学生の「就活」は人生決定行為か?
学生の「就活」は人生決定行為か?
 もう15年程前の話だが、私は北海道江別市の「酪農学園」で「情報処理U」の非常勤講師を務めていた。学部は「食品流通課」で、その前はF女子大で7年間同じく「非常勤講師」を務めていたのだが「カリキュラムの改変」で講義が無くなったと聞いたF女子大の教授から「酪農学園大学で講義を担ってもらえないか」と紹介されて「面接の結果」で「お願いします」と言われて4年間務めた。
 当時から少し毛色の変わった大学だなぁと感じていたのだけれど、その感覚は「肌感覚」で上手く説明できなかった。
 男子学生は農家の子供が多く「卒業後は家業を継ぐのが決まっている」って層が多い。女子学生は付属の高校からの「繰り上がり」が多くて理想は「一般事務志向」だった。当時のトレンドリー・ドラマは東京で「高卒」の女子事務員が家賃15万円/月の家賃を負担する生活を描いていたので「まさにトレンディ」なったのが影響していたのだろう。
 当時の「大学」には「喫煙室」があって、1時間かけて車を運転して講義が始まる前に、その「喫煙室」で一服してから講義(2コマなので90分2回の禁煙)に備えた。 その「喫煙室」には2人の学生が居た。4年生なので私の講義の対象学生では無かった。
 「就職活動で人生決まるんだよなぁ。お前は何処を受けた?」
 「セコマは狭い門だよなぁ。受けたけど不採用だった。次は何処にするかなぁ」  「変だよなぁ、大学まで16年間教育を受けて、出口で就職活動で人生が決まる基準が「全然別な判断基準でそれで人生が決まるなんて」
 私は「黙って煙草を吸っていれば良いのに」声をかけた。
 「農家の後継者じゃないの? サラリーマン志向で「就活」してるの?」  と  

就職活動は「通過点」
 同級生に「農家の子が多くて、この大学では一般社会への就職活動って弱くて、なかなか決まらないんですよ」と学生が答えてくれた。
 「サラリーマン、ま、昔の表現で言うと「給与所得者」目指してるのか?}と私が聞くと
 「そんな感じですね。でも中々「採用内定」がもらえないです」
 「どんな方面に勤めたいんだ?」私が聞くと戸惑ったように「優良企業が希望ですねぇ」と答える。
 「セコマ(当時のセーコーマート)は受けたのか?」
 「ええ、競争率は3倍ほどあって、採用されませんでした」
「基本的な話だけど、大卒で新卒で採用しても3年以内に3割の社員が辞めていくんだよな。5年以内だと5割かなぁ。我が社は大卒文系も採用してるけど「専門学校卒業」のほうが定着率高いから「優先採用」している。折角「人材を育てても、根付かないからなぁ「大卒」は」
「どんな会社なんですか?」
ここで名刺を渡して
「コンピューターのシステム開発と企業の経営戦略策定のお手伝いをしてる会社。実情は社員の「定着率」が低くて悩んでるなぁ」
「就職した人は辞めてどうするんですか?」
「入社してから業界の事情を「耳をすませて情報収集」するんだろうなぁ、これは「大卒と専門学校卒」の違い」だろうなぁ。就職活動は「業界」を選ぶ「自身の判断」なんだ。「企業」を選んだら、その先に道は開けない。業界で選び、就職して業界の情報を得る活動が「サラリーマン人生」のスタートラインだろうなぁ」
「先生はどんな就職活動したんですか」
「北見工業大学卒業予定だったから、当時の、って言っても30年も前だけどは関東方面の企業の募集が多くて3社くらい東京に出かけて「採用試験」を受けたのだけれど「不採用」だった。で、破れかぶれで「北海道ビジネスオートメーション(HBA)」に飛び込んだんだなぁ」
 「え、この大学の卒業生採用は、ほとんど無いですよ」
 「当時は「大卒公開採用1期だったんだなぁ。で、3年居たけどコンピュータのシステム開発に慣れてきたので、次の技術取得を目指して会社を辞めた。その後、数回に渡って「会社設立」に参加している。人生って流動する流れなんだよ。就職して職場で「ただ流される」なんてことは無いな。その姿勢で就職活動しては「内定は出ない」ま、私はスポーツ系じゃないけど「根性持たないと就職は出来ないぞ、そして「人生」を決めるのは「自分」で就職先では無い」
 と、話した(説教かぁ(苦笑))
まず「業界」に飛び込むこと
 サラリーマンとしての「就職活動」で大切な事は「一生を通じて務める「業界」を決めること」にある。
 「一生務められる優良企業」なんて無い。あるとすれば公務員だろうが、そこでは「業界」を選べない。就職先が決まるだけだ。私の友人が「大学の工学部」を卒業して市役所に就職したのだが、配属先が「生活保護相談窓口」だったり「国保の督促徴収業務」だったりして、結局、退職して、消防組合の事務兼無線局の非常勤組合員になった。
 小学生男子に人気の「職業」は「警察官」だが「警察関係業界」と広げると「方向性」が明確になるだろう。「交通安全」なのか「鑑識」なのか「交番」なのか、その方向は広い。
 実は今の学業教育に掛けているのは「職業教育」だろう。多くの学生は「民間企業に就職」するのだが、教える側には「民間企業に就職した経験の無い、大学院からの准教授経験者」なんかが多い。そこには「業界を選んで就職活動をする」って発想は皆無だ。
 私が北見工業大学を卒業したのは4年制になって6期(昭和50年)だったが、当時の「就職担当教授」は北炭夕張退職の教授だった。
 関東の3社の就職試験で不採用だった4番目に「新しい産業で仕事も技術取得もキツイのだけれど、君に向いてるかもなぁ。卒論でコンピュータ(当時の大学の研究結果分析のコンピュータは32ビットのシャープのミニコンで、メモリーが少なく、私はフローチャートを作って中間結果を出力して本計算を繰り返していた)そのためにメインコンピュータ(笑い)の所要時間が極端に多く問題になっていた。
 私が「理系」に傾いたのは中学校の「技術家庭」で「真空管ラジオ(3球ラジオ) 」を組み立てた時だった。「電気回路を駆動して伝達が出来るんだ」と感動した。自宅でも「真空管ラジオ(高1中二)」を組み立て日本国中のAM放送を受信して「受信状況報告」を送って「ベリカード」を得ていた。
 そんな感覚で、最初は有名な会社と思って「1)関東精機、2)マルマン。3)北海道新聞社(技術職)」と就職活動をしたのだけれど、教授の「向いているかもなぁ」で計算センターの大卒公募1期性で採用された。
 せ、入ってみると「新しい知見の塊」で月間残業時間が150時間が何カ月も連続するのだが「新しい事に出会えて(主に市町村の26業務のシステム構造)」毎日が新鮮だった。
 若者の「就職活動の一助に」なればと思う。


2023/02/03
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