映画「幸福の黄色いハンカチ」は秀作
映画「幸福の黄色いハンカチ」
 1977年の映画なんですが「幸福の黄色いハンカチ」をJ:COMで見ることができました。
 GYAOで20023年3月一杯無料配信してますね。
 「幸福の黄色いハンカチ
学生時代から「映画フアン」ではありましたが「幸福の黄色いハンカチ」は「邦画もやるなぁ」と「衝撃を受けた映画」でした。
 当時、札幌駅の地下にテアトルポー(名称はこんな名前だったかなぁ)で「マッド・マックス」が上映されていたのですがコンピュータの委託センターに就職したので、大型汎用機の使用時間の割り振りが時間外が多く、仕事が忙しくで映画館に行けない状態だったんで。何とか仕事の隙間を選んで「マッド・マックス」を見に映画館に行ったら「昨日で終焉」で、当日は「邦画」の「幸福の黄色いハンカチ」になっていた。
ま、時間あるから「見るかぁ」って感じで映画館に入ったのだが、偶然なのだがオープニングから見ることができた。
最初の意気込みが「マッド・マックス」の「アクション映画」だったのに、全然違うので違和感があったのだけれど「東京から当時の自家用車のファミリアでフェリーで 釧路に上陸」あたりから学生時代の「懐かしい風景」を感じて見ていた。
網走から(釧路港から車で5時間以上かかるんだが)小清水原生花園でだんだん「幸せの黄色いハンカチ」の映画に引き込まれていった。
 

ビールとカツ丼とラーメン
 網走刑務所を出所した「高倉健」が網走市の食堂で4年ぶりの「ビールを飲み、かつ丼とラーメンを食べる」シーンには「思わず喉が鳴った(笑い)」(あの演技はさすが「高倉健さん」と思いました)
 
 解き明かされる高倉健さんの「人生」と「夕張の石炭採掘事業」を描きながら「シンボル」としての「幸せの黄色いハンカチ」を「下地」として「映画の流れの中に織り込んで」いる。
 幸福の黄色いハンカチには高倉健さんが「最初で最後の」映画の中で「笑う」シーンもある。
 
   ラスト近くの「夕張市の「東京カンカン、娘」の唄とかは意味が無いと思うシーンだと思う(なんで「労音」使うかなぁ)。
 その前に「当時(1977年頃)の夕張市には炭住(炭鉱住宅)の跡地が有って、市街地を小学生が歩いていた(エキストラかもしれないけど)って映像は驚いた。
今の夕張市では段々畑のような荒れ地が広まっている。小学生と擦れ違うことも少ない。
現地の記念館は長く残っていた
 映画「幸福の黄色いハンカチ」を見て普通はススキノで飲んで帰るのだが、当時は豊平区の実家に住んでいたので、その近くの初めて入る居酒屋で飲んだ。
居酒屋の「おやじ」が「何か寂しいことがあった顔してるな」と余計なお世話で声を掛けてくる。
「映画館で「幸福の黄色いハンカチ」見てきたんだ」と言ったら「俺も、今日、店空ける前に見てきた。そうか、一杯おごるから飲んでくれ」と盃に酒を注がれた。
「あの映画はスゴイぞ!全て「ロケ撮り」だよなぁ。カメラが「小さくなった」からできるのかなぁ。明日も時間が有ったら見てこようと思ってる」って話だった。
 実は私も再度見たくて、数日後に映画館を訪れて見に行ったのですが「ラストシンー直前で武田鉄矢さんが周辺を「見回す」シーンがあるのですが、映画館の中で「哲也!後ろ、後ろ!」って声が流れてしまうほど「リピーター」が沢山映画館に居た。
 
 自転車で「夕張市」を訪問した時に映画で使われて移設された「丘の上の「炭住(炭鉱住宅)」を訪問した。最初は「幸福の黄色いハンカチ」のビデオ・テープが設置されてたが、後に車で行ったら(その後、私は夕張市にある会社のシステム開発を担っていた(車での出張だった)。
 時間が過ぎると「幸福の黄色いハンカチ」の記念設備もいろ変化していた。ただ、  記念の小屋の近くの「おばあさんが開いた理髪店」では500円で記念の「黄色いハンカチ」を購入した。
 何処に仕舞ったのか、出てこないけど。ボランティアで「サイン」をしてくれた「出演者」にも「幸福の黄色いハンカチ」は「思い出の映画」なんでしょうね。
 


2023/02/28
Mint