介護保険は「北海道」から始まった(4−6)
「介護保険の発祥」は北海道(4)
 まずはアセスメント用紙の準備が始まった。日本語訳は難航した。
このアセスメントはB4版で3枚程度なのだけれど「記入要綱」は50ページもあった(英文)。当時アメりカのオレゴン州立大学からの「留学生」が居たので「概要翻訳」を任せた。ところが「医療用語」が多くて苦戦していた。
 例えば「脱水症状の状況把握」って設問では「一日に10オンスのタンブラーから何回水を飲んでいるか」と書かれている。約280ccだが留学生の翻訳では「オンスのまま」なんだなぁ。
 「あのさぁ、日本では「何合って書かないと伝わらない」んだよなぁ」と苦戦が始まる。現場の「看護婦(当時の名称)」を集めて「記入方法説明会」は1カ月後に迫っている、はたして「間に合うのか」と強いプレシャーを感じた。
 オレゴン州立大学の留学生の「英語能力(苦笑)」に限界を感じて北大の教授に医学関連のイギリスの留学生の紹介を頼んでギリギリで「アセスメント用紙」と「記入要綱」が完成した。
 まずは札幌での現場で担当してもらう看護婦(当時の名称)への「説明会」なのだが、各病院の「トップダウンの仕事」なので、「婦長以上」が同席し、総勢は50名程だった。
 会議の冒頭で私は「私はコンピューターでデータを分析するのが専門で、個々の「入院患者さん」の観察調査、これをアセスメントと英語で言いますが、これは皆さんが専門で、皆さんの力に負うところが大きいです。お互いの、それぞれの「プロフェッショナル」として「共同作業の成果」を出しましょう」と挨拶をした。
「同じ会議を来週に東京でもやれ」と「山崎史郎さん」に言われれた。
 「なんでぇ!」と聞くと「さっきの冒頭の挨拶は良かった。この調査は「国策構築準備」なんだ。東京で「厚生省(当時)」の方針を「宣言」する演出が必要なんだ。目標は今の医療制度に無い「介護保険制度」って新しい「制度作り」なので「広報活動も仕事の一部」」と言われて北海道庁の「孫請け下請け仕事」なのに、以後「東京出張」が増える事になる。  多い時は月に2回なんてのもあって、しかも、ほとんんどが「日帰り」で羽田空港で飲んでANA69便なんかでの北海道への帰道は定番になった。

「介護保険制度の発祥」は北海道(5)
 いよいよ「アセスメント」が始まった。
 現場の看護婦(当時の名称)のアセスメント用紙が集まってくる。これをコンピュータのデータにするのだが2000名近いボリュームで5人しか居ない部署では「テンテコマイ」になった。
 当時は「OCR用紙」の印刷プリンターも高価で、読み取り機も高価だった。そのため「人海戦術策」を取らざるを得なかった。設問項目も多く「Yes or No」のチェック項目もあれば数値記入項目も混在していた。
 このアセスメントは2年間で4回、述べ8,000人の「アセスメント用紙」を処理する必要がある。1回目のアセスメント用紙のコンピュータのデータが出そろうのに2週間かかった。
 で、そのデータを「SAS」って統計処理ソフトにアメリカの「MDS研究」で使われている「分析ソフト」を日本語化したものを入れて2000件のデータの処理を行う。 当初はテストランで数十件の処理していたのだが実際に2000件を「入力データ」としたら、当時のパソコンの処理能力もあるが、8時間程の処理時間を必要とした。
『ハハーン、これは「アメリカでは介護計画にMDSを使っている」は間違いだな。こんな処理に時間がかかるものは「実用化」できない』と気が付いた。単なる「アメリカでの多様な研究実験の一部」を大規模に行う「厚生省」の「狙い」は別な所にあるなと気が付いた。それが「高齢者医療を現行の「理療保険制度」から分離と「介護保険制度の確立」が、目的なんだろうなぁと、委託調査業務とは関係ないので、当時は「外部」には話さなかった。

「介護保険制度の発祥」は北海道(6)
 集計結果を受けて「MDS研究会」で分析結果の開示と説明会議が開催された。
 MDSは簡単に言うと「患者(入所者)のアセスメント」を行うことにより、介護者(当時は看護婦(当時の名称))にどの程度の「介護の負荷」が増えるのかを段階的ランク付けをするもので1回目の調査結果は参加医療機関の院長・理事長は自分の「医療機関の分析結果」に見入って10分程自分の医療機関の分析結果を見つめて無言だった。
 2000件の分析結果は持っていたが「個人(患者)情報」なので「分析結果」は私のパソコンとバックアップCDにしか入っていない。会議では「他の医療機関に分析結果のコピーを渡したり、他の医療機関や公的機関に提供するのはやめてください。この調査の結果は出席されている委員が触れることができる最上級の個人情報です」と伝えていた。
 実は「MDS研究会」には事務方の看護婦(3名居たと記憶している)が「現場の看護婦にも勉強させたい」と「オブザーバ制度」を加えてとの要望があって会議は「医療機関の院長・理事長」の「委員10名に加えて、オブザーバーが30名にも増えて会場の手配(これはシンクタンクの仕事で、私は関係しなかったけど)は大変だった。
 この会議で「恵仁会の理事長」だったと記憶しているが「数値化(正確にはランキング分類)出来るんだぁ。この資料は「当委員会のオブザーバで参加してる当医療機関の看護婦に見せても良いでしょうか」と聞かれた。
「院内では情報開示は自由ですが、情報流出には注意してください」と言ったらオブザーバーの看護婦(その医療機関は5名程参加してたかなぁ)に用紙を渡した。他の委員もオブザーバーで列席していた看護婦に資料を閲覧させた。  不思議な状況になった。
 婦長(当時の名称)が資料を院長・理事長に資料を戻すときに、なにやら「伝言」している。

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2023/01/15
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