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「介護保険の発祥」は北海道(10)
また、2000件のアセスメント「データ」が集まった。
今度は「個人情報」を公開しない方式だが「経緯変化」を審議が出来るようにするために、前回から「調査番号(患者番号)にイニシャルを利用した。 2回調査対象となった「入院患者」を医療機関別に「名寄せ」して一覧表を作り、各自の委員に配布した。 この方式が「後に問題になる」のだけれど、当時の方法として経緯変化を知るには必要な処理だった。 「MDS研究会」で2度目の「アセスメント」の結果の発表を行った。前回と違い「経過変化」が議論の中心になるのだが「アセスメント担当者の変更でデータに誤差が生じないか」って質問が出された。 「それは「教育」と言うか「標準化」の課題ですが、その課題の「洗い出し」も調査の目的ですので考慮が必要かもしれません」と私は答えた。 急に議論に割ってはいって「これを制度設計するには「複数の資格制度の設定」も必要かもしれませんね」って山崎史郎さんの発言に研究会のオブザーバーの看護婦(当時の名称)からブーイングが出た。 前回から「事務局」には議論を誘導する力は無くて、私と山崎史郎さんの発言の場だったのだが「アセスメントの変化」に興味を持っている「院長・理事長」も居た。 「アセスメントで指摘されてる項目の改善を主体に「現場での介護方法」を考えているのだが、このアセスメントは「介護のガイドライン」と考えて良いのかなぁ?」 これにも山崎史郎さんが切り込んできた。 「医療の最終責任は現場の医療従事者にあります。厚生省(当時)は方針は出しますが、このような「アセスメント」まで落としたものは行いません。あくまで「実証実験」のツール」と考えてください」とのこと。 実は、山崎史郎さんは老人病院を別な制度(会議保険制度のように)に切り替える事を考えていたようで、実証実験のフィールドは医療機関(老人病院)だが、それを「切り離す(別な保険制度に「移す」)ことを考えていたので、老人病院とは一定の距離を保っていた。 |
「介護保険制度の発祥」は北海道(11)
4回の調査が終わり山崎史郎さんも成果を手に「本庁に戻る」ことになった。
「送別会を兼ねてイタメシ(当時流行っていた用語)でも食おうか」と私は「幹事」を買って出た。 ところが2回開催することになった。 1回目は「MDS研究会主催の送別会」、会場は高級な寿司屋だった。主催は「研究会メンバー」で電話1本で「接待の準備」を指示できる集まりだったから。 「事務方も代表が参加してくれ」と言われて、シンクタンクから1名と私が呼ばれた。幹事代表の開会の挨拶で「この実証実験を北海道でやることは、大きな意義があった。実は「季節入院」が常習化して冬は病床が満床になり必要な患者の病床確保が出来ない。そんな状況は「医療と介護」の制度が一緒に扱われているからだと思う。 今回、事務方から2名を「招待」したのは、彼らしか知らない情報を「飲ませて聞いてみよう」って思惑もある(笑い)。実際に調査結果の分析は見事だった。そして我々に渡された調査結果は有意義だった。でも、その裏にはもっとスゴイ分析結果があるんだろう。それを持って「本庁」で制度設計する山崎史郎さんに「北海道に足を向けて寝られない」と思っていただきたくて、本会を開催することにしました」 だった。 「イタメシの方」ではザックバランな意見交換が行われた。 山崎史郎さんから「これ、手ごたえは掴めたけど、行政が描くデッサンには物足りないなぁ。役所には「独特の制度設計手法」があってね、この実証実験の結果を踏まえて「制度設計」する、そこからの「問い合わせ」が増えると思うけど対応をよろしくお願いしたい」と言われた。 「これはオフレコなんだが、実は「介護保険制度」ってのを作りたいと考えている。高齢化社会に必要なのは「医療制度」では無くて「介護保険制度」だと思う。その制度を構築するには、介護の度合いを「高齢者個人のアセスメントで可能だ」ってエビデンンスを証明する必要がある。それで「業務委託条件に無い東京での説明会」に〇〇さんに協力いただいて、有難かった。役所に戻ったら「地ならし」してもらった畑をおこして「種を撒く」よていだ」とも話くれた。 実際には「事業の発注先のシンクタンク」に厚生省(当時)の関連団体から問い合わせが集中するが、答えられなくて、こちらに問い合わせが回って来る。 その中には「馬鹿かぁ」ってのがあって、前回書いた「患者の識別が「暗黙」になるようにイニシャルを使ったのが「このイニシャルは訓令(くんれい)式なのかヘボン式なのか、統一されてないから直せ」なんてのもあった。 当時は世相に出て無かったが「そんなの関係ねぇ」と私は叫んだ(苦笑)。
2023/01/17
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