郵政民営化は手柄を得たい小泉首相のパフォーマンス

郵政民営化は改革の方法論
 なんだかなぁ。改革の旗を掲げて首相になった小泉純一郎氏だが、結局、改革を目先の郵政民営化の持論に引き込み、実際には何も改革はしていないではないか。
中曽根康弘総理大臣の国鉄民営化には国営であるが故の効率の悪さ、労組台頭による次世代経営陣の危機感(その、次世代が民営化のJR各社の社長を務めているのは公知の事実)によって当時の社会党の反対を押しきって実現した。時代が求める必然が背景にあった。しかし、今回の郵政民営化は背景が薄い。そもそも自民党内部から反対論があがるのでは、議院内閣制での総理大臣として単に「変人」ってことに落ち着くのではないか。
 日本経済をマクロに捉えると、資本本意経済制度のもと、国民の貯蓄率の高さから流通しない金銭を集め、流通させることによる経済運営は必須であった。つまり、名目上は国民個々人の貯蓄としての「富」を社会に流通させることで「経済運営」に回す仕組みが世界最大の金融基幹である郵政公社の役割だった(時期もあるし、いまも、必要な場面もある)。
 前にも述べたが、経済発展とは富の蓄積(貯金の増額)では無く、流れる金銭の料の高の問題なのだ。だから、金銭が死蔵されると経済は極端に停滞し、経済発展は阻害される。新たな投資が新たな製品を生み新たな市場を形成していく。これは資本本意経済の経済発展の原則である。
 日本では個人が例えば株式のような投資を行う文化土壌がないので、個人の貯蓄を集めて企業に(政府に投資するのは考え物だが)再投資する機能が必要になる。今でこそ金融機関も貸し借り双方を意識したディテール・トレーディングと呼ばれる個人市場を意識しているが、バブルの前までは郵貯がその独壇場であった。
 その歴史的機能を背景に、いわゆる郵便貯金が担ってきた機能が国営から民間に移管される時代になっているのは事実だ。しかし、これがやっかいなことに戦前の逓信省から連綿と続くコングロマリッドだったことが問題を難しくしている。
 それをどのように分解解体するのかの方法論が首相マターだとは思わない。大きな方針を提示したら、あとは官僚が考えれば良いことだ。首相は行政府の代表であって行政府はトップに頂く首相に従えばよい。何故、立法府の議員が口を挟むのか。口を挟む最上の民主的で合理的な方法は自民党総裁降ろししか個々の議員の行動は無いのを自覚すべきだろう。

手柄争奪だけになった郵政民営化
 正直言ってワイワイ言ってるヒョーロン家よりも「国民不在の論議」って切り捨てる猪瀬さんの発言が重いのだが、結局、誰が郵政を民営化しかたって手柄を歴史に刻むことしか小泉純一郎首相は考えていないように見える。郵政の機能分割も明確でなく「田舎に郵便が届かない」なんて馬鹿な発言をする自民党議員に「やれやれな奴」と浴びせる言葉も持っていない。つまり、説明責任以前に説明できるものでは無く「郵政民営化は私の持論だ」以外に何も無いことを証明しているだけの行動なのだ。
 しまいには「理屈は解るがコンピュータ・システムが移行出来ない」なんて本末転倒の議論がまことしやかに、大手を振ってスケジュール論議に顔を出してくる。
 そもそも、コンピュータ・システムはスケジュールに合わせて後から付いてくるもので、スケジュールの本丸では全然無いのだ。UFJの統合トラブルは前に裏話を書いたが基本的に自銀行のシステム部門の管理能力の無さを露呈した事件だ。決して、金融機関の統合にはシステム障害を避けるために時間がかかる、って筋のものでは無い。
 技術>巨大銀行のオンラインに詳しくかいてあるが、郵政民営化と直接関係ないので、詳細はそちらを読んでほしい。
 あの手この手で反対理由を正当化する自民党の郵政族。かたや問答無用でしゃにむに「郵政民営化法案」を成立させようとする行政府である小泉純一郎内閣総理大臣。正直言って「国民不在」の縄張り争いでしか無い。それを、伝えるマスコミも背景を何も考えていない。
 一番大切なことは前島密が先頭に立って当時の先進国に追いつこうと努力した郵便制度の歴史的背景の理解。そして、戦時戦費調達の手先として使われた逓信省の郵便貯金の歴史。加えて日本の国際化に向けての国際標準と現在の郵便貯金の制度の在り方。そんな課題を踏まえて論議する場を設けなくて、単に「念願だから」がまかり通っている現状こそが論議される対象でなければならない。その視点を持たないマスコミはジャーナリズムの皮を被ったヤクザでしか無い。その尻馬に乗ってテレビ出演して的外れな発言をする国会議員は昔の言葉で言えば「亡国の徒」でしか無い。

再度言うが、郵便貯金制度の民営化だけで良い
 マスコミって本当に馬鹿の集まりだと思うのは、年末になって年賀状の発行部数のニュースで「電子メールの普及により年賀状の利用は減っています」ってコメント。統計分析は非常に難しい作業で、数値を見ただけで安易に傾向を述べられない。にも関わらずニュース番組は「事実関係」をデッチアゲル。(事実と真実の違いについても前に書いたので参照してもらいたい)電子メールと年賀状の相関関係は薄い。インタネ利用者の割合を考慮すると年賀状の利用数はIT化よりも経済動向(法人利用)に左右されているのが「真実」だ。
 小泉純一郎首相の信念(が、有るとして)が何処にあるか解らないが、制度の問題点は先に述べた戦後の日本の経済復興マシンとして機能した郵便貯金が時代の変遷に伴い国営(行政府の税金による運営)が必要なのかって点に絞られると思う。つまり、時代に則しているかって視点だ。
 その点に関して言えば、郵政省の金融機関としての機能はバブル崩壊以降の民間金融機関の育成(再構築と言うか、財務省も含めた意識改革)路線に大きな壁として存在するのは事実だ。それを「国有金融機関」として継続させるのかどうかが一番の争点になる。手紙の配達なんて機能はどうでも良い。と言うか、これは憲法に定められている国民の等しく感受できる権利なのだから、憲法論議の土俵で語るべきだ。
 実は先に書いた中曽根康弘首相の時代に行われた「国鉄民営化」は、当時の国鉄を民間企業化して憲法の唄う国のありかたから除外し、「国民の得られる権利の平等」から国鉄(鉄路)を切り離し、鉄路を行政の問題から切り放すって意味なのだ。現実、北海道では国鉄の路線は半分に縮小され、地域の足はバスに転換され、そのバスも結局市町村による経費負担に転化され維持されている。
 その話は別項目にするが、基本的に今の「郵政民営化」には理念が無い。
 理念とはまさしく、国家100年の大計である。今の小泉純一郎首相がアブナイのは、行政の長としての意識があるか無いか別にして、健康問題に端を発して説明責任を公人として行っていない点だ。国民に説明するのが民主主義の基本なのだが、昨今の小泉純一郎首相は説明もしない。もうもう、単なる変人でしょうと僕は思う。

button 末期は解散総選挙しか無い
button あまりにも似ている「近衛文麿」と「小泉純一郎」

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2005.03.11 Mint