源頼朝とは何だったのか
源頼朝とは何だったのか
源頼朝とは何だったのか。
全文「歴史観」ですから「個人の私的な話」です。
NHKの大河ドラマのテーマがこれなんですが、1,2話を見て脚本の三谷幸喜さんの「歴史観」に違和感があるなぁ。まだ、2話だけど、平家の「間違い」を源頼朝の「復讐劇」って「歴史観」でシナリオが描かれている感じがする。
私はコンサル業務が多かったので「平家の滅亡の仕組み」ってあたりに興味を持って調べたことがある。で、平家の「繕いのほろび」が「絶頂故に自壊した」と考えています。つまり、経済の独占が経済を崩壊させたのです。
前に書いていますが「地方自治体の貿易収支」って考え方が平家の時代には日本国(ま、天皇家のと言っても良いでしょう)の貿易収支を平家は「独占」していたのです。何故、それが出来たかと言うと天皇家の「公認」だったからです。だから、都を貿易に都合の良い所に移したりした。
しかし「貿易を独占」することで、海外からの「富(貨幣です、蓄積される貨幣ではありまさせん)」を集められることで、国内の貨幣価値のコントロールを担うのですが、それが出来なかった。今で言う「公定歩合の制御」とかの貨幣経済のコントロール機能が無かった。
それ故に、その後の日本経済は「米本制度」って経済社会に移行するのだけれど、これは「平家の貨幣独占」が招いた貨幣制度の崩壊が、以後、700年も続くことになる(いちおう、平家滅亡は1185年の壇ノ浦の戦いとしておくけど)。
「富」を独占した平家は貨幣による経済社会を構築できないくらいに巨大な貨幣を自らの懐に集めてしまった。その流通を模索しても結論が得られなかった。これが「平家の自壊」で、たまたま、源頼朝はその「自己矛盾する政権(正確には、天皇家が認める政権)」と戦って勝利を収めたってことだろう。
「平家」は武家政治だったのだろうか?
これも意見が多くあると思う。
私の歴史観では「天皇家を利用した商売人」でしかない。
その後、平家の没落に天皇家との行き違いも生じている。
源頼朝が「武家社会」を作ったかと言えば、私は否定的だ。
「征夷大将軍」1195年に天皇家から「公認」されたのは認めるが、経済政策では平家の作った経済を(良いか悪いかは別にして)改革出来ていない。
歴史観は個人の自由だが、ま、NHKは大河ドラマでどのように描くのかなぁ。私の歴史観では「駄目でしょう」と烙印を押しておきます。


2022/01/25
Mint