冬ソナに見るブームと文化の土壌

「冬ソナ」は熱心に見ている訳では無いが
 ま、ブームが起こる前に知っていたってのはマーフィーの法則の「事態が失敗に向かうと、何故か事前に失敗を知っていたと言う人間が現われる」ってことの繰り返しなのだが、僕はブームの前にこのドラマを知って見ていた。
 NHKの衛星放送で先行して放映されていたので、これを見た人から「冬のソナタ」は韓国ドラマだけれど日本の「おしん」のように国際化するドラマだと思う。と言われたのが去年の春先だったろうか。その時に1回見た。以後、NHKの地上波で放映されていたらしいが、我が家では妻が一人で見ていた。
 最初(去年の春)に見たときに「冬ソナ」は韓国文化と言うより人間の根源に近い所をくすぐるドラマだなぁと感じていたが、これは結局、日本の「愛と誠」のパクリではないのかとも思っていた。「純愛」ってキーワードではドラマとして歯が浮くような過剰演出しか出来ないだろうと1回しか見たことが無いのに次回作を予想していた。
 そして韓国ドラマが日本で広まる要素を考えてみると、実は「冬ソナ」は日本的要素が凝縮されているドラマだと気が付く。つまり、フアン層は少し昔の日本を見るように韓国ドラマに感情移入しているのだろう。

純愛で無く純粋がテーマなのだろう
 本当、見ていない(笑い)のだから、何も言えないのだけれど(笑)夏休みを16日までとったので今日の昼のNHKの冬ソナを見てしまった。1年前に見た「兄弟だった」(これって、「空から降る一億の星」のパクリ?)って場面だったのだが。
 冬のソナタが中高年の女性に人気絶大な理由が何となく解る気がする。先のNHKの衛星放送を見て「冬ソナ」を推薦してくれたのも中高年の女性だったのだが。このドラマには純愛を通して純粋を描く演出が埋め込まれている。それは正しく表現出来る言葉では無いが「人は一生懸命生きて年老いる」って事実を若者を通じて説明している。そこに共感する中高年の女性の支持を得たのが今の「冬ソナブーム」なのではと思う。
考えてみると「専業主婦攻撃」とか、ま、女性の敵は女性って時代が戦後女性の社会進出に常にまとわりついたのだけれど、今の時代、「男性の敵は女性」と会社社会では現実のものとなったのだけれど、この「冬ソナ」支持世代では過渡期だったと思う。多くの現在の中高年女性は会社勤めを経験し、現在は専業主婦化しているのだろうけど、人間として「半分自立的な」部分を経験して全部自立には何が必要なのか模索してきた世代だったのだろう。日本社会そのものが模索していたのだが。

純粋に生きることには男女差は無い
 子供が娘一人なのとは関係無いが、女子大で非常勤講師を続けながら学生に接して考えることがある。それは女性の社会進出が当然の事となった現在においても社会制度が整備されていない事実だ。学生に対して田島陽子(先生)を学園祭で呼ぶ精神に何を考えてるのかと疑問はあるが、女性の社会進出は先人の女性たちが築いた地道な活動の結果なのだ。にも関わらず先人でも何でも無い田島陽子に頼る精神に「これでは駄目だ」と思っている。
 女性の人生が親が決めた相手と結婚して人生を歩むって時代と今を比べて女性の人生は大きく変化した。にも関わらず「家事手伝い」って世代が居るのは理解できないのだけれど。先人(女性の中高年世代)の人生を聞くことは朝日新聞の戦争を語り継ぐよりも現実的に女子大学生には大切な経験談なのだ。
 冬ソナに戻るが、このドラマを支持する世代は純粋に生きて来たと思う。それはジュリアナ東京でも無くガングロでも無く、女子高校生ブームでも無く女子大生ブームでも無く。ひたすら真っ直ぐに生きてきたと言ったら語弊があるが地道に新しい文化を切り開いてきた女性の世代だ。社会人経験を経て社会人を続けるか専業主婦になるか、それは結果であって目的では無いけれど、それぞれの人生ではある。
 その世代が「冬ソナ」に出会った時に感じたのか「純粋に生きる」ってトレンディドラマに無い単純で明快なテーマだったのだろうと思う。
 冬ソナを見て駄作と感じるプロの演出家は多いだろう。僕も駄作だと思う。ただ、この10年、日本のトレンディドラマに欠落していた「家族」がドラマに挿入されている。儒教の国だからなのか、日本のトレンディドラマには「家族」は無かった。唯一男女7人秋物語りで岩崎宏美が演じるつり船店が姉妹だけ出ていたが。

単純故に訴えるドラマ
 日本がバブル時代に失ったものに「純粋に生きる」って部分があったのではないだろうか。韓国も大企業病で国際収支が赤字になって国内の貨幣が国際的に通用しない時代を経た。日本も同じような状況だったのだが日本は自らを見るより更なる目標であるアメリカを見ながら先を目指してきた。実は、それは自国の文化の否定で、庶民の生き方の否定でもあった。だから、「うちのパパは世界一」みたいなホームドラマを教科書として、それが世界に通じる道だと信じて生活してきた。
 でも、それはアメリカの戦後支配政策による文化押し付けだったのだ。ファミリーを越えたドラマが日本で作れないのは、このトラウマだろう。「冬ソナ」はこれを越えている。世の中は様々な動きが有るが、「純粋に生きる」ってことは皆のあこがれなのだ。それを描いている「冬ソナ」に韓国のみならず日本も同感する文化土壌に感心するとともに考えてしまう。
過去にも「愛と誠」みたいな純愛ドラマは有った(コミックだけれど)。冬ソナは自分の努力と自分の背景、つまり、先天的と後天的を縦横の糸線に演出されている。人生と言うか人間ってこの縦横の中で生きているのではないだろうか。その縦横を一番感じているのが「冬ソナ派」の中高年の女性層なのだろう。
 ある意味で時代を作った世代。それが「冬ソナ」に見付けたのは純粋に生きるってキーワードだろう。純粋に生きるってキーワードはアジア的儒教の文化がまだ生きているって証左だろう。ジュリアナ、ガングロに負けない冬ソナのブームがなんとなく安心して見れる僕は枠の外?

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2004.08.18 Mint