリティか? 別便も同じルートで流れて来るのだからまったくインターネットの構造を知らない行為だ。そもそも、インターネットはアーパネットの流れからACESが支配(支配は言い過ぎか!)する善意のネットワークで、これに頼っている今の国の機関の脆弱さを改善するのがデジタル庁の仕事だろう。
具体的には「IP-V6化とIP-Secの導入」だ。
それが、出来て日本はITの先進国となりえる。ま、NTTにちょっと甘い汁を吸わせれば実現可能なのだが、そこに気が付くななぁ。
この話は、これからも続編として書いていきたいと思う。
デジタル庁とIP-V6は最大の技術マターなのだ。