広島市で開催されたG7の意味合い
広島市で開催されたG7の意味
 G7での「広島平和公園訪問」は「なんだかなぁ」と思う。
まず「原爆を広島市「リトルボーイ(ウラン核兵器爆弾)」に投下して10万人以上の「一般市民」を「殺戮」し、長崎市に「ファットマン(プルトニウム核兵器爆弾)」を投下し7万人以上の市民を殺戮したのは当時のアメリカ軍だ」(78年も昔だが)。
 私の「歴史観」では「過去の行為を非難する」ってのは避けている。それは「お前だって、やったろう」の報復の起点起になるからだ。
 ただ、今、ロシアがウクライナ国民に行っている「戦時法違反」は過去にアメリカが行っていた事実を「捉えておきたい」事だと思う。
 「1945年3月14日夜の「東京大空襲」」は「一般市民への殺戮」だった。これに加えて、その後の「原爆投下」で30万人以上の「日本の市民(一般人)を殺戮」しているのがアメリカ軍であり、当時のアメリカ政府の「戦争行動の方針」なんだった。
「どのツラ下げてアメリカの大統領が「ウクライナに対するロシアの「戦争(特殊武力行使)」にものが言えるのか!」と私の「歴史観」は思う。もっとも当時は「戦時法は無かった」状況ではあったが。
日本人の民間人の市民を30万人以上殺戮した国の大統領なんだなぁ。 「日本国の市民を多数殺害したアメリカと、平和公園訪問にどんな合意が形成されるのだろうか?」
ちなみに「戦争犯罪」には「時効」が無いと考えている。
今でも「旧ナチスの幹部がアフリカ潜伏から」逮捕されている。

「戦争」には「法の支配」が及ばないのか
 これは「大東亜戦争」の時代に「課題」があった。兵器を生産する「工場」や「従業員」を「兵士、もしくは「準兵士」と位置付けて殺戮できるか?」って命題だ。これは、今でも「否」だろう。
 「連合軍(主にアメリカ軍だが)はドイツ攻撃で損傷が多かったが「シュバインフルト爆撃」を行った。ここはドイツ国家の工業施設で「ボールベアリング」を作っている。全ての工業製品(特に戦時兵器)は「ボールベアリン」が必須だ。その工場を壊滅させるために「制空権が無いシュバインフルト」まで侵攻したのだった。
 「勝つために何をするか」が「戦争(戦闘)」の基本だが、そこには「戦術(勝利の戦術)」しか無くて、国家が用いる「戦略」は存在しないのかもしれない。ここで言う「戦略や戦術」は下記のように使い分けている、
 1)戦略   戦うために自らに「何が有って、何が無い、じゃぁどう補充する」を考える段階。
 2)戦術   得られた兵力で「勝利」を得る方策を実施する。 って、ことだ。  戦略には「法の支配」がおよぶが、現場の「戦術」には「法の支配は及ばない」のが現実だろう。そこを統制するのが「戦術」なのだが、現在のロシアのウクライナ侵攻は2)戦術の現場への「丸投げ」状態だ。
 戦争は「非現実的な戦術」で「勝利」を得るのが目的なのだから、ある意味で「常識的行動」では「勝利出来ない」のだが、それを「裁く法律」は「建前として」無い。
各国の代表は広島で何を見たか
 各国の代表は自身が持つ「統帥権」を再確認したと思う。運隊を運営する「統帥権」を持つ人間として戦時の軍事行動への許認可への「決定権」を握るのが「統帥権」だ。
 今回の「ロシアによる「侵略(ロシアの表現で、実質は侵略戦争)」と「広島原爆記念碑の見学」は微妙に「視点」が違うと思う。
 まず、第一に「戦争(武力行使)」は正当な行為かどうかの判断だ。1945年当時のアメリカ大統領の「統帥権」では「未知数の威力の原子爆弾の広島への投下」をトルーマンアメリカ大統領は決裁した。
 そのアメリカの「バイデン大統領」が「広島原爆記念碑」を訪れて何を思うのだろうか。
 それは「統帥権が正しかった」だろう。国家は未来永劫続けていけなければならない、それが「外交政策によるのか軍隊の統帥権」によるのかはケースバイケースだ。ただ、日本の場合は「弱い外交政策」しか発揮出来ない。
 各国の代表が広島原爆記念館で見たものは「統治権の意志判断の重要性」だろう。決して「核兵器使用の悲惨性」では無い。「戦争とは、このようなものだ」って覚悟が無ければ「統帥権」を務められない。
それを、各国の「統帥権」を持つ代表に「覚悟」させたのがG7での「広島原爆記念館の視察」ではなかったおだろうか。


2023/05/27
Mint