鉄路のバス路線への転換に疑問
鉄路のバス路線への転換に疑問
北海道の鉄路の廃止とバス路線への転換に向かう姿勢。その基本的考察に矛盾がある。
JR北海道の「採算が取れない路線」で廃止やバス転換が報道されてるが、当事者たる自治体はどう考えているのだろうか。
偏見と非難されるかもしれないが「JR北海道」と「北海道庁」は廃止方針だ。「廃止しないなら金を出せ!」ってのが双方の基本的方針で、これしか選択肢が無いような事を言う。
北海道の「鉄路」が石炭輸送のために作られて、乗降客なんて概念が無かったのは歴史的事実。その「乗降客」で鉄路の可否(存続の可否)を長年統計的指標にしてきたのはJR北海道。つまり、乗降客がナンボで存続の可否を判断し、地元負担が無ければ「単独で維持できない」と広報して来た。マスコミもそれを伝えて来た。
それって、決定的な「上から目線」だ。
北海道の「観光資源」に着目していない。
今の新型コロナの状況前の観光を考えると(ま、日本全国での観光マーケットの外国人観光客が占める割合は10%程度で、あまり新型コロナにおる外国人観光客の減少は大きな影響は無いのだけれど)リピータの中国人観光客は「北海道」なんだなぁ。食べ物がおいしいがリピーターの目的になっている。
ま、日本人でも東京の食い物のマズサは解るはずなんだけど(コストパフォーマンスを考慮しても)食い物観光では北海道が国内的にも国際的にも注目されていた(ま、過去形で語る必要は無いと思うけど)。
東京(江戸)の文化は「食い物はマズイ」。何故なら江戸の800万人の食を賄うために「酢を」使って、食品を食中毒から守る必要ががあったから。現在の「江戸前寿司」ってのは食品の腐敗対策でしかなかった。「保存食作成」の技術なんだなぁ。
話を戻すけど、「廃止バス路線転換」を「天下の宝刀」にしてるJR北海道と北海道庁は「地元負担」って刃を突き付けている。「同情するなら、金を出せ」って政策だ。
だが、考え方に多様性を持ってみてはどうだろうか。
鉄路は「通勤通学」のものだろうか?
「生活の足」なのが鉄路なんて発想は、昭和の時代の発想だろう。
鉄路は「街と街を結ぶ動脈」なんだなぁ。
その双方に「相思相愛の何があるか」が鉄路の廃線以前に議論されなければならないテーマだろうなぁ。
「道南いさりび鉄道」はJR貨物の路線利用の収入があるけど、それでも苦戦してる。何故なら周辺住民が少ないのと、爆発的観光資源を有していないから。
観光列車ばかりに目を向けるが「地域と観光」の観点で「鉄路」を考える地方自治が必要なんだが、鉄路問題の「土俵」は「愚か者の土俵」としか見えない。
私は「市町村の貿易収支」って概念で「地域活性化」の提言をリポートしてきたが、地方自治体には「市町村の貿易収支」って概念も統計も無いんですね。自らの市町村を「豊か」(経済活動量が向上って意味で、富の蓄積が進むって意味ではありません)にするには「他地域の消費を食う(悪い用語用法ですが)」が必要なんです。何をもって「消費を食う」かが「農産物の供給」だったのが「北海道文化」だったんですね、なんせ、食料自給率が180%ですから(ま、食料自給率は問題ある統計だけど)
 新幹線の札幌延伸で新幹線駅を「バブ化」できるのはどの駅かなぁ、私は倶知安新駅が最有力候補と思っているのだが、ま、その「自己責任」は地元にあるよなぁ。

2022/01/13
Mint